ホーム > ブログ >  閑話休題

閑話休題

江戸風鈴(えどふうりん)

 金宝樹001.jpg

 「 売り声もなくて買い手の数あるは 音にしられる風鈴の徳 」

江戸の末に、こんな狂歌があったと教えてくれたのは、藍暖簾が清々しい篠原風鈴本舗

の篠原儀冶さん。

御年84歳、現役の風鈴職人だ。 数年前に病で倒れ、以来「最前線あら第一線になりました」

と笑うが、儀冶さんは多くに人が認める、ミスター江戸風鈴だ。

ガラス風鈴の存亡の危機を、知恵と努力で乗り切り、国内のみならず海外にもその存在を

広めた功労者なのである。

さて、先の狂歌だが、この歌から気付かされることがある。

江戸時代、さまざまな物売りが天秤棒を担いで商品を売り歩いた。

多くの物売りは、売り声で客を呼んだが、風鈴売りは、涼やかな風鈴の音がなによりの宣伝、

終始売り声を上げることはなかったという。

では、なぜ”徳”名のか。

「 風鈴はお寺の屋根の四隅にかかっている風鐸(ふうたく)が始まりで、鳴り音が厄除けだった

そうです。 それで、風鈴の音にも魔除けの力があると信じられていたんです。 」

だから、江戸時代は魔除けの色である赤で塗られたものが主流だった。

やがて、ガラスの涼感と音が好まれ夏の風物となったのだ。

( 中 掠)

風鈴の徳は、江戸も今も、霊験あらたかに違いない。

出典 : ひととき (株式会社ウェッジ 発行) 2009年7月号から。

御殿場線 = 箱根の北を大きく遠回りした往時の東海道線

鴨007.jpg

御殿場線は東海道本線の国府津駅駅(こうづ)を起点とし、松田や山北、御殿場、裾野

などの各駅を経て東海道本線の沼津駅へと至る。

国府津駅を出発した列車は、御殿場駅までは山道をひたすら登り、その後は沼津駅

まで下って行く。

( 中 略 )

明治22年(1889年)2月1日に東海道本線が国府津駅から静岡駅まで開通したとき、

国府津駅と沼津駅との間は現在の御殿場線を通っていた。

この区間には箱根の山々がそびえ立つ。 いまのように長いトンネルを掘る技術を持た

なかった当時は箱根の北を大きく遠回りするルートが選ばれたのである。

とはいえ、ほぼ全線が山道となり、客車や貨車を引くために蒸気機関車を2両用意しな

ければならなかった。 特に山北駅から沼津駅までの勾配はきつく、両駅では列車の

中間や最後尾に蒸気機関車をさらに1両連結して東海道本線最大の難所を越えていた

のである。

開通当初は単線で建設された東海道本線も列車の本数が増えるとさばききれなくなり、

もう一本の線路が増設された。

国府津駅と沼津駅との間の複線化は地形の厳しさから大いに難航したが、それでも明治

34年6月11日には完成する。 最盛期には1日に130本もの列車がこの区間を行き交い、

昼夜を問わず、蒸気機関車の汽笛が鳴り響いたという。

昭和9年(1934年)12月1日、世紀の難工事と言われた丹那トンネルがついに完成し、

東海道本線は熱海回りに改められる。 この日から御殿場回りの東海道本線は御殿場線と

名を変え、列車の本数も1日26本へと大幅に減らされた。

それでも複線のまま営業を続けたが、やがて戦争になり、資材が不足するようになると、

御殿場線のレールを山陽本線の複線化のために転用することが考えられる。

こうして御殿場線は昭和19年には単線となり、列車の通らない鉄橋は橋脚を残して撤去

され、トンネルは放置されることになった。

出典 : ひととき 2009年JULY から。

イヌはネコの一種?

