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有馬幸三の自叙伝

釣りの思い出(11) 魚と潮

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釣りの行っても魚が針に刺したエサに食いつかないことには、またイカの場合は、餌木かイカズノを餌と見て食いつかないことには釣れない。 

家内によれば、魚をんだまして釣るのは卑怯だ、可哀そうだ、という考えもあるのだが。

魚がエサに食いついてくれるための条件は山ほど沢山ある。 これをすれば必ず釣れるということはありえないので、十分条件というのはない。 必要条件は、大きく分けると、潮(海水)に関すること、エサに関すること、仕掛けに関すること、仕掛けをどう使うか、に関することに分かれる。

潮について言うと、海水は地上の空気と同じように均一でなく、また流れもある。 まず、干潮、満潮による流れがあり、地形によっても流れは変わる。 流れるところもあれば、流れないところもある。 私の知っている瀬戸内では、満潮の流れはゆったりと緩慢だが、引潮の時は川の急流のように流れる。 地形にもよるが。     また、地上に黄砂があるように海水にも濁りがある。 濁りが全然なくてすごく澄んでいる時もあれば、濁っていて見通しが良くない時もある。 澄み過ぎても魚はエサを食わないが、濁っていると魚にエサが見えないので食いつかないで釣れない。

大きな要素としては、海水温がある。 海水の温度と地上の気温には2~3ヶ月の差がある。 海水温の方が2~3ヶ月遅れる。 魚によっては、冬になって海水温が下がると、深場へ移動して釣れなくなり、春気温が上がってくると浅場に帰って来て産卵するものもある。

瀬戸内では、5月ころになると海水温が上がり、鯛がとれ出し、回遊魚のサワラがまわってくるとともに魚が沢山とれる季節に入る。 この時期を「魚島(うおじま)」と言っている。 今年も間もなく魚島がやってくる。

釣りの思い出(10) 東京湾のタチウオ

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新安浦港、久里浜港から出て、観音埼沖でタチオウを釣る。 盛期は9月から12月くらいまで。 タチウオの歯は鋭く、触っただけで指が切れて血が噴き出す。 釣りは、タチウオ専用の針先にサバの短冊を付けて海底2~3メートルから上へリールを巻きながら釣り上げる。 これの繰り返しである。 中には水中ランプを糸につけて魚を寄せる人もいる。 あたりは強烈で、「ガツン」と来てグイグイ引っ張る。この感触が何とも言えない。 また釣り上げたばかりのタチウオの肌(皮)は銀色で光っている。 それは美しい! ただそのまま持って帰って家内に料理を頼むと、鋭い歯が危険だし、捨てるのに困るので、私は船上で頭を落とし、尻尾も切って捨てて帰っていた。タチウオは刺身でもうまいが、私は塩焼きか、から揚げを好みにしていた。

久里浜港の船宿の近くには漁協があり、タチウオのついでに「さわら」、や「タコ」を買って帰った。 あぶらののった「さわら」の刺身はなんともいえなく美味なものだ。

釣りの思い出(9) 新島の高瀬

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下田・須崎漁港の宝栄丸には泊まりがけで釣行に出かけた。 この釣り宿で初めてサンマ寿司を知った。 新島沖の高瀬というポイントがある。 ここでは40センチクラスの大きなイサキがよく釣れた。 よく釣れるもので下田あたりの船が大挙して高瀬に出かけたため、新島の漁協から少し控えてほしいとのクレームがあって、高瀬には釣り船は行かなくなった。 高瀬ではオナガという美味な高級魚もたまには釣れた。 オナガが釣れた時に自宅で刺身にして食べたらイサキや真鯛などとは違った上品な味がした。 それ以来いまだにオナガを食べる機会には恵まれていない。 

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釣りの思い出(8) イサキの夜釣り

                                                             

紅梅20.jpg今ではもうやっていないようだが、昔は伊東ではイサキの夜釣りをやっていた。 家内の実家の近くに福屋さんという米屋さんがあり、そこの主人が川奈の港内に小さな船を持っていて、夏の日の夕暮時にイサキ釣りに連れて行ってくれた。 船は4人乗ると一杯になるくらいの小さな船だった。 船に乗るメンバーは、煎餅屋の主人、床屋の主人、福屋さんの主人に私が多かった。 時々煎餅屋さんか床屋さんの主人がホテルの社長に代わることがあった。 釣り場は、川奈のゴルフ場の真ん前で沖と言うほどは離れてはいない。

