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2008年7月11日

漢字の正確な読み方に自信は? (13)

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次の漢字は何と読むのでしょうか?

①. 言 語 道 断 

②. 手 練 手 管 

③. 傍 若 無 人 

④. 日 常 茶 飯 事 

⑤. 異 口 同 音 

⑥. 上 意 下 達 

⑦. 一 言 一 句 

⑧. 順 風 満 帆 

⑨. 画 竜 点 睛 

⑩. 是 々 非 々 

-----------------------------------

読み方とおおよその意味は次のとおりです。

①. 言 語 道 断 : ごんごどうだん  ( とんでもない。 もってのほか。 )

②. 手 練 手 管 : てれんてくだ  ( 人をあやつる手段、技巧 )

③. 傍 若 無 人 : ぼうじゃくぶじん  ( 人前をはばからず勝手気ままにふるまうこと )

④. 日 常 茶 飯 事 : にちじょうさはんじ  ( ありふれた平凡な物事のたとえ )

⑤. 異 口 同 音 : いくどうおん  ( 多くに人が口をそろえて同じことを言うこと )

⑥. 上 意 下 達 : じょういかたつ  ( 上位の者の意志や命令を下位の者に通じさせること )

⑦. 一 言 一 句 : いちごんいっく  ( ひとことひとこと )

⑧. 順 風 満 帆 : じゅんぷうまんぱん  ( 追い風を帆一杯に受けて船が進むように、物事が                                     順調に運ぶこと )

⑨. 画 竜 点 睛 : がりゅうてんせい  ( 物事を立派に完成させるための最後の仕上げ )

⑩. 是 々 非 々 : 良いことは良い、悪いことは悪い、とことに応じて判断すること )

2008年1月 6日

インド渡来の神様

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2006年1月にインドを旅行したときガイドのモフィさんから土産にいただいたインドの神様の
額を今も私の机の上に飾ってある。写真はその額の写真。
神様の名前はインド名を聞いてもわからないが、日本名を聞くと、はるか昔私が子供のころ
田舎で父母から聞いた覚えがあるありがたい神様である。
神様は3人でうまく役割分担されている。というか、人間の欲望を上手に表現している。
どの神様の役割にも富が入っている。
写真右から、ガネーシャ様 → ラクシュミー様 → サルスワティー様 の順。

(1).ガネーシャ様
   ①.日本名 : 歓喜天、聖天
   ②.役 割 : 財産、富、学問 の神様

(2).ラクシュミー様
   ①.日本名 : 吉祥天
   ②.役 割 : 美と富 の神様

(3).サルスワティー様
   ①.日本名 : 弁財天
   ②.役 割 : 富と学問 の神様

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2006年12月17日

46.インド (6).IT ⑦

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(8).インドのソフトウェア会社の活用法

   規模の大きなソフトウェア開発で、仕様が決まっていて、持ち出しができるものがイン
   ドのソフトウェア会社活用に向いている。
   インド人SEは、Java、.NETなど新技術に秀でており、大量のコーディングもなんな
   くこなす。
   インドで開発するので、日本への渡航費用、滞在費などがかからないためその分安
   価にできる。
   インド国内にも日本語の出来るSEがかなりいるし、日本語での開発環境も整備され
   ているので心配はいらない。
   インドと日本とのコミュニケーションは、メールもあるし、電話も可能。私の関与した
   インド・プネのM社(社員数70名)には日本語のできるSEが約30名もいた。
   なんでもインド・マハラシュトラ州の言語:マラティー語が日本語と構文が似ていて
   覚えやすいと聞いた。
   ただし、開発プロジェクト管理方法についてはインド側と日本側でよく打ち合わせ、
   頻繁にチェックポイント・レビューを行なうのが安全。
   くれぐれも日本的な発想でなく、アメリカン・スタイルで考え行動することが肝要。

45.インド (6).IT ⑥

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昨年3月から本年5月にかけて、日本のソフトウェア会社約200社を訪問したが、オフショア
のソフトウェア会社を活用して成功した会社はたった1社であった。
その1社も、10年前から中国のソフトウェア会社を活用して失敗、その原因を究明して、
やっと5年前から成功、オフショア活用のメリットを享受できるようになった。
つまりどのソフトウェア会社もオフショア活用に最初は失敗しているということになる。
成功方法をこっそり教えていただきました。
自社の若くて、英語ができるSEをオフショア専任にアサインしてからは失敗はなくなり、
現在は満足している、とのこと。
失敗には色々な原因があり一概には言えないが、一つの成功事例として参考にしては
してはいかがでしょうか?

44.インド (6).IT ⑤

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(7).契約 :

  ①.日本では、いまだにソフトウェアを受注する時、仕様が決まっていないのに、価格
    だけ決めて、仕事が始まる場合が多々ある。 
    採算はプロジェクト・マネージに懸かってくることになるが、本来作業量、品質が決
    まっていないのに、価格を決めるという論理矛盾があるという事も言える。
    日本企業では、終わってみると何億円赤が出たと言う話を度々耳にする。
    インド企業はこのような仕様が決まっていないのに価格を決めて仕事を始めるとい
    う受注は決してしない。
    ビジネスの常道に忠実である。日本企業も見習うところもあるのではないか?

  ②.日本のソフトウェア会社からは、インドのソフトウェア会社は契約どおりにしか仕事
    をしない、との批判を時々聞く。
    欧米のビジネス・スタイルからすると、①のような丼勘定的ビジネスは論外なので、
    日本企業の方が改めるべきところではないだろうか?
    むしろ、契約どおり実行するのは当然ではないか?