あじさい061.jpg

脊索動物門 哺乳類 ネコ目 イヌ科 イヌ属 というのが分類学上での正式な所番地

である。 ネコ目イヌ科とは知らなかった。 イヌはネコの一種だったのだ。

それはともかく、犬は人間の最古にして最良の友人である。

イスラエルで発掘された一万二千年前の人の遺体は子犬を抱きしめていた。

日本でも縄文時代から人と暮らしていた。

いまは五世帯に一世帯が犬を飼う。 我が国の犬の総数は八百万頭に及ぶとか。

犬猫なくしては現代人は慰めもやすらぎも満たされぬ。

日本書紀巻六に犬の話がある。 丹波国の住人の飼い犬が山のムジナを食い殺した。

ムジナの腹の中から勾玉(まがたま)が出てきたので献上したと。 この犬は名を「足往」

(あゆき)とある。 当時すでに飼い犬に名前をつけていたことが注意を引く。 日本最古

の犬名だが、アユキならいまでもどこかにそういう名前の犬がいてもおかしくない。

人名はどんどん変わるが犬の名は存外変わらないのかも。

しかし、犬畜生、犬侍、犬死など犬のつく語には悪い意味のものが多い。

犬が悪の代名詞になっている。 でも、これもまた親しさのあらわれに違いない。

人間とほとんど同じ類に思っていたが、よくよく見れば別だった、という苦い覚醒がこもって

いるのである。

出典 : 日本経済新聞 2009年6月14日号 うたの動物記

      「 犬 」 胸を打つ切々たる挽歌  歌人・小池 光 氏 執筆。 

--------------------------------------

犬侍、犬死 など犬にとっては迷惑な話。

子供のころシルバー・シェパードと一緒に寝て、ごはんの時は箸で食べ物をあげていた私

にとっては犬は、家族、兄弟のような存在。

それに、人間は嘘をついたり、裏切るが、犬は決して裏切りません。

梅雨と紫陽花(あじさい)

あじさい29.jpg

紫陽花は梅雨時の花。 

雨にぬれた花弁もまた風情がある。

それに花の色が変わってゆくので、面白い。

私が住んでいる相模原には「市立相模原北公園」があり、園内には紫陽花は200種、

10,000株も植えられている。

それぞれの株に名称をかいた札が付いている。 

私は名前には興味がないから、気に入った花の色、柄、花弁の形をさがすので忙しい。

2時間くらいかけて気に入る花を探すが、なかなか気に入る花はないものだ。

花はそれぞれ美しい。

でも、200種あっても、気に入るのは2~3種類。

相模原北公園には、早春には梅の花、5月のバラ、6月の紫陽花などがあり、楽しませ

てくれる。

京都の祭りといえば「 葵 祭 」( あおいまつり ) (2)

あじさい129.jpg

そして、勅使(天皇の使いの者)が御祭文(ごさいもん)を奏上し、御幣物(ごへいもつ)を

捧げるのが十五日の本祭である。

この本祭に、勅使をはじめ、検非違使、内蔵使い(くらづかい)、山城使、牛車、風流傘、

斎王代など総勢五百余名が、平安絵巻そのままの雅びで華やかな衣裳・装束を纏い、

京都御所から下鴨神社、さらに上賀茂神社へと約八キロの道のりを行列するのである。

勅使と斎王代は、いわばミスター葵祭、ミス葵祭。

かの昔、平安の宮廷女房たちが、源氏物語の「車争い」そのままに、場所取り争いを

演じてまで見物したかった理由は、そこにあるのだろう。

さて、今年の斎王代は裏千家のご令嬢・千万紀子さんが、華やかに勤められる。

京都の祭りといえば「 葵 祭 」( あおいまつり ) (1)

あじさい152.jpg

京都の数ある祭りの中で、加茂社の例大祭「 葵祭 (賀茂祭) 」は昔はただ” 祭り ”

