ホーム > ブログ > 2010年5月

2010年5月アーカイブ

ビジネスマナー : 復 唱

赤バラ1012.jpg

会話、特に電話での場合こちらが話したことを復唱しない方がかなりいます。

復唱しないと聞いた方がこちらの言ったことを間違いなく受け取ってくれているのか

不安になります。

会社名、部門名、氏名、住所、電話番号は間違いのないよう確認しなければなりません。

中でも氏名と会社名には注意が必要です。

話す方も、例えば「有馬幸三」の場合は、有る無しの”有”、牛馬の”馬”、幸福の”幸”、

漢数字の”三”、横3本、などとできるだけ相手が間違わないように伝えるといいです。

相手が復唱しない場合は、面倒でもこちらから復唱してあげるようにしましょう。

ビジネスマナー : 音をたてて飲まない

黄バラ1006.jpg

出されたコーヒー、注がれたビールなどを音を立てて飲む人がいます。

これはスープを飲む時と同じように音をたてて飲んではなりません。

音をたてて飲んだ入り、食べたりすることは、犬猫がぴちゃぴちゃと音を立てて

食べることを連想させ、レベルの低い人とみなされます。

自分のことを一番知らないのは自分かもしれません。

他人に自分のことを、レベルの低い人、嫌な人と見られると、どんな立派なことを

言っても効果がありません。

よくよく注意が必要です。

ビジネスマナー : 人とのすれ違い方

きんぽうじゅ1002.jpg

1人か2人しか通れない道を、自分がこちらから1人、向こうから1人来るとします。

こういう時は、お互いに少し体を斜めにして直接ぶつかることを避けてすれちがいます。

最近はこちらが体を斜めにして避けているのに、相手が避ける様子もなく、という人が

かなりいます。

悪くするとぶつかります。

世の中自分だけが歩いているわけではありません。

空間には制限がり、多くの人が歩いているのですから、お互いに譲り合わないと

ぶつかります。

それは会社の中の廊下、通路でも公道でも同じです。

2人しか通れない道を自分が2人で横に並んで歩いていると、向こうから1人が

歩いてきたとします。

その時は、自分の側で、1人がもう一人の後ろに下がるか、前に出て一列に

なって相手にすれちがってもらいます。

自分の側がそのまま横に2人並んで、歩いてゆくと相手にぶつかります。

相手の立場になって考えればわかることです。

知人でも、親友でも、家族でも、他人でも皆同じです。

お互いに気持よく生きることが必要です。

トルコの産物

イスタンブール 街角の果物ジュース屋 1001 .jpg

トルコの産物としては、エーゲ海沿いの地でとれるオリーブ、地中海沿いのオレンジ、

小麦、ざくろ、塩湖からの塩、アナトリア西部の絹、羊・子羊の毛皮などがある。

オリーブは、採った翌日油を絞ると大幅に品質が落ちるので、午前中採ったものを

午後その日のうちに絞るそうです。

エーゲ海、地中海沿いの地日本の瀬戸内海に似ており、似たような魚がとれる。

日本のアジ、サバ、カレーなども魚屋で見ました。

イカやタコもありました。

岩山が多くて、大理石が沢山とれるそうです。

そのせいか、エフェスの古代遺跡では歩道が大理石でできていました。

そうそう宝石のトルコ石もとれます。

イランなどでもトルコ石がとれるそうですが、トルコ以外でとれるものは、トルコ産より

値段が下がるといっていました。

トルコ銀座の横町の肉屋で、羊の頭の皮をはいだ、目玉付きが売り場のガラスケース

の中に置かれていました。 ぎょっとしました。

魚だったらなんとも思わないのに。

食文化の違いなのでしょうか?

トルコ 現代のギリシャとの関係 2/2

トルコ&ギリシャ地図 5.18.jpg

上の地図はトルコ&ギリシャの地図で、左(西部)がギリシャ、右(東部)がトルコで、

その間の黒い点線が国境線。

ご覧ととおり、トルコの沿岸近くまでギリシャ領になっている。

レスボス島、キオス島、サモス島、コス島、ロードス島・・・などのトルコに近い島は

ギリシャ領だ。

お断りしておきますが、私はどちらの味方でもありません。

なんでこんなところに興味を持ったかと言うと、トロイやエフェスの遺跡を見ていて

彫像、石の建造物は私の知っているギリシャのものだったからだ。

不勉強を晒しておはずかしいが。

日本へ帰ってきて本を読むと、紀元前7世紀~5世紀のころ、人口が増えたのと、

耕地が狭くて収穫が少ないため、現在のトルコやイタリア南部、シシリー島等々に

ギリシャの都市国家(ポリス)が植民市を沢山作ったからだと知りました。

( ギリシャの面積の80%は岩山で、耕地は20%。 この20%の耕地では、オリーブ

  やブドーくらいしか採れず、穀物が不足していたそうです。 )