43.インド (6).IT ④

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(5).食生活 :

  日本人はインドといえばカレーを思い出し、カレーの好きな人も多い。
  最近は日本にインド人のインド料理屋が多くなったが、日本人はベジタリアンか、
  ノンベジタリアン(通称ノンベジ)かは区別しない。
  しかしインド人は区別する。 ソフトウェア開発に従事するインド人のSE、プログラマー
  などの連中は上位カーストの人でノンベジが多い。
  その上毎日カレー屋に通うわけにもゆかないので自炊しなければならない。
  SEの勤務時間は不規則なことも多く、自炊は大変だ。
  インド人は日本へ来ても、日本食で通す人はほとんどいないようだ。
  郷に入っては郷に従えとはなかなかいかないようだ。

(6).ホームシック :

  インド人は、日本へ来ても日本社会にとけこもうとする人は少ない。 
  日本人の偏見と文化、食生活が大きく違う点もその原因。
  日本へ来るインド人SEは20歳代から30歳代前半の若い人がほとんどだが、話し
  相手がいないため、疎外感が強く、ホームシックになるケースもある。

42.インド (6).IT ③

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(3).日本人の偏見
   日本企業のソフトウェア開発では、発注段階でソフトウェアの仕様が決まっていない
   ことが多く、ソフトウェア会社のSEが客先に出向いて客先と相談しながら仕様を決め
   ていくことが多い。
   そうなると日本人社員とインド人SEが向き合って一緒に仕事をすることになるが、
   日本人社員は「ちょっと・・・。」と拒否反応を示すケースが多い。
   日本人が改めなければならないことだが、色の黒い、中近東系の顔に弱いようだ。

(4).面接
   ソフトウェア会社のSEに仕事を発注しようかと検討する場合は、どこでも同じだが、
   スキル・シートをパスしたら面接することになる。 
   インドから面接のために日本へ出張ということだと、もし合格しない場合は人件費、
   渡航費用、滞在費等が、収益がないのに発生することになる。
   中国、韓国だと2~3時間で日本へ来られるが、インドだと10時間はゆうにかかる。 
   時間がかかれば出張費用も増大する。
   インドのソフトウェア会社のSEで日本へ来ている人は、ほとんどお客様で仕事をし
   ている人達で、浮いている人はいない。
   したがって、面接できるのは、近々お客様との契約が切れる見込みのSEに限られる。
   優秀なSEほどお客様は離さないから、面接はそれほどでもないSEになる。
   インドのソフトウェア会社が、中国、韓国のソフトウェア会社に比べて持つ弱点だ。

41.インド (6).IT ②

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私がインドのソフトウェア会社の日本でのビジネスの可能性が低いと判断する理由は次の
諸点だ。

(1).一般的にインド人SEの価格が1人月60~70万円と高い。
  中国人SEの価格は30~40万円で、インド人SE価格の50%~60%。日本人SE
  価格とあまり違わない。これではオフショアを使うメリットがない。

(2).言語の問題
  日本語は、日本人でも正確に話し、書ける人が少ない難しい言語。日本へ来ている
  インド人は日常会話はできるが、文章を書くとなると問題がある。
  ソフトウェア開発ではドキュメンテーションはSEの必須能力だが、彼らは日本人が使
  わないような表現の仕方をする。
  某銀行の面接でこの点で合格しなかったことがある。

40.インド (6).IT ①

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(1).インドでITが発展している理由は次の3つだと思う。
  ①.インド人がゼロを発見した国民で数字に強い。
  ②.子供の頃から英語で教育を受けているので、英語圏で仕事をするのに不自由
     しない。
  ③.インドには産業らしい産業がなく、かつ莫大な設備投資をしなくても参入できる
     ビジネスとしては、ITが最適である。

(2).インドIT産業の今後。
  ①.インドから見たソフトウェア輸出総額に占める日本の比率は、3~4%と聞いて
    いる。 今やインドのIT企業の的はアメリカ、ヨーロッパが中心だ。 日本でイン
    ドのIT企業が大幅に伸びるか否かについてははなはだ疑問だ。
  ②.アメリカ、ヨーロッパの経済が発展するとは考えられない。 インドのIT企業は、
    中国、東南アジアで活躍すると私は見ている。 アフリカ経済もここ数10年は
    発展するとは思えないから。
  ③.インドIT産業の国内需要はインドの経済力にかかっているが、インド経済は恐
    らくここ20~30年はインフラ整備に追われて、大して大きくはならないものと思
    われる。

今後20年経つとインドの人口は中国を追い越すと聞いたが、カーストの最下層のシュ
ードラ、アウトカーストと呼ばれる人達の経済力を引き上げてどこまでマーケットに出来
るかにかかっているのではないだろうか?

39.インド (5).宗教、身分制度

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(1).宗教 : 

   ヒンズー教徒は人口の82%。 イスラム教徒11%、 キリスト教徒2.6%、シーク
   教徒2%、仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.5%。

   イスラム教は16世紀にムガール帝国がインドを支配するに従い増大した。

   頭にターバンを巻き、ひげのある人達はシーク教徒で、インド西北部のパンジャブ州
   に多いそうだ。 仏教発祥の地インドでは、今や仏教徒は少数派。

(2).身分制度(カースト制度) : 

   最上位から下へ順に、バラモン(僧侶)、クシャトリア(貴族、豪族など)、バイシャ(商
   人、工業従事者)、シュードラ(農業労働者)の4階級があるが、更にその下にアンタ
   ッチャブル(またはアウトカースト)と呼ばれる階層がある。ヒンズー教とカースト制度
   は密接不可分の関係にある。

1950年のインド憲法の施行にともないカーストによる差別が禁止されたが、カースト制度
そのものは廃止されていない、と聞いた。

38.インド (4).人種、言語

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(1).人種 : 

   北部のインド・アーリア系、南部のドラヴィダ系、東北部のモンゴル系民族と少数民族
   で構成される多民族国家。正確な民族数は不明。

(2).言語 : 

   連邦公用語はヒンディー語(人口の4割が使用)だが、地方公用語としては18の言語
   が認められている。 
   英語は準公用語。 他に私が名前を聞いただけでも、ベンガル語、パンジャブ語、マラ
   ティー語、ラジャスタン語、タミール語などがあり、一説によると言語数は1,000を超
   えると言われる。

プネのM社のG氏によると、なんでもインドでは小学校から授業は英語で行なわれる。 
インド人がアメリカでIT技術を磨いた背景には言語も一つの要因かと思われる。

37.インド (3).道路

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(1).ムンバイ(=ボンベイ)→プネ 200Km,ジャイプール→デリー260Kmはほとんど
   舗装されているが、夜間の照明灯がない。 インド入国初日に真っ暗の高速道路を
   3時間もブッ飛ばす運転手は怖かった。 それも現地時間の午前3時~6時、事故が
   起きたら命はなかったでしょう。