と言った。

一般的な人気は” 祇園祭 ”に譲るとしても、清少納言が「 枕草子 」で「 四月 (

うづき )、祭りのころ、いとおかし 」と記したように、” 祭り ”と言えば葵祭のことであった。

祭りの起源は、6世紀半ば。 国内が風雨激しく五穀が実らぬのは、賀茂大神の祟り

によるとの占いが出たことから、四月吉日、馬には鈴をかけ、人は胃の猪頭(いのがしら)

をかぶって駆け競べをし、盛大に祭礼を行なったところ、五穀豊穣豊年となったというのが

始まりとされ、平安時代に勅命により行なわれる祭祀・勅祭となった。

この葵祭、本祭は五月十五日だが、五月三日、下鴨神社の流鏑馬(やぶさめ)神事に

始まり、四日には十二単衣に身を包む斎王代(神に奉仕する皇族出身の巫女・斎王の

代理)が身を清める御禊(みそぎ)神事、十二日には下鴨神社、上賀茂神社に神霊を迎

える御蔭(みかげ)祭、御阿礼(みあれ)神事など、いくつもの神事・祭りが続く。

出典 : 日本経済新聞 2009年5月11日 「あすへの話題」

               京都銀行頭取 柏 原 康 夫 氏 執筆  から。

奈良の仏様と京都の仏様

 仏像の教養_0008.jpg    仏像の教養_0002.jpg

8世紀末、山城にあたらしい首都を建設した政府は、都市計画の中にはわずか2つの寺、

東寺と西寺しか置かなかった。

しかもこれらは多分に官寺としての機能を役目とするもので、思想の中心が比叡山や

高野山にあったことはよく知られている。

そこで寺院は権力や世俗にまぎれることなく自立し、人びとは純粋に宗教を求めて心の

対話を深めることができた。

その結果、仏像は民衆の心との相似形の中で発達して行くことになる。

ここで前世紀の奈良の仏像と当時の京都の仏像を並べて思い出してほしい。

すると奈良の名だたる仏像は、それぞれりっぱで堂々としていて、均整美にあふれていて

尊厳である。 光背も装飾性にみちていて華麗である。

ところが京都の仏たちには、これらのどの1つも当てはまらない。

もっと実質的で威圧感はない。

しかし、この像こそがじつは本当に民衆が手に入れた仏の姿だった。

親しみぶかくて穏和で、ゆったりとした安定感があって、何事も受け入れてくれそうな気がする。

( 中略 )

