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2010年5月28日

トルコの産物

イスタンブール 街角の果物ジュース屋 1001 .jpg

トルコの産物としては、エーゲ海沿いの地でとれるオリーブ、地中海沿いのオレンジ、

小麦、ざくろ、塩湖からの塩、アナトリア西部の絹、羊・子羊の毛皮などがある。

オリーブは、採った翌日油を絞ると大幅に品質が落ちるので、午前中採ったものを

午後その日のうちに絞るそうです。

エーゲ海、地中海沿いの地日本の瀬戸内海に似ており、似たような魚がとれる。

日本のアジ、サバ、カレーなども魚屋で見ました。

イカやタコもありました。

岩山が多くて、大理石が沢山とれるそうです。

そのせいか、エフェスの古代遺跡では歩道が大理石でできていました。

そうそう宝石のトルコ石もとれます。

イランなどでもトルコ石がとれるそうですが、トルコ以外でとれるものは、トルコ産より

値段が下がるといっていました。

トルコ銀座の横町の肉屋で、羊の頭の皮をはいだ、目玉付きが売り場のガラスケース

の中に置かれていました。 ぎょっとしました。

魚だったらなんとも思わないのに。

食文化の違いなのでしょうか?

2010年5月27日

トルコ 現代のギリシャとの関係 2/2

トルコ&ギリシャ地図 5.18.jpg

上の地図はトルコ&ギリシャの地図で、左(西部)がギリシャ、右(東部)がトルコで、

その間の黒い点線が国境線。

ご覧ととおり、トルコの沿岸近くまでギリシャ領になっている。

レスボス島、キオス島、サモス島、コス島、ロードス島・・・などのトルコに近い島は

ギリシャ領だ。

お断りしておきますが、私はどちらの味方でもありません。

なんでこんなところに興味を持ったかと言うと、トロイやエフェスの遺跡を見ていて

彫像、石の建造物は私の知っているギリシャのものだったからだ。

不勉強を晒しておはずかしいが。

日本へ帰ってきて本を読むと、紀元前7世紀~5世紀のころ、人口が増えたのと、

耕地が狭くて収穫が少ないため、現在のトルコやイタリア南部、シシリー島等々に

ギリシャの都市国家(ポリス)が植民市を沢山作ったからだと知りました。

( ギリシャの面積の80%は岩山で、耕地は20%。 この20%の耕地では、オリーブ

  やブドーくらいしか採れず、穀物が不足していたそうです。 )