(2).前記以外は大体舗装されていない。 サトナ→カジュラホ 150Kmの舗装されてい
   ない、照明もない夜道、それも時々一車線になったり工事中。 車が走った後は砂煙
   がもうもうで後ろから来る車は前が見えない。 対向車はどの車もライトをアップライト
   にしたままでまぶしい。 しょっちゅう足が突っ張る。 

(3).インドの面積は、328万平方キロメーターで日本の約8倍の面積。 国土が広いの
   で、都市部から順に道路を整備していると思われる。 土木業は有望かもしれない。

(4).道路に夜間照明がないのは、証明設備の金がないのと、もう一つ電力不足のため
   のようだ。 そう言えばプネのホテルでは夜中に何度か電気がきれて暗闇が訪れた。 
   多分ホテルの自家発電切り替えたためか、すぐ回復した。
   ソフトウェア開発業の会社はどうしているのだろうか? ソフトの開発やテスト中に突
   然停電になるとデータが消えたりトラブルが発生するが。 自家発電機の商売がいい
   かもしれない。

36.インド (2).トイレ

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(1).インド入国早々にボンベイのホテルで休息。 
   トイレを利用したが、男子用ロイレの受け口が高いこと。 大和民族の男にはやっと
   届くほど。 そう言えば昔ロンドンで2メートルを超える男を見た。 英国の植民地が
   長いので、イギリス人用にこしらえてあるのかもしれない。これ「ひがみ」かな?

(2).インドで初めて泊まったホテルにはトイレにトイレット・ペーパーがなかった。 
   電話して持ってきてもらったが。 用心のためにティッシュペーパーを多めに持ってい
   たけど。プネのM社のトイレには、何故かバケツが置いてあった。処理した手をその
   バケツの水で洗うためらしい。 トイレットペーパーもあったが。 ホテルにはトイレット
   ペーパーはあったが、それようの洗面器もあった。

(3).インドでは水道の水を飲んではならない、氷も水道の水で作っているかもしれないの
   で、食べてはならないと教えられた。 ミネラルウォーターも水を詰め替えていないか
   否か確かめて買えと言われた。 35年前から浄水器の水を飲んできたありがたさを
   痛感した。 私はインドにいる間中歯磨き、うがいには全てミネラルウォーターを利用
   した。 知らない国で病気になるほど怖いことはないから。

インドでは大便をトイレットペーパーで拭かずに手で処理すると聞いた。 
M社の仕事を始める前にインド情報を調べていたら、日本人の商社マンの奥さんの書いて
いるブログが見つかった。 
その奥さんボンベイに2~3年滞在したが、食事を作るメイドを雇って最初に教えたのは、
料理の前に石鹸で両手をどう洗うかだったそうだ。 
トイレットペーパーを消費せず、我が手で処理するのは省資源ではあるが衛生的には問題
あり。
 
もっとも日本でも昔話では、山では柏の葉っぱで拭いたとか、藁の上でおしりをこすった話
をきいたことがある。 ポットン便所の前の時代の話。

35.インド (1)。食べ物

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(1).私にとってインドのカレーは、油濃くて、香辛料が強すぎる。 
   日本のカレーなら大好きだ。 ナンは日本でも度々食べるがこれはパンより旨い。 

(2).カースト上位の人たちには、菜食主義者(ベジタリアン)が多いそうだが、ノンベジ
   でもせいぜい鳥、羊が多く、魚を食べる人は少ないようだ。 ヒンズー教徒にとって
   牛は神様の使いなので牛肉を食べることはない。

(3).インド国産のビールは、何種類かあると聞いたが、キングフィッシャーで通した。 
   このビールはなかなかいける。 インドへ行ってわざわざ輸入ビールを飲むことはない。 
   聞いたり見たりしたところでは、インド人はあまり酒を飲まないようだ。
 
(4).パパル(豆のせんべい)が度々ビールのつまみにでてきたが、あまりいただけない。 
   なれるといいのかもしれない。 デリーのホテルでビールのつまみにピーナツを出して
   もらったが、貧相なピーナツであまりうまくなかった。 カシューナッツがインド産と聞い
   ていたが、一度もカシューナッツは出てこなかった。

(5).果物。 旅行ガイドに生ものは食べるなと書いてあったので、一度も食べなかった。 
   ただし、インド人に聞くと、インドでは5~6月ころに美味しいマンゴが出回るとのこと。 
   マンゴは10数種類あるという。

(6).アイスクリーム。 プネでご馳走になったアイスクリームは、こってりとしてなかなか
   おいしいアイスクリームだった。

(7).卵焼き。 ホテルのレストランの食事は大体バイキング方式だったが、コックが焼い
   てくれる卵焼きはうまかった。

(8).紅茶。 サルナートへ行く沿道のきたない喫茶店?で飲んだ紅茶(ミルク・ティー)が
   一番おいしかった。

34.インド 第9日 (6)

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ガイドのモヒさんに土産物の相談をしたら、やはりインド土産は紅茶という。
14:00~14:30 モヒさんの知り合いがやっている紅茶屋さんへ案内してもらった。 
あまりきれいとはいえない建物が並ぶ一角に小さな紅茶屋さんがあった。 
この店の主人の奥さんはなんでも女優をしていたとかで、店に写真を飾っていたがか
なりの美人であった。 
紅茶だけでなく香料も売っていたが、紅茶だけにした。 
ファースト・フラッシュを2瓶と3種類の紅茶セット5個を買った。
買い物をしている時に、1月28日(土)ジャンシー駅のプラットフォームで会った姫路
から来た日本人夫婦にまた出会った。 
ひょっとするとこの店は日本人がよく連れてこられる店かもしれない。 
15:00 デリー空港着。 1週間付き合ってくれたガイドのモヒさんにお礼として30
USドル差し上げた。 
約30分旅行会社の社員が飛行機の搭乗券を持ってくるのを待って、15:30 チェッ
クインした。
出発時間は18:50なのでかなり時間がある。 
待合室のイスに座っていたら日本人の大学生がとなりに座って話しかけてきた。 
彼はニューヨークに12年住んでいたので、「英語には全然不自由しないが、インド人
の英語は聞いてもわからない。 わかりますか?」と問うてくる。 
私「やはりそうですか! 私も聞き取れません。何を言っているのかわからない。」と
答える。 インド風英語ではなく、英語風インド語だ。 
私の英語力の問題でないとわかって安心した。 
18:50 エアーインディア302便(18H席)がでりー空港を飛び立った。
22:05 バンコック空港着。 人と貨物を積み下ろし 23:30 テイクオフ。
日本時間 2月1日(水) 07:45 成田空港に無事着陸した。 
インドで風邪を引き、下痢も2~3回したので、検疫に行って申告したが、問題ありま
せん、と言って放免された。
09:05 成田空港発のリムジンバスに乗る。 11:15 相模大野立体駐車場に到着。 
タクシーで11:45 帰宅した。
ガイドのモヒさんお世話になりました。 ありがとうございました。