トロイもエフェスもギリシャ人が作った遺跡だったんです。

納得しました。

トルコ 現代のギリシャとの関係 1/2

エフェス 市役所の跡 .jpg

ギリシャはオスマントルコの時代には、オスマントルコの領土であった。

しかし、オスマントルコがドイツ、オーストリアとともに、第一次世界大戦に参戦、降伏した

後、1919年ギリシャ軍はトルコに侵入した。

トルコのケマル・パシャは、1922年ギリシャ軍を撃退するとともに、トルコ革命を行ない

スルタン制度を廃止した。

ギリシャとトルコは、南北キプロスの分断問題、エーゲ海島しょ部の領有権問題を抱え、

1960年代以降対立が続き、お互いに相手方を仮想敵国の筆頭にしていた。

近年は天然ガス・パイプラインを相互接続するなど関係改善していた。

2010年5月15日付け日本経済新聞によれば、5月14日トルコのエルドアン首相が6年

ぶりにギリシャを訪問、パパンドレウ首相と会談した、とのこと。

ビジネスマナー : 新幹線乗り方のマナー

404.JPG

次のような行為は他人の迷惑になりますから気をつけましょう。

1. 通路側の席に座ったとき、新聞を大きく広げて、通路にはみ出したり、足を組んで

  靴が通路側にはみだすことは、避けましょう。

  通路を通る人にとって迷惑です。 

  通行する人の体に、手や靴が触れてしまいます。

  自分の自由になるのは、基本的に自分の座席の幅だけです。

2. 乗車は、自分の座席のある車輛の出入り口、または自分が乗る車輛に近い隣の

  車輛の出入り口から、乗りましょう。

  新幹線の車内の通路は、2人がすれ違うには狭すぎる幅になっており、例えば

  自分の座席が7号車にあるのに、3号車から乗車すると、人とすれ違う可能性が

  高いので、7号車または6号車、8号車から乗車すると良いでしょう。

  新幹線だけではありませんが、時間的に余裕をもって乗るよう心がけたいものです。

3. 車内では、携帯電話はマナー・モードまたは電源オフにして、車内での通話は

  やめましょう。

4. 複数人で乗車の場合、特に中年以上の方が多いのですが、大きな声で会話する

  のは止めましょう。

  他人に迷惑です。

5. 座席に座る時、ドスンと座ったりして人の座席に出来るだけ衝撃を与えないよう気を

  配りましょう。

ビジネスマナー : 手足のしぐさ

えびね1040.jpg

人間は緊張していると、何か身近なものにさわって、緊張を緩和しようとする習性が

あると聞いています。

ある人は、さかんに時計に触ったり、セカセカと部屋の中を行ったり来たりしたり、また

ある人は貧乏揺すりをしたり、指でさかんに机を打ったりします。

人がこういう状態の時は、イライラしていたり、緊張していて、思い通りにならない証拠です。

イライラしている、緊張している、ことを前提にアプローチをした方が賢明です。

しぐさで自分の心の中をのぞかれないように注意しましょう。

また、イライラして部屋の中を行ったり来たり、貧乏揺すりをすると他人に迷惑をかけること

になりますから、このようなことがないよう注意しましょう。

ビジネスマナー : 生き生きした気持

えびね1037.jpg

人に挨拶したり、自己紹介する時は、これからその人と取引やお付き合いが始まる

わけですから、生き生きした気持、積極的な気持で対応しなければなりません。

そうすることで良い取引関係や良いお付き合いが始まります。

相手が出てくるのを待っていたり、自分に全くやる気がなかったり、どうでもいいような

気持では、良い取引や、お付き合いは始まりません。

やはり自分から能動的に、積極的に働きかけなくては人は動きません。

その人を好きになろうとする気持と生き生きとした気持が大事です。

ビジネスマナー : 目線でわかる相手の気持ち

ぼたん1001.jpg

相手の目線で次のようなことがわたると言われています。

相手を見下ろして話す人は、自分が優位に立とうとしている。

相手を上目づかいで見るのは、自分が下位に立っているのかのように見せかけようと

していると考えられます。

視線をそらすのは”拒否”のサインです。

自分は時々相手の目を見、後は相手の鼻とか口を見ます。

相手から自分の本心を悟られないようにしなければなりません。

ビジネスマナー : 話し方

えびね1019.jpg