トロイもエフェスもギリシャ人が作った遺跡だったんです。

納得しました。

2010年5月26日

トルコ 現代のギリシャとの関係 1/2

エフェス 市役所の跡 .jpg

ギリシャはオスマントルコの時代には、オスマントルコの領土であった。

しかし、オスマントルコがドイツ、オーストリアとともに、第一次世界大戦に参戦、降伏した

後、1919年ギリシャ軍はトルコに侵入した。

トルコのケマル・パシャは、1922年ギリシャ軍を撃退するとともに、トルコ革命を行ない

スルタン制度を廃止した。

ギリシャとトルコは、南北キプロスの分断問題、エーゲ海島しょ部の領有権問題を抱え、

1960年代以降対立が続き、お互いに相手方を仮想敵国の筆頭にしていた。

近年は天然ガス・パイプラインを相互接続するなど関係改善していた。

2010年5月15日付け日本経済新聞によれば、5月14日トルコのエルドアン首相が6年

ぶりにギリシャを訪問、パパンドレウ首相と会談した、とのこと。

2010年5月15日

トルコ 現地ガイドさんのバルチック艦隊についての説明

イスタンブール ボスフォラス海峡を行く船 1001 .jpg

上の写真はボスフォラス海峡。

トルコ旅行の現地ガイドさんが黒海の説明をする時に、バルチック艦隊が黒海から出 発

したと説明した。

そこで、私は黒海ではなく、北欧のバルト海から出発したのが事実だと指摘したら、後で

調べます、との返事だった。

後日日本からの添乗員さんに会う機会があったので、三笠記念館のホームページのコピー

(バルチック艦隊の航路図)を渡して、例の現地ガイドさんに会ったらこの図を見せて説明

してもらいたい旨お願いしておいた。

事実は、バルチック艦隊は、北欧のバルト海から出発、デンマーク、オランダ、フランス、

スペイン、アフリカ大陸の西岸、喜望峰、マダガスカル、インド洋、ベトナム、台湾、のそれ

ぞれの沖を通って、対馬海峡に向かった。

一部支隊は地中海、スエズ運河を通って、本体とマダガスカルのノシベで本体と合流した。

これらとは別に第三艦隊もバルト海から発進した。

第三艦隊は、地中海、スエズ、インド洋を通って、ベトナムのカムラン湾でバルチック艦隊に

合流した。

司馬遼太郎の「 坂の上の雲 」にもくわしい。

2010年5月14日

トルコ トイレ 2/2

グランド テミゼル ホテル の石造.jpg

男性、小用の便器の受けの部分が我々日本人にとっては高すぎる。

私の身長は1702センチで、やっととどいた。

身長が150センチとか、160センチ位の人たちはどうしたのであろう?

トルコ人の祖先は中央アジアの遊牧民だときいている。

東洋人のサイズにしてはやはり高すぎるのではないだろうか?

トルコの人はお客の立場に立って、こうすればお客が便利だとか、こうするとお客が

こまるとか、考えてみないのか。

自己中心的な民族なのであろうか?

トルコの観光業発展のためにも、お客の立場にたって見直してはどうだろう?

2010年5月13日

トルコ トイレ 1/2

イスタンブール 街角の果物ジュース屋 1002 .jpg

トルコ旅行では9日間で約3000Km走って、1日に2~3回はトイレ休憩でガソリン・スタンド

に立ち寄った。

これらのトイレは基本的に有料で、なかには無料のものもあった。

有料と言っても1トルコ・リラ(約70円)であった。

トイレのほとんどがウェスタン・スタイルでよいのだが、説明書きがなかったり、あっても英語

でもなく、まして日本語でもない、多分トルコ語なのだろう。

読めないので、押したり引っぱたり、思いつくことをしても、ウンともスンとも言わないので

諦めたこともあった。

自分が使用したのとは別のトイレ2~3のぞいってみたら、使用後流してないものもあった。

せめて英語で書くなどの配慮がほしい。

2010年5月12日

トルコ ホテルのバス ( お風呂 ) シャワー

エフェス 石像 勝利の女神 .jpg

トルコ旅行では、ホテルに6回宿泊した。

このうち2つのホテルで、シャワーにホースがついていなかった。

シャワーのノズルが固定されていた。

アメリのデンバーのホテルにも同じようにシャワーにホースがついていないものがあった。

シャワーのノズルが固定されていて、ノズルに体を持って行くか、それともノズルにホース

がついていて、ホースのノズルをシャワーをあてたい体の方に持って行くか、どちらが

便利か考えたらわかりそうなものだ。

お客、使う人の立場に立って考えれば自明だと思うがいかが?

ホースがついていないシャワーでお尻を洗う時は逆立ちするのか、それともお尻は

洗わないのか?

2010年5月11日

トルコ トロイの木馬

トロイの木馬1001.jpg

トロイ戦争の際に、ギリシャ軍がトロイの城壁の前に50人の軍勢を潜ませた木馬を

置いて引き揚げた。

トロイ軍はこの木馬を場内に引き入れて放置したという。

夜陰にまぎれて木馬の中の軍勢が城門を開け、攻め込んでトロイは陥落した。

この話おかしい。

戦争の敵が置いて行ったものを中身を調べもしないで、自軍の場内に引き入れた。

そんなことってあるだろうか?

当時は戦争に負けると、兵隊男はは処刑され、住民も皆奴隷になる運命にあった。

この伝説、話としてお粗末過ぎはしないだろうか?