33.インド 第9日 (5)

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12:35~12:50 インド門を見に行った。
第一次世界大戦に出征したインド人兵士9万人の霊を弔うために1929年に建てられた。 
高さ42メートルで、ここから大統領官邸まで片側確か3車線の直線道路が走っている。
終日兵士が警護しているとのこと。
多分どこの国へ行っても国のために命を落とした人の鎮魂の設備があり兵士が警護して
いて国民がお礼とお参りのために訪れる。 
わが国にはまともな軍隊もなければ、国のために命を落とした兵士に感謝する設備もない、
お参りする人もいない。 全て話し合いで物事が解決できると思っている。 
世界の非常識な国、何と情けないことか! 
北方領土はとられ、竹島をとられ、今に尖閣列島、そして日本をとられてからではもう遅い。 
今のうちに何とかしなければならない。
これで観光は全て終了した。
13:00~13:45 Golden Dragon という中華レストランで昼食。 
中華風インド料理といった感じで、日本、香港、台湾などの中華とはかなり違う。 
そば、スープ、チャーハン、マンゴアイスクリームとキングフィッシャー(ビール)でインド最後
の食事を終えた。

32.インド 第9日 (4)

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11:45~12:15 マハトマ・ガンジーのお墓参拝。
インドは1947年8月16日、英国から独立した。 英国が1600年に東インド会社を設立
して以来347年ぶりの独立であった。
インドはイスラムに侵略され、1206年イスラム王朝が誕生、1526年ムガール帝国成立。
1858年ムガール帝国滅亡と同時に英国がインド直接統治を開始した。
マハトマ・ガンジー(1869年~1948年)は、ロンドンで弁護士資格取得後約20年南アフ
リカでインド移民の人種差別反対運動を指導。
1915年インドへ帰国、反英独立運動に参加、非暴力、不服従運動を展開、祖国を独立に
導いた。 
インド国民にはマハトマ(偉大な魂)と呼ばれて親しまれたが、独立実現の翌年1948年
1月30日、狂信的なヒンズー主義者によって暗殺された。
インドは独立以来、長い植民地支配による疲弊なため、社会主義型国家を目指したが、
1991年経済自由化政策を導入、今日に至っている。
7月30日(日)のテレビ:サンデープロジェクトでもインドが取り上げられていたが、労働組
合の強いところなど歴史的経緯をあらわしているのかもしれない。いずれにしても、インド
がIT産業を含めてどのように発展して行くのか見守りたい。

31.インド 第9日 (3)

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11:00 フマユーン廟を訪れる。
この廟は、ムガール朝第2代皇帝フマユーンを葬る。 フマユーンは、アフガン系のシェール
・シャーに追われて一時ペルシャに亡命するが、シェール・シャーの戦没後デリーに戻り、
ムガール朝を再建、北インドに勢力圏を拡大した。
フマユーン廟は、フマユーンのペルシャ出身の妃ハージー・ペーガムが、1565年に着工約
10年の歳月をかけて建設した。
庭園の後ろにドームをいただく左右対称の建物という華麗なムガール建築の嚆矢であり、
その後造営された廟や宮殿の範となった。
この廟は四方どこから見ても同じ形に見えるよう設計されている。
タージ・マハルと同じペルシャ人が設計したと聞いた。
ムガール朝はトルコ系とされるが、ペルシャとも深いつながりがあり、北インドではペルシャ
系の顔に時々お目にかかる。
陸続きの地では、奢れるものも久しからず、支配者はかわる。 この点はインドも中国も同
じようだ。

30.インド 第9日 (2)

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10:15 やっとのことでクトゥブ・ミナール記念塔に到着した。 
クトゥブ・ミナール(ウルドゥ語)というのは、クトゥブの語はデリーを征服したイスラムの
王の名前クトゥブディーン・アイバクを指し、ミナールは塔の意味だそうです。
クトゥブ・ミナールは戦勝記念にクトゥブディーン・アイバクが1119年から建設したもの。 
5層から成り、高さ73メートル。 
クトゥブディーン・アイバクが宮廷奴隷の出身だったので、彼の作った王朝は奴隷王朝
とも呼ばれている。
インドって面白い。 自分たちを征服した記念碑をいつまでも残している。 
私ならとっくの昔に破壊していただろう。
それとも今のインド人は征服者の子孫なのか? 
でも現在ヒンズー教徒はインド人口の役60%で、イスラム教徒は少数派なのに。
はたまた征服されたことを忘れないために残してあるのだろうか?

29.インド 第9日 (1)

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1月31日(火) 06:15 ジャイプールのホテル・マンシングを車で出発。 
北東方向約260Kmのデリーへ向かう。 今日も景色がうっすらと霧に霞んで見る。
約1時間で高速道路に入る。 高速は片側2車線ですばらしい道路だ。 
乗っている車は、インドの国産車TATAのINDIGO。 
ドライバーのシンさん飛ばす飛ばす。 
我々の前を走る車の後部に「 BLOW HORN / HORN PLEASE 」と書いて
ある車をよく見かけた。 
未だに日本では、「 警笛を鳴らしてください 」などと書いた車を見かけたことは一度
もない。 
国民性の違いなのか? 日本の常識で判断してはいけない。 
よその国にはその国の文化、歴史、伝統がある。
08:00~08:20 休憩。 
09:25 車の事故で渋滞。 トラックが1台横倒しになっている。 2~3分行ったとこ
ろにもう1台横倒し。 パトカーが来ている風でもない。 高速道路だというのに時々ラ
クダが荷車を牽いてテクテク歩いている。 ビュンビュン走る車とテクテク歩くラクダ。 
これほんとに高速道路? 
09:30 デリー郊外に入る。 市中央部に近づくにしたがいスピードダウン。 
通勤ラッシュに会わないよう早めに出発したが、いたし方なし。