特に初対面の方と話す時は、やはり相手を好きになろうとする気持が必要です。

その上で少し微笑む表情にします。

目も、顔も、心も、微笑んでいるということです。

心から微笑んでいないと、顔は微笑んでも、目が尖っていたりして、相手にわかります。

声は、口の中にこもった声ではなく、口をしっかり開けて話します。

話すスピードは、速からず、遅からず、相手が聞き取れる大きさの声、スピードで話します。

語尾がわからない、明瞭でない話し方は、相手に不信感を持たれる原因になります。

注意が必要です。

ビジネスマナー : 名刺交換に関する注意事項

えびね1034.jpg

名刺交換に関する注意事項はつぎのとおりです。

①. 名刺を切らしてはならない。

②. よれたり、けばだったり、汚れた名刺を使用してはならない。

③. 名刺は名刺入れに入れ、定期や財布から出したり、ポケットから

   出したりしてはならない。

④. いただいた名刺を受けとってすぐ名刺入れにいれてはならない。

⑤. 名刺をいただいた時、いただいた名刺に文字などを記入してはならない。

⑥. 名刺を忘れてはならない。

⑦. もし名刺を忘れた場合でも、「 忘れました 」と言ってはならない。

   忘れたということは、相手を軽視していると受け取られ、失礼になります。

⑧. 名前を読めない、または読みにくい、またはどう読んでよいかわからない場合は

   「 失礼ですが、どうお読みしたらよろしいのでしょうか? 」と尋ねます。

   相手が応えてくれたら、名前を復唱し、「 ありがとうございます 」とお礼を

   言います。

ビジネスマナー : 名刺交換のしかた

クマガイソウ.jpg

名刺の受け渡し方は次のとおりです。

①. 名刺は立って受け渡しします。

②. 自分の会社名、所属部門、氏名を名乗りながら、相手の目を見て渡します。

③. 相手が読めるような向きで渡します。

④. 目下のほうから先に渡します。

⑤. 先方が複数の場合は、先に地位が上の方に差し出します。

⑥. こちらが複数の場合は上司が先に名刺交換します。

⑦. 相手の胸の高さに合わせて、相手の目を見ながら渡します。

⑧. 印刷された名刺の文字に指がかからないように名刺を受け渡しします。

⑨. 相手が名刺を持っていなくても自分の名刺を差し出します。

⑩. 名刺を差し出す時「どうぞよろしくお願いいたします」の言葉を添えます。

⑪. 名刺を受取る時は「 ちょうだいいたします。ありがとうございます。」

   と言って受け取る。

⑫. 相手と自分の間にテーブルなどを挟まずに、直接正面で向き合って名刺を

   交換します。

ビジネスマナー : 自己紹介

えびね1024.jpg

初めて人と出会った時には、自分の名前と顔を覚えてもらうとともに、自分を知って

もらうことが必要です。

このため自己紹介をします。

自己紹介は、1分でできるようにしておくとよいでしょう。

1分でできるようにしておくと、相手次第で2分でも、3分でも可能です。

NHKのアナウンサーは、1分間にかなで350字~400字話すそうですから、自分で

350字~400字の自己紹介文を書き、推敲、まずは自分一人で本番だと思って声に

出して練習します。

先輩、同僚に聞いてもらって、感想を聴いて改善するのも良い方法です。

本番で自己紹介する時は、ゆっくり、はっきりした声で、相手と視線を合わせながら

自己紹介します。

過度に緊張したり、あがらないように注意します。

明るく、誠実である印象を与えるよう心がけます。

「 はじめまして XXと申します ・・・ 」で始まり、「 よろしくお願いいたします。 」

で終わります。

自分の名前を次のように紹介、覚えてもらう方法もあります。

自分の名前が「 有馬幸三 」の場合。

「 有馬幸三と申します。 有馬温泉の”有馬”、幸福の”幸”と漢数字の”三”、横3本です。 」

ビジネスマナー : あいさつのしかた

バラ10005.jpg

 「 おはようございます 」、「 こんにちは 」、「 こんばんは 」の挨拶の言葉は、相手の

目を見て、相手より先に、自分から行ないます。

言葉が先で、おじぎは言葉の後です。

相手が1~2名の場合は、「 中村さん、吉田さん、おはようございます! 」のように相手の

名前を入れるともっといいですね。