トロイ古代遺跡1001.jpg

2010年5月10日

トルコ トロイ戦争

トロイ古代遺跡1005.jpg

トロイ古代遺跡は、トルコ、アナトリアの西部、ダーダネルス海峡に近い、エーゲ海に面した

ところにある。

トロイ古代遺跡は、現在は海からかなり遠いところにあるが、往時は海から近く、風待ちの

港で、税を取って栄えていたそうだ。

上の写真はトロイ遺跡の劇場の跡で、誰かに劇場の収容人数X10から当時の人口は

6000人前後と聞いた。

エフェスの古代遺跡と比べると、トロイは規模はかなり小さい。

エフェスの当時の人口は約25万人と推定されている。

トロイ戦争は紀元前1250年頃のことだったと考えられている。

トロイ戦争は、トロイの王子パリスが、ギリシャ・スパルタの王妃ヘレネを誘拐したのに対

して、スパルタ王が王妃ヘレネ奪還のため、ギリシャ連合軍で攻めたという戦争だ。

スパルタは、1000隻の軍艦、約10万の軍勢でトロイを攻めたが、トロイ陥落までに10年を

要したと言われている。

トロイも近くの国と連合して戦ったそうだが、それにしてもたとえトロイ2万としても、1:5

で、どうして10年もかかったのだろうか?

そもそもトロイ戦争の原因を、スパルタの王妃ヘレネの誘拐という話が多いが、たかが

王妃1人のために10年も戦争するものだろうか?

わたしは、他にもっと大きな原因があったように思えてならない。

トロイ古代遺跡1007.jpg

2010年5月 9日

トルコ トロイアとアレクサンダー大王

トロイ古代遺跡1006.jpg

上の写真はトロイ古代遺跡。

アレクサンダーは、紀元前356年7月20日前後にフィリッポス時代のマケドニアの

首都ペラ (現在のギリシャ北部のテッサロニキから車で1時間足らずの場所)の

王宮で生まれた。

アレクサンダーは、父フィリッポスの部下やプロの兵士、猟師、馬の調教師などに

囲まれて育った。

父フィリッポスは紀元前343年にはプラトンの弟子だったアリストテレスをアレクサ

ンダーのために家庭教師として招いた。

フィリッポスは紀元前336年かって愛人関係にあった護衛兵に暗殺され、王位を

継承する。

( ギリシャ上流階級の男には両性愛者が多かったという )

父の死の2年後=紀元前334年にアレクサンダーは、騎兵6000人、歩兵4万

3000人を率いて、ヘレスポントス海峡( 現在のダーダネルス海峡 )を越えて

小アジアに渡った。

ヘレスポントス海峡を渡ると、アレクサンダーは子供のころからのあこがれの地

トロイへ向かった。

彼はアリストテレスが注釈をつけた『イリアス』を戦術の手引書と考え、遠征に

際しては短剣とともに枕に下に入れていた。

アレクサンダーとペルシャ軍との最初の会戦は、紀元前334年5月トロイ北東の

グラニコス川( 現在のコジャバシュ川 )で起きた。

マケドニアの重装歩兵隊は通常の槍よりも3メートルも長い槍を持ち、アレクサ

ンダーの優れた戦術と指導力で、ペルシャ軍を攻撃、ペルシャ軍はアナトリアの

内陸へ逃げ帰った。

参考 : 古代ギリシャ、フェニキア ( ナショナル ジオグラッフィク )

2010年5月 8日

トルコ コンヤのリクソス・ホテルでバス・ルーム水浸し

コンヤ リクソス・ホテルのバスルームの床.jpg

トルコ・コンヤは中央アナトリアにあり、セルジュク・トルコの首都であったところ。

上の写真は、私が宿泊したトルコ コンヤのリクソス・ホテル1708号室のバスルーム

の床。

シャワーを浴びて浴槽から出てきたら、バスルームの床が水浸し。

バスタオル2枚で拭いても全然歯が立たない。

あきらめて食事にホテルのレストランへ行く時添乗員のKさんに事情を説明したら、時々

こういうことがある、とのこと。

食事がすんで部屋へ帰ったらバスルームはきれいになっていた。

このホテル、以前はヒルトン・ホテルで5つ星とか。

トルコで6つのホテルに泊まったが、洗面所に体重計を置いてあったのはこのホテルだけ。

良いホテルだのに残念。

今はロシア資本が買いとり経営しているとのこと。

排水設計のミスでこうなると説明があった。

なぜ修理しないのか? 不思議だ。

本当に元ヒルトン・ホテルだったのか?