28.インド 第8日 (3)

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11:30~12:00 絨緞工場を見学。 
エジプトでも絨緞工場を見たが、製造しているところは大差ないように思える。 
ただ、出来上がった品物の種類、美しさはエジプトの絨緞の方がインドの何層倍も優れ
ている。 インド人と付き合っても、街を見てもそうだが、あのタージマハルを作った美的
感覚は一体今のインドのどこに残っているのだろうか?
12:00~12:50 ダルバール・レストランで昼食。 
例によりナンとキングフィッシャーで済ます。
13:00 街の薬屋でモヒさんが風邪薬を買ってくれたのでホテルへ帰ってから飲んだ。 
薬屋の近所に飲み物を売ってる店があったので、キングフィッシャー2本とインド・ラム酒
の小瓶1本を買う。
13:30 ホテルへ帰り、休息。
19:00~19:35 ジャイ・マハル・パレスというホテルへ出かけて、インド舞踊なるもの
を見た。 踊り子の女の子が頭の上に壷を何層にも(確か5層はあったように記憶してい
る)乗せて踊る姿はスリルにとんで面白い。 
踊り子に誘われて私も国際親善のために踊った。
ホテルへの帰途、ガイドのモヒさんが知っている貴金属屋へ案内してもらって妻と2人の
娘のために24金のチェーンを3本買った。 
ここはモヒさんの顔で、インド人価格で買えた。 日本円にして確か6万円くらいだったよ
うに記憶している。
ホテルへ帰った時にモヒさんが私にお土産だと言って、盾を2個くれた。 1つはガネイシ
ャ様、ラクシュミ様、サルスワティ様を描いたもの。 
もう一つは、愛の神様とその奥様を描いた盾。 この盾に描かれたお顔を拝見すると、シ
バ神と奥様のような気がする。 いずれにしてもありがたく頂戴した。 
これらの盾は我が事務所に大切にお祭りしてある。

27.インド 第8日 (2)

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08:15~09:30 アンベール城を見学。 
小さな鏡を天井に埋め込んだ幻想的な部屋、象の頭のガネイシャ神を描いた美しい門、
王の寝室などを見たが、アグラ城と比べると、規模は小さいが見るものは多い感じだ。
ジャイプール市内への帰途、水の宮殿を、車から下りて見た。昔若い王子が体を鍛える
ためここまで来て、岸から池の中の宮殿まで泳いだそうだが、今の池は汚くてとうてい
泳げるしろものではない。
10:00~11:30 シティ・パレス、ジャンタル・マンタル(天文台)、ジャイプール中央
博物館を見学した。
シティ・パレスは18世紀に、サワイ・ジャイ・シン2世が建てた宮殿。 
今でもマハラジャの子孫が住んでいる。 代々のマハラジャの肖像画、使用した剣、
アクセサリーなどが印象深い。 持てる権力者と、持たざる庶民の差があまりにも大き
すぎたのではないだろうか?
ジャンタル・マンタル(天文台)は、天文学者でもあったサワイ・ジャイシン2世により建
てられ、1734完成した。 
巨大な日時計、天文観測装置などが大理石や真鍮などでつくられている。 これらの
装置は今なお正確に作動していると言う。
サワイ・ジャイ・シン2世は天文学の才能で、ムガールの帝王に重く用いられた。
天文学の基礎は数学ではないのか? ゼロを発見した数学の国インドは今も健在。

26.インド 第8日 (1)

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1月30日(月) 06:00 起床。
今日はアンベール城を見学するため早起き。 というよりアンベール城で象に乗るため、
早く行かないと乗れないというのでホテルを 07:00 車で出発。
アンベール城の手前で象使いの乗った何頭かの象を目撃。 生まれてこのたか象に乗
ったことはないので、気ははやる。
07:30 にアンベール城に到着したらすでに中国人、日本人など約30人が並んで待っ
ている。 
みんな象に乗るために早起きしてきた様子。 ここまで早起きしてきたからには何とか象
にの乗らねばならない。 人数を勘定したらなんとか乗れそうだ。 一安心。
順番を待つこと約40分、やっと番が回ってきた。 象の背中には板が縛り付けられ、その
板に鉄製の手すりがついているので、板の上に座り、手すりをもって象に乗る。 
エジプトで乗ったラクダより大分高かったように感じた。 
象の背中からの見晴らしは格別。 多少揺れたが、エジプトのラクダに振り落とされそうに
なったのと比べればたいしたことはない。
私とガイドのモヒさん2人が乗った象は、若い像なのか元気がよくて先に出発した象5頭も
追い越した。 下を見るとそこここに象糞が落ちている。 
象は、約10分でアンベール城に着いた。

25.インド 第7日 (4)

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1月29日(日) 18:30 ジャイプールに到着。 ホテル・マンシングにチェックイン。 
417号室に入室した。
夕食は、ホテルのレストラン。 食事の中身は、例によってナンとキングフィッシャー。
この町は、デリーの南西約260Km。 タジャスターン州の州都で、周囲約10Kmを
赤い城壁で囲まれているため、別名ピンク・シティともいう。
ジャイプールは、かなり大きな町で、道路は碁盤の目状に設計されており、中には片
側3車線道路もある。 大きな店が多く、デパートもあった。
ここは大理石と宝石の町とのこと。

   インド語(?)の意味
    ・ バード(ウルドゥ語) = 町
    ・ ジャイプール(ヒンディー語) = 町
    ・ シン(ヒンディー語)= 虎
    ・ パパル(ヒンディー語) = 豆のセンベイ

☆ ナンは日本でも良く知られているが、これは小麦の皮をむいて幾種類かの粉を混
ぜて作り、白い色をしている。 これと似たチャパティは、小麦の皮を剥か ないで作る
ので、色は茶色。 チャパティの値段は、ナンの約四分の一。

24.インド 第7日 (3)