NHKの夜7時のニュースのアナウンサーは、おじぎが先で挨拶の言葉は後からです。

あいさつする相手が自分を見ていない場合は、おじぎをしても見えないので、言葉だけに

なります。

おじぎのない挨拶は不自然です。 場合によれば相手に対する敬意を欠くことになります。

あいさつの言葉は、元気よく、明るく行ないます。

通常あいさつのおじぎは、体を30度前傾で行ないます。

ビジネスマナーとことば「 ・・・と思います」

Ⅶクレマチス1004.jpg

世の中謝罪会見が多い。

謝罪会見で「 お詫びしたいと思います 」という人が多いと見受けます。

「 ・・・お思います 」というのは、「 自分は・・・と思っています 」ということを言っている

だけで、「 お詫び申し上げます 」と相手にお詫びしているのとは違います。

したがって「 お詫びしたいと思います 」は間違いで、「 お詫び申し上げます 」が正しい。

トルコ 現地ガイドさんのバルチック艦隊についての説明

イスタンブール ボスフォラス海峡を行く船 1001 .jpg

上の写真はボスフォラス海峡。

トルコ旅行の現地ガイドさんが黒海の説明をする時に、バルチック艦隊が黒海から出 発

したと説明した。

そこで、私は黒海ではなく、北欧のバルト海から出発したのが事実だと指摘したら、後で

調べます、との返事だった。

後日日本からの添乗員さんに会う機会があったので、三笠記念館のホームページのコピー

(バルチック艦隊の航路図)を渡して、例の現地ガイドさんに会ったらこの図を見せて説明

してもらいたい旨お願いしておいた。

事実は、バルチック艦隊は、北欧のバルト海から出発、デンマーク、オランダ、フランス、

スペイン、アフリカ大陸の西岸、喜望峰、マダガスカル、インド洋、ベトナム、台湾、のそれ

ぞれの沖を通って、対馬海峡に向かった。

一部支隊は地中海、スエズ運河を通って、本体とマダガスカルのノシベで本体と合流した。

これらとは別に第三艦隊もバルト海から発進した。

第三艦隊は、地中海、スエズ、インド洋を通って、ベトナムのカムラン湾でバルチック艦隊に

合流した。

司馬遼太郎の「 坂の上の雲 」にもくわしい。

トルコ トイレ 2/2

グランド テミゼル ホテル の石造.jpg

男性、小用の便器の受けの部分が我々日本人にとっては高すぎる。

私の身長は1702センチで、やっととどいた。

身長が150センチとか、160センチ位の人たちはどうしたのであろう?

トルコ人の祖先は中央アジアの遊牧民だときいている。

東洋人のサイズにしてはやはり高すぎるのではないだろうか?

トルコの人はお客の立場に立って、こうすればお客が便利だとか、こうするとお客が

こまるとか、考えてみないのか。

自己中心的な民族なのであろうか?

トルコの観光業発展のためにも、お客の立場にたって見直してはどうだろう?

トルコ トイレ 1/2

イスタンブール 街角の果物ジュース屋 1002 .jpg

トルコ旅行では9日間で約3000Km走って、1日に2~3回はトイレ休憩でガソリン・スタンド

に立ち寄った。

これらのトイレは基本的に有料で、なかには無料のものもあった。

有料と言っても1トルコ・リラ(約70円)であった。

トイレのほとんどがウェスタン・スタイルでよいのだが、説明書きがなかったり、あっても英語

でもなく、まして日本語でもない、多分トルコ語なのだろう。

読めないので、押したり引っぱたり、思いつくことをしても、ウンともスンとも言わないので

諦めたこともあった。

自分が使用したのとは別のトイレ2~3のぞいってみたら、使用後流してないものもあった。

せめて英語で書くなどの配慮がほしい。

トルコ ホテルのバス ( お風呂 ) シャワー

エフェス 石像 勝利の女神 .jpg

トルコ旅行では、ホテルに6回宿泊した。

このうち2つのホテルで、シャワーにホースがついていなかった。

シャワーのノズルが固定されていた。

アメリのデンバーのホテルにも同じようにシャワーにホースがついていないものがあった。

シャワーのノズルが固定されていて、ノズルに体を持って行くか、それともノズルにホース

がついていて、ホースのノズルをシャワーをあてたい体の方に持って行くか、どちらが

便利か考えたらわかりそうなものだ。

お客、使う人の立場に立って考えれば自明だと思うがいかが?