部屋もベッドもゆったりしていて快適だったのに。

下の写真はリクソス・ホテルのベッド。

寝心地はなかなかよかった。

コンヤ リクソス・ホテルのベッド.jpg

2010年5月 7日

トルコ 革製品 (かわせいひん)

トルコのモデル.jpg

現地ガイドさん、革製品店の説明によれば、トルコの皮製品非常に上質で、イタリアや

フランスのブランドがトルコから仕入れるという。

革製品店デファッションショウに案内された。

上の写真は最新?の革製品を着たモデルさんだが女性、男性のモデルさん数人ずつが

舞台の上でショウを繰り広げる。

最後に我々観光客の中から男性と女性が一人づつモデル?にかりだされるというオマケ

までついていた。

この店でも10人くらいは買ったようだ。

私が知り合った婦人靴のデザイナーで有名なNさんは20万円のブレザーを買った。

Nさんのように頻繁にイタリアへ行き、革製品を知りつくした人が買うのだから信頼できる

上等のものに違いなかろう。

お友達になった女性のYさんも10万円位のものを買った。

革は薄くて柔らかい。 

年数が経ってもかたくならない、と言っていた。

子羊の革だそうだ。

現地ガイドさんによれば、トルコ人は、羊か子羊の革しか着ない。

ヤギは臭い、牛は重い、ブタはかたい、からだそうだ。

トルコは、中央アジアの突厥(トッケツ、別名チュルク)という遊牧民族が牧草を求めて

西へ移動してきた国を創った民族だから、もともと羊をフル活用してきたものと思われる。

下の写真は、革製品店の売り子の親玉が売り込んでいるところ。

トルコ革製品店2001.jpg

2010年5月 6日

トルコ トルコ絨毯(じゅうたん)

