
自分の意思からではなく他人の誘いにのったら、思いがけなく良い結果を
得たり、良い方向へ誘導されたりすることのたとえ。
また、自分からではなく、たまたま他人に連れられて特定の場所へ行くこと
をいう場合もある。
この言葉は次のエピソードからきている。
「 むかし、信州の小諸にケチで有名な老婆がいた。
信仰心の欠片もない老婆は、観音様の縁日にはタブーとされていた干し物
をしていた。
そこへ、どこからともなく一頭の牛がやってきて、干し物を角に引っ掛けて
走り去ったという。
ケチな老婆はこれは一大事と、擦り切れた下駄を突っ掛けて牛を追いかけて
行った。
そして、ついに善光寺まで来てしまったという。
老婆は牛を見失ってしまい干し物は見つからなかった。
しかし、信仰心のない老婆も有名な善光寺に来たということで、とりあえず
形だけでもお参りをして、すごすごと小諸に戻ってきた。
すると、村の観音様の首にその干し物が掛かっていたという。
これを見た老婆は観音様が牛に化身して、自分のケチ根性と信仰心のなさ
を正そうとしたのだということを悟った。
以降、ドケチ根性を改めて信仰心を篤くし、人からも慕われるようになった。
つまり、善光寺の阿弥陀如来はまるで不信心なものにも、信仰のきっかけ
を作ってくれたということを示すための逸話である。 」
( 出典 : 雑学から学ぶ仏教 瓜生 中 氏 ( 大法輪 2010年10月号 ) )