ホースがついていないシャワーでお尻を洗う時は逆立ちするのか、それともお尻は

洗わないのか?

トルコ トロイの木馬

トロイの木馬1001.jpg

トロイ戦争の際に、ギリシャ軍がトロイの城壁の前に50人の軍勢を潜ませた木馬を

置いて引き揚げた。

トロイ軍はこの木馬を場内に引き入れて放置したという。

夜陰にまぎれて木馬の中の軍勢が城門を開け、攻め込んでトロイは陥落した。

この話おかしい。

戦争の敵が置いて行ったものを中身を調べもしないで、自軍の場内に引き入れた。

そんなことってあるだろうか?

当時は戦争に負けると、兵隊男はは処刑され、住民も皆奴隷になる運命にあった。

この伝説、話としてお粗末過ぎはしないだろうか?

トロイ古代遺跡1001.jpg

トルコ トロイ戦争

トロイ古代遺跡1005.jpg

トロイ古代遺跡は、トルコ、アナトリアの西部、ダーダネルス海峡に近い、エーゲ海に面した

ところにある。

トロイ古代遺跡は、現在は海からかなり遠いところにあるが、往時は海から近く、風待ちの

港で、税を取って栄えていたそうだ。

上の写真はトロイ遺跡の劇場の跡で、誰かに劇場の収容人数X10から当時の人口は

6000人前後と聞いた。

エフェスの古代遺跡と比べると、トロイは規模はかなり小さい。

エフェスの当時の人口は約25万人と推定されている。

トロイ戦争は紀元前1250年頃のことだったと考えられている。

トロイ戦争は、トロイの王子パリスが、ギリシャ・スパルタの王妃ヘレネを誘拐したのに対

して、スパルタ王が王妃ヘレネ奪還のため、ギリシャ連合軍で攻めたという戦争だ。

スパルタは、1000隻の軍艦、約10万の軍勢でトロイを攻めたが、トロイ陥落までに10年を

要したと言われている。

トロイも近くの国と連合して戦ったそうだが、それにしてもたとえトロイ2万としても、1:5

で、どうして10年もかかったのだろうか?

そもそもトロイ戦争の原因を、スパルタの王妃ヘレネの誘拐という話が多いが、たかが

王妃1人のために10年も戦争するものだろうか?

わたしは、他にもっと大きな原因があったように思えてならない。

トロイ古代遺跡1007.jpg

トルコ トロイアとアレクサンダー大王

トロイ古代遺跡1006.jpg

上の写真はトロイ古代遺跡。

アレクサンダーは、紀元前356年7月20日前後にフィリッポス時代のマケドニアの

首都ペラ (現在のギリシャ北部のテッサロニキから車で1時間足らずの場所)の

王宮で生まれた。

アレクサンダーは、父フィリッポスの部下やプロの兵士、猟師、馬の調教師などに

囲まれて育った。

父フィリッポスは紀元前343年にはプラトンの弟子だったアリストテレスをアレクサ

ンダーのために家庭教師として招いた。

フィリッポスは紀元前336年かって愛人関係にあった護衛兵に暗殺され、王位を

継承する。

( ギリシャ上流階級の男には両性愛者が多かったという )

父の死の2年後=紀元前334年にアレクサンダーは、騎兵6000人、歩兵4万

3000人を率いて、ヘレスポントス海峡( 現在のダーダネルス海峡 )を越えて

小アジアに渡った。

ヘレスポントス海峡を渡ると、アレクサンダーは子供のころからのあこがれの地

トロイへ向かった。

彼はアリストテレスが注釈をつけた『イリアス』を戦術の手引書と考え、遠征に

際しては短剣とともに枕に下に入れていた。

アレクサンダーとペルシャ軍との最初の会戦は、紀元前334年5月トロイ北東の

グラニコス川( 現在のコジャバシュ川 )で起きた。

マケドニアの重装歩兵隊は通常の槍よりも3メートルも長い槍を持ち、アレクサ

ンダーの優れた戦術と指導力で、ペルシャ軍を攻撃、ペルシャ軍はアナトリアの

内陸へ逃げ帰った。

参考 : 古代ギリシャ、フェニキア ( ナショナル ジオグラッフィク )