トルコ絨毯 1004 .jpg

観光の途中にトルコ絨毯の店に案内された。

我々お客はコの字型に座り、前に説明役の男が立つ。

頭の後ろで髪を結んだ中年の男性が、流れるような口調の日本語で説明、3人の男が

絨毯のロールを持って立って待っている。

説明役の説明にしたがって絨毯を広げて見せる。

いかに上質か触らせて確認させる。

トルコ最高のブランドは、「 ヘレケ 」の価値を見せ、触らせて確認させる。

買う心理をもりあげる。

元営業の私が見てもこのデモは見事だ。

トルコ・コーヒーや紅茶が出される。

お客の様子を見ていた店員は、買いそうなお客をみつけてたたみこむ。

売買契約が成立する都度拍手する。

10回くらい拍手が聞こえたので、10人くらい買ったことになる。

後で聞いたら、バスで私の隣に座った74才の千葉のHさんは¥538,000の絨毯を

1枚買った、と聞いた。

何と最高額は100万円の絨毯を買った人がいたという。

下の写真はトルコ絨毯の織り子さん。

トルコ絨毯は織り子さんの長い忍耐と労働の結晶だと聞いた。

トルコ絨毯の織り子 1002 .jpg

2010年5月 5日

トルコ 魚屋 2/2

イスタンブール 魚屋 1001 .jpg

トルコで一番大きな都市イスタンブールは、旧市街と新市街に分かれる。

新市街のタクシム広場はバスやメトロなどのターミナルで交通の要衝。

このタクシム広場はイスタンブールの銀座 ”イスティクラル通り”へ続いている。

なんともあかぬけない、暗い感じの執りだ。

ガイドさんからは横町に入るなといわれていたが入ってみた。

横町は日本の商店街のようにいろんな店が並んでいる。

羊の肉、頭を売っている店、魚屋、八百屋、果物屋、ムール貝にご飯のようような

ものを詰めて蒸したようなものを売っている店・・・と食べ物が豊富にある。

ムール貝の詰め物がおいしそうだったが、昔フィリピンのマニラでムール貝に

あたって激しい下痢をしたことを思い出し止めた。

私は漁師の子孫で子供のころ海辺で育ったせいか魚のことが大好き。

なので魚屋に注目、のぞいてみた。

上の写真はその坂に屋の写真。

タコもあればイカもある、エビ、メバル、マグロ 、いしもちに似た魚、形はグロテスク

だがカレーに似た魚 ・・・ と日本と同じような魚が売り台に並んでいる。

魚屋を4~5軒のぞいたが、ここにはアジやサバ、イワシを並べていないので、

高級品を扱う店ばかりだったのかもしれない。

下の写真は、数軒ある八百屋の中の1軒の風景。

こんなに野菜が豊富なのにツアーの食事にはほとんど野菜は出てこなかった。

イスタンブール 八百屋 1001 .jpg

2010年5月 4日

トルコ 魚屋 1/2

トルコの魚屋1002.jpg

ダーダネルス海峡をカーフェリーに乗って、ヨーロッパ側からアジア側へ渡った。

乗船時間は約30分。

ヨーロッパ側の港がゲリボルで、アジア側の港はラプセキ。

我々のツアーは、ゲリボルのレストランで昼食をとった。

昼食にから揚げにしたサバ(鯖)が出た。

やせたサバで、まずいかと思ったが、食べてみると結構油がのっていてうまかった。

レストランからカーフェリーの乗り場へ歩いて行く途中、港の近くに魚屋が2軒あった。

上の写真は、そのうちの1軒の店の写真。

魚種は日本のサバ、アジ、イワシと同じもので、他にも似たような魚が並んでいた。

魚好きの私はなんだかなつかしくなった。

カーフェリーから海を見渡したが、漁をする漁船は見えなかった。

漁場が違うのか、それとも早朝漁をするのかいずれであろうか?