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12:30 ~ 13:00 キーラブリー村のジョシー・リゾートという名のレストランで昼食
をとった。 
更に続いてアグラから西の40Kmのファテプ・シクリへ向かう。
13:10 ~ 14:10 ファテプ・シクリ城を見学。
ファテプ・シクリ城は、ムガール帝国第三代皇帝:アクバルが、戦に勝利したのを記念
して建設、「ファテプ・シクリ」(勝利の都という意味)と名づけたもの。もともとアグラに
あった城を移築したものだという。
「この城は、タージ・マハルとは違い、赤砂岩で作られており、イスラム様式とヒンズー
様式が融合した装飾で有名。」とインド旅行のガイド・ブックに書いてあるが、私にはタ
ージ・マハルの印象が強烈で、さほどでもなく思えた。
15:50 ~ 16:20 カンコル村で休憩。 
車を降りて、キングフィッシャー(インドビール)1本150ルピーで喉を潤す。
休憩後更に車で西へ向かう。 途中、荷車を引いたラクダを20頭くらい見たが、ここで
もまた4~5匹の犬が車に轢かれていた。 
どこを通っても菜の花畑がいっぱいあるが、17:50 頃夕暮れ時の空にゆったりと黒
い煙をたなびかせているレンガ工場の横を通過した。
日没は 18:00 であった。

23.インド 第7日 (2)

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私は日本では赤い大理石など見たことがない。
3代目皇帝シャー・ジャハーンは財政など気にしないで多くの贅沢な建物(その一つが
タージマハル)を建てたので、息子のアウラングゼーブ帝は父のシャー・ジャハーンを
アグラ城の一角に幽閉した。幽閉された場所からは、ヤムナ川を左にして丁度正面に
タージ・マハルが見える。
シャー・ジャハーンは、ここから愛妃ムムターズ・マハルのために建てたタージ・マハル
を眺めながら、74歳でさびしくこの世を去ったという。
余談ながら、ガイドのモヒさんによると、大理石の値段は黄色が一番高く、その次に高
いのは黒大理石とのこと。
現在アグラ城は、面積の80%をインド軍が使用しているそうだ。

22.インド 第7日 (1)

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07:00 起床。 
08:15 ~ 08:30 ホテル・レストランでバイキング・スタイルで朝食。 
09:00 ホテルをチェックアウト。 
今日から3日間のドライバーは、シーク教徒のシンさん。 シンさんは頭にターバンを
まいている。 住まいはデリーで、奥さんと2人の息子がいる。
09:15 ~ 12:00 タージマハル、アグラ城を観光。 
まずタージマハルを見た。 日本でも何度か名前を聞いたり、写真を見たりしたが、
今回インド旅行をして一番美しいと思ったのはこのタージマハルだ。 
白い大理石でできた高さ70mの霊廟だ。 
シンメトリック(左右対称)に構築されており、美しい前庭と高さ42mの4本のミナレッ
ト(尖塔)に囲まれている。 
昼間見ても美しいが、月光に照らされたタージマハルはこの世のものとも思えないも
のだそうだ。 月夜のタージマハルは、入場者数限定500人とのこと。
この霊廟(お墓)は、ムガール帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンが、妻のムムター
ズ・マハルの死を悼み、2万人を投入、世界中から資材を集め、莫大な費用をかけて
1631年から1633年まで(日本では江戸時代・寛永のころ)22年かけて建設したと
いう。 この王妃よほどいい女だったとみえる。 
工事が終了した時、同じものを作らせないよう、工事に携わった人々の手を切り落とし
たそうだ。 
タージマハルの見学料は、我々外国人は1人750ルピーであるのに、インド人は確か
100ルピーくらいだったように記憶している。 変な国!

21.インド 第6日 (5)

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列車はアグラの駅に 20:55 到着。 21:15 ホテル・ホリデーインにチェックイン。 
416号室に入室した。 
おなかがすいてきたが、カレーは避けてドミノ・ピザへガイドのモヒさんと車で出かけた。 
ここでもビールがない。 仕方がないから飲み物はコーラにした。 
味は日本で食べるピザとあまり違わない。 アップルパイがを食べたかったがない。
ふと周りを見ると年配者はいない。 皆若者ばかりだ。 
場違いの感じがしたが、気にしないことにした。 
22:10 ホテルに帰着。 カジュラホで引いた風邪がまだ治らない。 
モヒさんに薬屋はないかと尋ねたが、インドの薬は日本の薬より強いから止めたほうが
いい、という。 しょうがないから日本から持参したナポレオンのクールヴァジエの水割り
を睡眠薬にして眠りについた。
話は飛ぶが、私はインドへ来るまでお釈迦様はインドの人と思っていたが、誕生された
のは今のネパールで、インドで仏教を布教されたそうです。 

20.インド 第6日 (4)

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これから汽車に乗ってアグラへ向かうが、約1時間半ジャンシーの駅で待たされる
ことになった。
駅のプラットフォームにほうきを持った男が寝そべっている。 
最初若いのか年寄りかわからなかったが、顔を見たら若そうだ。 
これまでに何度か子供を抱いた女が車の窓越しに物乞いにきたが、こんなのにお
目にかかったのは初めてだった。 
ガイドのモヒさんに聞いたら、彼らには家族も家もなく、駅の掃除をしていくばくかの
お金をもらって生きている、とのこと。 
ハダシで、ホコリまみれで、汚いシャツを着、汚いズボンをはいている。 
勿論風呂なんか入ったことはないんだろう。
人間親がいなければ生まれない。 この男にも親がいたのだろうに。 
子供のころからこうして駅にいるらしい。 
同じ人間として生まれて今の自分と比べると何んでこんなに違いが生じるのだろうか? 
地獄を見ているような気がして、この世のあわれを感じる。 
お前は何もしないでいいのか?と問われているような気がするが、いかんともしがたい。 
ああ情けない。
姫路から来たという夫婦に出会い、話をしているうちに、ボンベイ(ムンバイ)行きの列車
が30分遅れで18:25に入ってきた。 
駅員があわただしく社内の清掃と給水をはじめた。 
18:35 列車はジャンシーの駅を後にした。 私の席は、C5車両の47番席。

19.インド 第6日  (3)