この「 穏和 」こそが古代日本人が至上の価値をおいた美であった。

美術家たちは当時の定朝( じょうちょう。 ?~1057 )一派を代表的な仏師集団と考え、

定朝様式ということばで、この時代に達成された仏像彫刻を呼ぶ。

定朝様式の特色は気品にあふれ優雅で、抑制された調和美だと言われる。

そしてこれが、いまだに中国ふうな造像の中にあった奈良の古仏から、日本的に自立した

美だと考える。

出典 : WEDGE 2009年6月号 中西 進 氏 の 「 根幹を築いた情の文化 」

イスラム教はなぜ豚肉を禁じじるのか? ②

花703.jpg

ウシやヤギはミルクをはじめとする乳製品を、ニワトリは卵をといったように、肉だけに

とどまらず、さまざまな副産物を提供してくれる家畜だが、ブタは労役にもならなければ

毛も繊維には向かない。 という意見もある。

また、以下のように食衛生、生態環境の両面からの考え方もある。

第一に、中東のような暑くて乾燥した地域では、豚肉は腐敗しやすく、これを食べると

食中毒にかかりやすい。

第二に、不潔な食べ物を摂取するブタは病気に感染している危険性が高い。

第三に、絶えず移動を強いられる遊牧中心の中東では、定住性の家畜であるブタは

生態環境に適さない、等といったものだ。

古代オリエントの人たちは、生活を合理的に営む知恵として、神の啓示という建前を

借りながら豚食を禁じたのだろう。

豚は汗腺をほとんど持っていないので、自らが体温調節をコントロールできない。

泥んこの中を転げ回る光景をしばしば目にするが、あれは発汗できないブタの体温

冷却のための生理的な動作なのである。

したがって、中東で養豚業を営もうとすれば、風通しの良い場所を選び、直射日光を

さえぎるための日陰や泥水たくわえた場所を作ってやる必要があり、とてもではないが

飼育コストに合わない。 これは中東に限った話ではなく、乾燥地域の遊牧民すべてに

当てはまるだろう。

イスラム教はなぜ豚肉を禁じるのか? ①

花701.jpg

古来、世界各地で偏見やタブーにさらされてきた肉は少なくない。

豚肉は、なによりもそれらの筆頭にあげられよう。

アラブやユダヤ世界の西アジアでは、現在でも食用とすることを固く禁じているし、忌み

嫌われている。

ムハンマド(マホメット)による「 コーラン 」第5章の食卓の章には、「 死獣の肉、血、豚肉、

、それからアッラーでない邪神に捧げられたもの、絞め殺された動物、打ち殺された動物、

墜落死した動物、また猛獣の食らったもの ・・・ 」などは食べてはならぬとあり、第6章の

家畜の章にも「 死肉、流れ出た血、豚の肉、-これは全くのけがれものー 」などと禁忌

である点を強調している。

また、ユダヤ教の聖典「旧約聖書」の「レビ記」「申命記」のなかでも、全知全能の主ヤハウェ

(エホバ)は事細かに食肉タブーを命じている。

数ある獣肉のうち合格点を得るには「 ヒズメの分かれたもの、ひづめが二つに切れたもの、

反芻するもの 」という条件をクリアしなければならないが、ブタは「 ひづめが二つに切れて

いるけれども、反芻しない 」という理由で、汚れた獣としてタブーの俎上に上がってしまった。

ではなにゆえにムハンマドやヤハウェは豚食を禁じたのであろうか?

いったいにブタは、人糞を含むあらゆるものをむさぼり食う大食漢で、鈍重なうえに発情期

が21日周期で年中繰り返すといった習性が、不潔で汚らわしいというイメージに結びつく。

ブクブクと醜く肥え太り、スマートさとはほど遠い。 もともとストイックなイスラム教、ユダヤ

教とは相いれない家畜と、早々に烙印を押されてしまったのかもしれない。

事実、現在のイスラム法学者たちの多くは、「 アッラーが豚肉を禁じた第一の理由は、その

いやしい習性と食べ物がきわめて不潔であるというブタの生態そのものにある 」と解釈する

向きが強い。

出典 : 「 食の歴史 」 辻原康夫氏 著 河出書房新社 から。

岡山名物 「 ママカリ 」

さくら326.jpg

岡山では「 ママカリ 」という魚がとれる。

あまりにもうまいものだから、自分の家のご飯では足らなくなって、隣の「 ママ 」

(=飯)まで借りに行く。 「 ママ 」を 「 カリ 」にゆくくらいうまい魚ということで、

この名前を奉ったようだ。

最近は、岡山駅でも、ママカリの酢漬けやママカリのみりん干しなどを売っている。

それらもママカリの味はするが、昔私が食べたママカリとはかなり味が違う。

夏の暑い日にヒチリンに火をおこして、炭火で金網の上で焼き、酢醤油に付ける。

このママカリが何とも言えなくうまい。 やはりあたらしいママカリを焼いたのが一番。

身が骨からぽろりとはなれて食べやすい。 さっぱりしているのにうまみがある。

本当に隣のうちへママを借りに行くくらいうまい。

私はママカリの焼き立てを酢醤油に漬けたばかりのまだ熱いのを食べるのが好きだった。

つぎにママカリのうまい食べ方は、ママカリの握り鮨。 これもサッパリしていてうまい。

このママカリ、聞くところによると、全国的には「 サッパ 」と言うらしい。

鰊の仲間で、東北以南の河口、内湾のような汽水域に広く分布しているという。

ブログのカテゴリ

2011年12月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のブログ記事

月別 アーカイブ

最近追加したコンテンツ