魚らしいい魚を食べたのはゲリボルのレストランだけだった。

トルコの漁師1001.jpg

2010年5月 3日

トルコ アンカラ・エクスプレスの一等寝台

アンカラ・エクスプレスの一等寝台 .jpg

 2010年4月9日(金) トルコの首都アンカラ発 22:30 イスタンブールはハイダル・

パッシャ駅に向けて列車は出発した。

乗った車両は一等寝台で 6号車17番 のルーム。

この列車、面白い。

ルームの中からは鍵がかかるが、外からは鍵はかからない、というもの。

ルームの中に小さな洗面所と鏡がついている。

コンセントもあるので、お友達になったYさんにデジカメの充電器を借用、充電した。

上の写真が私の乗ったルームで、基本的に2人用だが、当日は私一人が使用。

座る席をたたんで、上からベッドをガタンと下ろすと、できあがり。

何んとも狭い。

ボーイさんが来て、ベッド・メイクしてくれたので、1トルコ・リラ(約70円)を渡した。

約50年前に大阪から東京まで乗った確か特急”つばめ”一等寝台を思い出した。

”つばめ”の一等寝台は、幅も長さもゆったりしていて、ボーイさんが靴を磨いてくれたり、

洋服にブラシをかけてくれた。

ま、安い料金のツアだからしょうがないか。

ハイダル・パシャ駅到着予定は7時15分だが、8時に到着した。

遅れて着くのはいつものことという。 郷に入っては郷に従え、というではないか。

列車には食堂車は1両で、日本人や韓国人のツアが多く、各ツアが交代で食事を

とる。

このため我々のツアは午前5時30分~6時までの30分に食事をすることになった。

食事といっても、コンチネンタル・ブレックファーストといって紅茶とパン/ジャム、

ゆで卵、チーズ、トマト、キューリ、オリーブの実、ハムで早朝なのでのどをとおらない。

トルコのパンはお世辞にもうまくない。

下の写真がその朝食。

あまり寝られず、うとうとしているうちに朝食の時間になった。

アンカラ・エクスプレスの朝食.jpg

2010年5月 2日

トルコ カッパドキアの風景

カッパドキアの奇岩 1003 .jpg

中央アナトリア地方・カッパドキアの地形は数億年前の火山噴火と風雨によって生まれた。

何層にも積み重なった溶岩と凝灰岩層を風雨が浸食、奇岩が生まれた。

上の写真は奇岩の一つ。

カッパドキアには7000~8000年以上前から人が住み始めたとされるが、7世紀ころ

イスラム教徒から逃れたキリスト教徒たちが洞窟に穴を掘り、住居、教会、修道院を

作り住んだという。

カッパドキアには地下都市が300以上あるというが、地下8階まであるというカイマクル地下

都市に20メートル位入ったところで私は気分が悪くなり来た道を出させてもらった。

ひょっとしたら閉所恐怖症なのかもしれない。

この地下都市には4000~5000人が住んでいたと推定されており、食料庫、台所、

教会などがあると聞いた。

カッパドキアには下の写真のような奇岩もある。

この岩はその形から”ラクダ岩”と呼ばれている。

洞窟レストランで昼食をとったが、そこで飲んだカッパドキア・ワインはなかなか

おいしかった。

カッパドキアの奇岩 ラクダ岩 .jpg

2010年5月 1日

トルコ チューリップの源種はアネモネ

イスタンブール チューリップ 1001 .jpg

トルコ・ツアーの現地ガイドさんによれば、チューリップの源種は中央アジアのアネモネ

だそうです。

そう言えばアネモネの花弁(はなびら)とチューリップの花弁は似ています。

トルコは中央アジアの遊牧民族:突厥(とっけつ、チュルクとも呼ぶ)が西へ牧草を求めて

移動して作った国家。

トルコという名称はチュルクから来ているそうです。

オスマン・トルコはイスタンブールに壮麗なトプカプ宮殿を建築するとともにその版図

を拡大。

拡大した領土から持ち帰ったチュリップをトプカプ宮殿に植えたのかもしれません。

チューリップはトルコの国花になっています。

イスタンブールのトプカプ宮殿の中にも、町にも、そして訪問した町に、田舎にチュー

リップが植えられていました。

現地ガイドさんによれば、16~17世紀にオランダの外交官がトルコから3個のチュ

ーリップの球根を秘かに持ち帰り、オランダにおける1637年の世界最初のバブル

経済事件につながった、と聞きました。

チューリップの”バブル”(球根)で経済事件の”バブル”が起きました。

上の写真はトプカプ宮殿の中庭に植えられたチューリップで、下の写真は

確かパムッカレというところの道端に咲いていたアネモネの花です。

なんとなく花びらが似ているように思います。

パムッカレ アネモネ .jpg

2010年4月30日

トルコ イスタンブール アヤソフィアのモザイク画

イスタンブール アヤソフィア 漆喰の下から出てきた顔 .jpg

 アヤソフィアは、ビザンチン時代にはキリスト教の教会として建てられ、オスマン・トルコ

の時代にはイスラム教のモスクとなった有名な大聖堂である。

そもそもアヤソフィアとは「 神の智恵 」を意味するそうだが、イスラム教徒がモザイク画

を漆喰(しっくい)で隠したのは意図しなかっただろうが、神の知恵であった。

パキスタンのように破壊してしまえば、二度と元どおりにはならないが、漆喰を塗ったの

であれば漆喰をはがせば元の画像を見ることができる。

上の絵の中央に人の顔が見えている。

イスラム教徒は偶像崇拝禁止で、人の顔は描かない。

イスラム教の下からキリスト教が顔をだしている。

上の漆喰をはがすとどんな絵が出てくるのだろうか?