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12:55 カジュラホを車で出発、ジャンシーへ向かう。 ドラーバーは、カジュラホへ
来た時とは替わった。 
それに車を所有している会社の社長:ラジュ・カーンさん(イスラム教徒)も車に乗り
込んで、ガイドのモヒさんと4人のドライブとあいなった。
途中、14:30~14:55 と 16:20~16:35 の2回休憩をとった。 
道は簡易舗装のところ、舗装されてないところ、といろいろ。 沿道にはマフワの木
の並木が多いが、乾季のせいか、木の葉も幹も、家々も土埃をかぶり、まるで白っ
ぽいベールを着ているようだ。 
道路の両側は一面黄色い菜の花が咲いた菜の花畑で他の作物はあまり見られな
い。 また、時々レンガを焼いている工場があり、煙突からゆっくりと煙をあげていた。
私たちの乗った車の前を、女をいっぱい積んだジープのような車が走ってゆく。 
別に気にもしていなかったが、ガイドのモヒさんが、あれは売春婦を積んだ車でこれ
から町へ出稼ぎにゆくところだ、と説明があった。 
それに途中1箇所ここは売春の村だと言われる村を通過した。 日本にも昔私が子
供の頃には近くに売春街があったことを思い出した。
田舎だから交通事故は少ないのかと思っていたら、ジャンシーまでに4回動物が轢
かれているのを見た。 
1回は狐、他の3回は犬だった。 のんびりした田舎の動物が、近代文明の車という
凶器の犠牲になっている。 
車同士の事故や、車と人の事故を見なかったのは不幸中の幸いか?
16:55 ジャンシーに到着した。

18.インド 第6日 (2)

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西の寺院郡の中に何という名前の寺院だか忘れたが、1つの寺院の1つの建物に
3つの屋根があり、それが面白いことに、ヒンズー教の屋根が1つ、仏教の屋根が
1つ、ジャイナ教の屋根が1つ、と3つの宗教が屋根を1つづつ分け合っている。 
日本では考えられないが、多宗教の国ならではの平和のための妥協の産物であ
ろうか? 
東寺院郡のジャイナ教の寺院も見学した。 
ジャイナ教は戒律が非常に厳しい宗教で、ジャイナ教の僧は普段は山中で修行し
ているが、時折ここの寺院へやってくるとのこと。 山中では全裸で修行するそうだ。 
私が宿泊したホテル・ホリデーインのオーナーが経営しているという宝石店へ案内
された。 
なんでもこのオーナーは自分で宝石を掘る鉱山も所有している地方財閥だそうだが、
このオーナーが店へ出てきて、「自分の会社で掘っているから安い」と吹聴され、
つい家族にお土産を買ってしまった。 
スター・ルビー、エメラルド、サファイア 各1個 計1,500USドル散財してしまった。 
何でクレッディット・カードなどという浪費の道具があるのだろうか?

17.インド 第6日 (1)

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日本から持参した夏用のパジャマを着て寝たが、明け方に寒気を感じたのでベストを
着添えた。 
しかし、間に合わずとうとうインドで風邪を引いてしまった。 
インドというと暑い国というイメージを持っていたが、国土は日本の約10倍あり、南イ
ンドと北インドでは気候がかなり違う。 
ヴァナラシ(ベナレス)の1月の平均気温は23℃とガイドブックに出ていたので、油断
していたのがいけなかった。 明け方に気温がかなり下ったものと見える。 
風邪のせいか、食べ物、水のせいかどうかわからないが、05:30 と 07:20 の
2回ついに下痢してしまった。 
09:00 から現地ガイドのシバさん(この人、神様のシバ神と同じ名前)のかたこと
の日本語の案内で、ヒンズー教を主とする西の寺院郡と東の寺院郡をまわった。 
中でも驚いたのは、シバ神を主神として建立されたというカンダリー・マハーデーヴァ
寺院のみごとな彫刻だ。 
寺院の内外に合計900の彫刻があるらしいが、この中に男女交合を彫ったミトゥナ
像が多数あり感心した。 
さまざまな姿態でからみ合う男と豊満な女はいかにも官能的であるが、サラットして
いやらしさを感じなかった。 
訪れた季節が乾季で乾燥していたせいだろうか?

16.インド 第5日 (4)

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サトナ→カジュラホ 間は、約150Km。
私たちが乗った車のドライバーは、カジュラホに住んでおり、カジュラホから迎えに
来て18:30にサトナに着いたとのこと。 
それにしてもライトをアップライトにした車の多いこと。 大国(国土も人口も日本の
約10倍)の人は小さいことに拘らず、気にしないのかもしれない。
人口が12億もいると、人のことなど気にしていると生きていけないのかもしれない。
カジュラホに近づくと下り坂で、高野山を下る時のようにカーブの連続だ。 
山には、虎、鹿、ジャッカルが住んでいると聞いた。
カジュラホには21:45到着。 
ホテル・ホリデーインにチェックイン、103号室に入った。 
ベッドはダブル・ベッドではなく、トリプル・ベッド(そんなベッド聞いたことないが)と
言うくらい幅の広いベッドだった。 
部屋の床は白い大理石のようであった。 
余談だが、私はその時まで大理石というのは色は「白」とばかり思いこんでいたが、
ガイドのモヒさんによれば、白以外に、黒、赤、緑、黄色など色々あるとのこと。 
現に後日赤い城を見て、レンガでできた城と思ったら、間違いで、なんと赤い大理
石でできた城にお目にかかった。
入室後ホテルのレストランで、卵焼き、ナン、焼きトマト、キングフィッシャーで夕食
をすませてベッドに入った。 

15.インド 第5日 (3)

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09:20~09:50 絹織物工場を見学。 
織物工場というよりも、テーブルクロスからティーシャツなどの絹織物、宝石、木彫り
製品など土産物屋。 
ここで絹のテーブルクロス、ガネイシャ神の壁掛けクロス、木彫りのガネイシャ神等
を土産に買った。 宝石を勧められたがここでは買うのを止めた。
10:05 ホテル着、 10:35 ホテルをチェックアウト。 
10:50 VARANASI(ベナレス)鉄道駅に到着。 
11:28 VARANASI発の急行に乗る。 ところ替われば品変わる。 
いや名前変わる。 
なんと SLEEPER CLASS (多分寝台車?)の UPPER CLASS に乗った。 
19:15 サトナ駅着。 汽車に7時間45分も乗った勘定になる。 ああくたびれた。 
と思ったら、まだ先があった。 これからカジュラホへ車で向かう。 
駅前の駐車場にモヒさんが手配した契約車が迎えに来ていたが、車に乗ったものの、
デッドロック状態で出るに出られず、出発は 19:45 になった。
道は1車線で、舗装されていないガタガタの砂利道(ところどころで道路工事をやって
おり、時々片側通行になる)、しかも街灯もない真っ暗の中を走る。