 みんなリールやロッドは使わず、手釣りである。 当時はサイズが30~40センチくらいの大きなのがよく釣れた。 1~2時間釣れば10や15は釣れた。 必要以上には多くは釣らなかった。 楽しみは、賭けだ。 3匹重量というゲームで、各人が釣った大きいイサキ3匹の重量で競う。残念ながら私は勝ったことがない。

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釣りの思い出(7) 下田沖でイシナギ

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私がまだ運転免許を持っていない頃のこと。 下田・須崎の宝栄丸に乗って下田沖でイサキを釣っていた時のことだ。 その時は手釣りをしていた。 竿やリールを使用しないで、輪っかに糸を巻いているのを使用していた。   丁度夏の暑い日の昼過ぎだった。 糸を手繰っても根がかりしているのか(地球を釣ってしまったのか)手繰れない。 何度か自分で根がかりをはずそうとしたがはずれない。しようがないから船頭に頼んだ。 船頭に代わってもらった。 船頭いわくこれは根がかりではない。 魚が付いているという。 船頭と交代して今度は自分でゆっくりと糸を手繰る。 確か20分~30分かかったと記憶しているが、大きな魚が上がってきた。 それまで見たこともない魚だった。 魚種は「イシナギ」だという。 長さが1メートルくらいあった。 そんな大きな魚は今に至るまで釣ったことがない。 それでうれしくなって舞い上がったしまった。 タクシーを呼んでもらって伊東の家内の実家まで魚を積んで帰った。 タクシー代は1万数千円かかった。 家内の実家のすぐそばに遠藤さんという魚屋さんがあり、料理をお願いした。 フライとか焼き物にして食べたが味はたいしてうまくなかった。 どうやら私ひとり魚の大きさを喜んだだけだった。

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釣りの思い出(6) スルメイカが133ハイ

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 あれは平成3年(1991年)3月3日のことだった。

 伊東の三好丸にのって川奈港のすぐ前でするめいかをやっていたときのことだ。 ちょうど日暮れ時で薄暗くなりかけていた。 7本イカ角をつけていたらそれに全部イカがついた。 イカが3~4ハイついても、リールを巻き上げるのは大変だ。イカと力くらべだ。イカの引っ張る力は予想外に強い。やっとイカが上がって、船べりを見るとイカだらけ。 重りを投げても仕掛けが沈まない。仕掛けを引き上げると、全部にイカがついている。 イカの群れ(ナブラ)に当たったのだ。 それからも6~7年イカ釣りをやったが、こんな興奮には一度も恵まれなかった。 私は竿とリールで釣ったが、船頭と元漁師は手釣りでさすがに手さばきがよい。 私が133ハイ、船頭は約250ハイ、元漁師も250ハイも釣った。 伊東の親の家に50ハイあげたら近所に配ったそうだ。 自宅へ持って帰って、やはり近所へ配り、スルメにしたり、イカの塩辛にしたり大変忙しかった。

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釣りの思い出(5) 針が親指に

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金目の仕掛けは、おもりを投入すると50センチメーターくらいの枠から糸と針がパラパラとリズミカルに出て行く。 ただし、きれいに仕掛けを作っていたらの話だ。 金目釣りをはじめて間がない頃パラパラt針がでたのはよいが、針が錘の重力で飛び出し私の右手の親指に突き刺さったことがある。他に4~5名乗船していたので、釣りが終了するまで帰港するわけにはゆかない。痛いのを我慢して、港に帰るとすぐ、伊東病院へ行って針を抜いてもらった。そのため自宅へ帰って仕掛けを作って、何回も2階のベランダから仕掛けの投入実験をして工夫した。

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釣りの思い出(4) 船のまわりは3Mの海水

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大島沖へ金目釣行の場合、冬はよく風が吹くので、船頭がよく大島の気象台へ電話をして気象状況を確認した。夜中の12時、1時にせっかく伊東の港へ行っても風が強いと波が高いので、船が出ないこともあった。私の場合家で仕掛けの針にエサをつけてから港へ行くので、船が出ない日は家へ帰ってから、針からエサを外さなければならない。針を洗うとともに外したエサをすてなければならない。

天神丸のエサはカツオのはらみを10~12センチメートルの長さに、短冊状に切ったものを使用していた。早めに港へ行き船頭からエサをもらって仕掛けの針に刺すこともあり、また家でエサを針に刺すこともあった。家で刺す場合はスルメイカを短冊状にして使った。