楽しみだ。

2010年4月29日

トルコ カッパドキア 洞窟教会のフレスコ画

 カッパドキア 洞窟のフレスコ画 1010 .jpg

 カッパドキアには4世紀ころからキリスト教徒が住み始めた。

イスラム教徒の圧迫から逃れて9世紀ころから洞窟教会や修道院を作り始め10世紀

には400以上の教会があったと言われる。

教会は鮮やかなフレスコ画で飾られていた。

上下の写真はその中の2枚。

カッパドキア 洞窟のフレスコ画 1011 .jpg

2010年4月28日

トルコ 七つの地方 3/3

イスタンブール アヤソフィア マリアとキリスト像 1001 .jpg

 6. 東アナトリア地方

  ・ 東に行くにしたがって山は高くなる。

  ・ アララット山 ( 5160メートル )は、ノアの箱舟が漂着したところという伝説がある。

  ・ チグリス、ユーフラテスの源流はトルコのこの地方。

    チグリスは女の子名前で、イラクに至り、ユーフラテスは男の子の名前でシリアに至る。

  ・ 猫の珍種がいる。 毛は真っ白で、左右の眼の色が異なる。

7. 南東アナトリア地方

  ・ シリア、イラク、イランなどと国境を接する。

  ・ クルド人が多い。

    湾岸戦争でクルド人250万人がトルコへ逃げてきて、イラクに帰らずそのまま

    住んでいる。

  ・ 畑の土は良いが、水がない。

   このためユーフラテス川上流にダムを作った。

* トルコの失業率は約10%。

  人口構成は、日本と逆で、65才以上は全人口の3%。

2010年4月27日

トルコ 七つの地方 2/3

エフェス 石像 1001.jpg

 4.黒海地方

  ・ 海が濃紺で黒く見えるので、黒海という。

  ・ イワシがたくさん獲れる。

  ・ ヘーゼルナッツを栽培している。

  ・ 空がいつも暗い。

5. 中央アナトリア地方

  ・ トルコの首都アンカラ(人口約400万人)がある。

  ・ アンカラという名称は、アンゴラ(アンゴラヤギ、ウサギ)に由来する。

  ・ コンヤは大穀倉地帯で、麦やピートがとれる。

  ・ テゥズ湖という塩湖があり、塩分濃度が35%、大量の塩を生産している。

  ・ 紀元前1800年頃アナトリアを支配したヒッタイト帝国の首都がハットゥシャシュ。

    ヒッタイトは鉄を初めて生産したことで有名。

  ・ コンヤは11~12世紀に栄えたセルジュク・トルコの首都。

  ・ コンヤ、アンカラ、カッパドキアは冬季は-15℃になることもある。

  ・ カッパドキアは、奇岩で有名であるが、7世紀キリスト教徒がアラブ人から逃れて

    岩山に住居や教会を作り、住んだという。

    洞窟の教会には、キリストやマリアなどのフレスコ画がたくさん残っている。

2010年4月26日

トルコ 七つの地方 1/3

エフェス 古代遺跡 図書館の彫像 1004 .jpg

ツアーの現地ガイド・メフメットさんによれば次のとおり。

1. エーゲ海地方

   エーゲ海に面した比較的暖かい地方。

   ・ いちじく、いちご等がとれる

   ・ 見渡す限りオリーブの木が続く。

   ・ 綿もとれる ( 10月収穫 )