14.インド 第5日 (2)

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私たち、と言ってもお客は私1人とガイドのモヒさんがボートに乗ってガンジス河から
沐浴や火葬を見学した。 
火葬場の近くには薪が積んであった。 かなりの数のボートが観光客をのせてゆっく
りと進んでゆく。 
行き交うボートの間を縫っておばさんが船で、日本の灯篭ながしのようなものを売り
に来る。 
木の葉でできた入れ物に花を入れてあり真ん中に蝋燭に火をともし河に流してご
先祖様を供養するとのこと。 
私も父母の供養のために1つ買って流し手を合わせた。 
コートを着るくらい寒いので、沐浴するにはヒマラヤから流れてくるガンジス河の水
はさぞ冷たかろうと思ったので念のため手を河に入れてみた。 
なんと全然冷たくない。 なまぬるい、のである。 驚いた。
テラスで人々が沐浴しており、テラスの向こうに家が所狭しと建っている。 河に
面した家の中に「久美子ズハウス」という日本人女性名のペンションがアッタ。 
カンジス河のテラスのある岸の対岸(対岸には何もないそうだ)から小さなお日様
が昇り始めた。
ボートを下りてガンジス河を後にすることにした。
家々の後ろにはヒンズー教の寺院が100以上あると聞いた。 
ただ、100件以上のヒンズー教の寺院の中にたった一軒だけイスラム教の寺院が
あり、警察が厳重警備していた。 
家々の間には細い迷路のような道があり、骨壷や香を売っていた。

13.インド 第5日 (1)

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1月27日(金)
05:30 起床。 06:10 ガイドのモヒさんの出迎えあり、車でホテル出発。
06:30 カノガンジス河の河岸に到着。 少々寒くコートを着てきてよかった。 
ここガンジス河の岸にはガートという沐浴場が南北6Kmに亘り100以上もあり、
毎年100万人以上のヒンズー教徒が巡礼にやってくる、と聞いた。 
ガートの後ろには巡礼者が宿泊できる建物がたっている。 
ガートは河に向かって階段状になったテラスで、下りてゆくとガンジス河の水に
浸かって沐浴できるようになっている。 
ヒンズー教徒は、ここで沐浴すると現世の罪が洗い流されて、身が清められ、
死ぬとすぐに天に昇り、来世は幸せに暮らせる、と信じている。 
ここで死を迎えたいと願う人も多く、最期を迎えた人はガートの一角で薪で火葬
にされ、遺骨は壷に入れられてガンジス河に流される。 
火葬の灰はガンジス河にそのまま流される。 
その近くで人が裸で、水にどっぷり浸かって祈りながら沐浴している。 私は2ヶ
所で火葬するところを見た。 
火葬を取り囲んで家族が10人くらい終了するのを待っていた。

12.インド 第4日 (4)

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サルナートからの帰途、街中で7~8人の男たちが縦1列で、それぞれ頭の上に電球
のついた飾りをかがげて歩いているのを見かけた。
ガイドのモヒさんに聞くとヒンズー教の結婚式を祝っているとのこと。 ヒンズー教の結
婚式は夜行なわれるそうだ。
17:30 ヒンドスタン・インターナショナル・ホテルに帰りついたら喉がかわいてきたの
で、ルームサービスに電話してキングフィッシャー(ビール)を2本頼んだ。 電話して
10分位経った頃、ルームサービスから電話があり、「今日はストロングないので弱い
のでもいいか?」と聞いてきたので、OKと返事した。 
それから待つこと30分。 
ビールが来ないので、こちらからルームサービスに電話したら、「今日はナショナル・
デーだからビールのサービスはできない」とのこと。 
こちらから、一度OKしといて、弱いのでもいいか、とまで聞いたのに、今更出せない
とは納得できない、と反論したら、相手はマネジャーと替わると言う。
もう面倒くさくなって、NOといって電話をきった。 はなはだ不愉快な思いをして余計
に喉が渇いてきた。
19:00 ホテルのグランドフロアにあるレストランで夕食をとった。 夕食時に念のた
め、ウェイターに「ビールを飲みたい。キングフィッシャーを1本頼む。」と依頼したが、
やはり「ナショナル・デーなので、NO」とのこと。 
インドでは、1月26日は、1950年に共和国憲法を発布した「共和国記念日」とのこと。 
しかし、何故共和国記念日にビールを出さないのか未だに理解できない。
この日はとうとうキングフィッシャーにはありつけなかった。 日本から持参したナポレ
オンの水割りで我慢した。
明日は朝が早い。06:00ガイドのモヒさんがホテルへ迎えに来る。

11.インド 第4日 (3)

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サルナート国立考古学博物館に続きダメーク・ストゥーパを訪れた。
このストゥーパは、お釈迦様がはじめて5人の弟子に説教をされたところに建てられて
いる仏塔で、中はガランドウとのこと。 
仏塔の上半分は、グプタ王が建てたものでレンガで出来ており、下半分は、アショカ王
が建てたもので、大理石で作られているそうだ。 歴史を感じさせられた。 
続いて、ムルガンディー・クティ寺院を訪れた。 この寺院は、スリランカ人がお釈迦様
をお祭りするために建てた寺院で、金色のお釈迦様の像がまつられ、釈迦像に対して
紺の僧衣をまとった男の僧が五体投地の祈りを捧げていた。 
寺院の内壁には、日本人が描いた壁画があった。 宗教面をみると、今やインド国内は、
大多数が(80数%)がヒンズー教徒で、仏教徒は200~300万人と少数派。 
仏教徒は東南アジアなどインド国外の方が圧倒的に多いためかもしれない。
寺院の庭には、菩提樹の木の下にお釈迦様が5人の弟子に説教をされている彫像が
あり、その前でチベットの女性4~5人が、これまた五体投地の祈りを捧げていた。 
ガイドのモヒさんから、ここの菩提樹の落ちている葉はお金を呼び寄せると聞いたので、
探したらあったあった1枚だけ。 拾った菩提樹の葉は今私の財布の中にある。