ある時波が高かったが釣行した。これは船頭の判断だ。大島沖へ着くとかなりの高波で、船が波と波の谷間に入ると周りは波ばかりで、船から見て横には波しか見えない。そうすると船のみよし(先頭)から甲板に海水が押し寄せる。しっかり船につかまっていないと体が海水に持っていかれる。こういう時はもう釣りどころではない。生きた心地はしない。安全のためキャビンへ入っても体はアッチへゴロゴロ、こっちへゴロゴロ、きわめて居心地が悪い。伊東の港へ帰って来てはじめてホットする。

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釣りの思い出(3) 大島沖は川のよう

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 40歳台に約10年金目ダイの釣りをした。

天神丸という船に乗って午前1時から2時に伊東の港を出る。3時間くらいで大島沖に到着する。夜明け前から夜が明けてしばらくの釣りだ。1回の釣行で5~6回しか仕掛けを投入できない。水深は400~600メーターあり、道糸が1000メートル出たこともある。天神丸では大体せいぜい5~6人の釣り人。最初の頃はお客は私一人で、よく船頭と2人だった。船頭は寝るわけには行かないが、私は狭いキャビンで座って寝ていた。天神丸の船頭は人柄温厚でよく面倒をみてくれた。今は体調をくずして引退したと聞いている。

夜明け前に(大島沖に)「着いたよ。始めるから準備してください。」と言われると。右舷の船頭が支持する席に行き、ロッド・ホルダーをセットする。次オリンピックの太鼓型の電動リールをロッド・ホルダーにつける。ロッドとは竿のことで、ロッド・ホルダーとは竿を固定する道具だ。50センチくらいのわっかに20本針がついた仕掛けを電動リールから引き出した道糸につなぐ。仕掛けの先には鉄筋を30センチくらいに切ったおもりをつけている。船頭が「はいやって」というとみよし(船の先頭部分)の人がおもりを投入する。しばらく間をおいて、頃合いを見計らって「はい、次の人どうぞ。」で2番手がおもりを投入する。もたもたしているとその回は投入できないでパスということになる。この調子で次から次へおもりを投入する。大島沖は潮は川のように流れていて、あっという間に船は流される。船頭は流れに逆らって船を進め鮒が流されないようにしながら、おもりを投入させる。

おもりを投入しても竿先を注視していなければならない。おもりが海底に着いたら道糸がそれ以上出ないようにしなければならない。おもりが海底に着いても道糸を出しっぱなしにすると、「お祭り」と言って他人に仕掛けと絡んでやっかいなことになるので、人に迷惑をかけることになる。おもりが海底についたかどうかは竿先を見ていればわかる。一瞬糸の出が遅くなるのを見て判断する。おもりが海底に着くころには糸は500メートルから700メートルくらいは出ている。一番長く出た時は1000メートルだった。

 そうこうするうちに金目が食いはじめる。金目が餌を食うと竿先がわずかにピクピクと動く。そうすると少し糸を送り込む(糸を出す)。他の金目が他の餌を食うとまた竿先がピクピクと動く。あの感触忘れられないね!20本の針に5匹のときもあれば10匹の時もある。一度など船頭が有馬さん、仕掛けをつないで50本針にしてみろというのでそうしてみた。金目が40匹くらい食っていた。もう24ボルトの電動リールがキーキーと悲鳴をあげる。こちらは悲鳴ではなく、大漁で顔がほころぶ。一度など1回の釣行で110匹も釣れて処分が大変だった。たまには良いことのマネをしてみようと老人ホームへ30匹、お年寄りに食べていただこうと思って持って行った。そしたら決められたところからしか買えない規則になっているといって断られた。残念だった。

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釣りの思い出(2) 雷に追いかけられて

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  ある年の6月、伊東の春平丸に乗ってイサキの夜釣りに出かけた。     港を出て15分くらいでポイントに到着した。船頭のきよしさんが「いいよ」  と言って竿を出し、仕掛けを投入すると同時に船が四方を雲に囲まれてし まった。船頭が「悪いけど今日は帰るよ!」と言ったので、釣り具をしまいかけたら今度は雷が船の真上で鳴り始めた。もう本当に20~30メーター 上空でドンガラガラが鳴り、稲妻が光る。赤い光ではなく、緑色のように見えた。竿は甲板の上に横にして置いて、自分は頭を低く下げた。今にも雷が落ちるのではないかと恐怖で頭はいっぱい。この状況は船が伊東の港に着くまで続いた。わずか15分が1時間にも2時間にも思えた。

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