   ・ ドイツ、オランダ、スイス、ベルギーなど北ヨーロッパの人たちの来訪が多い。

   ・ トルコに近い島々でギリシャ領が多い。

2. マルマラ地方

   マルマラ海に面した地方

   ・ トルコ第一の都会:イスタンブールがある 人口1300万人。

   ・ イスタンブールの平均的な収入は地方の約2倍で、地方から人が流入する。

   ・ トルコの北には黒海があり、地中海へ出るには、北から順に、ボスフォラス海峡、

    マルマラ海、ダーダネルス海峡を通らなければならない。

   ・ イスタンブールは海峡を隔てて、ヨーロッパ側(トラキアと呼ぶ)とアジア側に

    分かれている。

   ・ ダーダネルス海峡の一番狭い部分の幅は約1Km。

   ・ ダーダネルス海峡、ボスフォラス海峡を、ヨーロッパ側からは十字軍、

   ・ アレクサンダー大王等が、アジア側からは1453年オスマントルコのメフメット2世

     がコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)を攻略、ビザンチン帝国は滅亡

    するなど、軍隊と文明の十字路になっている。

   ・ アジア側のプルサでは蚕を飼ってシルクを作っている。

   ・ イスタンブール銀座の横町には魚屋が何軒もあり、魚種は豊富。

   ・ 西側のギリシャ、ブルガリアと国境を接している。

3.地中海地方

   ・ オレンジがとれる。

   ・ 魚も豊富。

2010年4月25日

トルコの食事

ある日の昼食 .jpg

食事(ツアーでの)の全体的な印象は、葉物野菜はほとんど出ず、パンと塩漬け

オリーブの実、ヨーグルトが基本になっているようだった。

トルコは中央アジアの遊牧民が牧草地を求めて西へ移動して出来た国のせいか、

ヨーグルトはうまかった。

ケバブ(焼き肉)も出るには出たがたいしてうまいものはでてこなかった。

パンもうまいものはなかった。

トルコは90数%がイスラム教徒なので、豚は食べない。 

羊の肉が多いそうだ。

2010年4月24日

トルコ エフェス都市遺跡 灯台

エフェス遺蹟1009.jpg

写真はプリタネイオンの柱。

ギリシャ語とラテン語がかかれているという。

エフェスの象徴である女神ヘスタの聖火が数世紀にわたって灯り続けたところ。

紀元前3世紀に完成し、その後大規模な拡張が行なわれた。

聖火はプリンタと呼ばれ、名家が務める名誉職であった。

往時はエフェスは天然の良港として繁栄、聖火は現在の灯台の役目を果たした

のであろう。

2010年4月23日

トルコ エフェス都市遺跡 

エフェス 古代遺跡 玄関の頭上 .jpg

写真はハドリアヌス神殿の2つのアーチのうち、後ろのアーチ。

この神殿はお金持ちのクインティリウスが皇帝ハドリアヌスに献上、138年に

完成したという。

花やアカンサスの葉につつまれた女性の上半身が彫られている。

やはり2000年も前のものが今に残るのは石の文化だから。

日本のように木と土では2000年後には残らないだろう。

トルコを観光して回ってわかったことだが、トルコの国土は岩山ばかり。

ところどころで大理石を切り出している。

取れる作物は、エーゲ海地方はオリーブ、アナトリア地方は麦でトルコ人は

小麦からできるパンとオリーブの実を常食すると聞いた。

2010年4月22日

トルコ エフェス都市遺跡 歩道の案内図

エフェス 古代遺跡 路面の道案内 .jpg

エフェスの歩道は大理石で敷き詰められていました。

この国では大理石が沢山とれるらしく、歩道も大劇場の席も、彫刻もあらゆるところに大理石

が使われている。

インドを旅行した時に聞いた話だが、大理石の色は、白、赤、黒、緑があるとのこと。

トルコの大理石は白だけだった。

その大理石の一つには、上の写真のような案内図が刻まれていました。

十字は十字路を、足は方向を、女性は娼婦を、表わしているそうで、娼館への案内図。

この写真ではわかりませんが、値段まで書いてあるとのこと。

図書館のすぐ前に娼館がありました。

昔から港町には、酒と女はつきものと聞いていますが、図書館の前に娼館とは、当時の人が

おおらかだったのか、現在とモラルが異なっていたのか、どちらだったのでしょうか?

2010年4月21日

トルコ エフェス都市遺跡 大劇場

エフェス遺蹟1003.jpg

ローマ人は領土のいたるところに劇場や風呂を造ったそうですが、エフェスの大劇場は

その中でも最大級。

座席には大理石が敷き詰められ、高さ40メートル弱、直径160メートル弱、25,000名

を収容できたという。

現地のガイドさんによれば、人口10人に1席の割合で、当時のエフェスの推定人口は

約250,000人とのこと。

この大劇場は、娯楽や会議に使用されたそうです。

パンとサーカスの一つです。

舞台(写真左上の斜めの部分)で手をたたくと、反響します。

下の写真は、歩道のモザイクです。

何と2000年以上前に道路にモザイクで模様が描かれていたとは!

 エフェス 路面のモザイク .jpg

2010年4月20日

トルコ エフェス都市遺跡 水洗トイレ

エフェスのトイレ.jpg

 上のようなトイレが10個くらい並んでいて、仕切りもなく、お互いに会話しながら排泄

したようです。

隣との間には仕切りはありません。

 

これが本当の「 しりあい! 」だと現地のガイドさんがいっていました。

便器の前には手洗いのため溝に水がながれていました。

驚くことに今から2400年も前にすでに水洗トイレを使用していました。

私など今から50~60年前に父の田舎に行くと、ポットン便所だったというのに。

2010年4月19日

トルコ エフェス都市遺跡 セルスス図書館

エフェス 古代遺跡 図書館 1001.jpg

上の写真がセルスス図書館で、エフェスで一番優美な建物と言われる。

この図書館はティベリウスが父セルススのために立てたもので117年に完成しました。

蔵書は1万冊を誇り、エジプト・アレクサンドリアの図書館と肩をならべるほどの規模でした。

263年ゴート人の攻撃により焼失しました。

図書館に向かって右奥には、アゴラと呼ばれる取引所がありました。

2010年4月18日

トルコ エフェス都市遺跡

エフェス 町の跡 1001 .jpg

トルコへ1週間あまり行ってきました。

トルコ アナトリア半島 西南部にエフェスという都市遺跡があります。

紀元前11世紀、エフェス近郊にイオニア人による都市国家が成立、当時はエーゲ海沿いの

天然の良港として繁栄しました。

しかし、紀元前3世紀港が土砂で埋まり、かつマラリアが発生したため、リシマコス帝は現在

遺跡のある丘に囲まれた土地に移転しました。

伝説によれば、聖母マリアがキリストの死後聖パウロとともに余生を過ごした地といわれます。

坂を下って正面に見えるのは、図書館。

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