トルコ コンヤのリクソス・ホテルでバス・ルーム水浸し

コンヤ リクソス・ホテルのバスルームの床.jpg

トルコ・コンヤは中央アナトリアにあり、セルジュク・トルコの首都であったところ。

上の写真は、私が宿泊したトルコ コンヤのリクソス・ホテル1708号室のバスルーム

の床。

シャワーを浴びて浴槽から出てきたら、バスルームの床が水浸し。

バスタオル2枚で拭いても全然歯が立たない。

あきらめて食事にホテルのレストランへ行く時添乗員のKさんに事情を説明したら、時々

こういうことがある、とのこと。

食事がすんで部屋へ帰ったらバスルームはきれいになっていた。

このホテル、以前はヒルトン・ホテルで5つ星とか。

トルコで6つのホテルに泊まったが、洗面所に体重計を置いてあったのはこのホテルだけ。

良いホテルだのに残念。

今はロシア資本が買いとり経営しているとのこと。

排水設計のミスでこうなると説明があった。

なぜ修理しないのか? 不思議だ。

本当に元ヒルトン・ホテルだったのか?

部屋もベッドもゆったりしていて快適だったのに。

下の写真はリクソス・ホテルのベッド。

寝心地はなかなかよかった。

コンヤ リクソス・ホテルのベッド.jpg

トルコ 革製品 (かわせいひん)

トルコのモデル.jpg

現地ガイドさん、革製品店の説明によれば、トルコの皮製品非常に上質で、イタリアや

フランスのブランドがトルコから仕入れるという。

革製品店デファッションショウに案内された。

上の写真は最新?の革製品を着たモデルさんだが女性、男性のモデルさん数人ずつが

舞台の上でショウを繰り広げる。

最後に我々観光客の中から男性と女性が一人づつモデル?にかりだされるというオマケ

までついていた。

この店でも10人くらいは買ったようだ。

私が知り合った婦人靴のデザイナーで有名なNさんは20万円のブレザーを買った。

Nさんのように頻繁にイタリアへ行き、革製品を知りつくした人が買うのだから信頼できる

上等のものに違いなかろう。

お友達になった女性のYさんも10万円位のものを買った。

革は薄くて柔らかい。 

年数が経ってもかたくならない、と言っていた。

子羊の革だそうだ。

現地ガイドさんによれば、トルコ人は、羊か子羊の革しか着ない。

ヤギは臭い、牛は重い、ブタはかたい、からだそうだ。

トルコは、中央アジアの突厥(トッケツ、別名チュルク)という遊牧民族が牧草を求めて

西へ移動してきた国を創った民族だから、もともと羊をフル活用してきたものと思われる。

下の写真は、革製品店の売り子の親玉が売り込んでいるところ。

トルコ革製品店2001.jpg

トルコ トルコ絨毯(じゅうたん)

トルコ絨毯 1004 .jpg

観光の途中にトルコ絨毯の店に案内された。

我々お客はコの字型に座り、前に説明役の男が立つ。

頭の後ろで髪を結んだ中年の男性が、流れるような口調の日本語で説明、3人の男が

絨毯のロールを持って立って待っている。

説明役の説明にしたがって絨毯を広げて見せる。

いかに上質か触らせて確認させる。

トルコ最高のブランドは、「 ヘレケ 」の価値を見せ、触らせて確認させる。

買う心理をもりあげる。

元営業の私が見てもこのデモは見事だ。

トルコ・コーヒーや紅茶が出される。

お客の様子を見ていた店員は、買いそうなお客をみつけてたたみこむ。

売買契約が成立する都度拍手する。

10回くらい拍手が聞こえたので、10人くらい買ったことになる。

後で聞いたら、バスで私の隣に座った74才の千葉のHさんは¥538,000の絨毯を

1枚買った、と聞いた。

何と最高額は100万円の絨毯を買った人がいたという。

下の写真はトルコ絨毯の織り子さん。

トルコ絨毯は織り子さんの長い忍耐と労働の結晶だと聞いた。

トルコ絨毯の織り子 1002 .jpg

トルコ 魚屋 2/2

イスタンブール 魚屋 1001 .jpg

トルコで一番大きな都市イスタンブールは、旧市街と新市街に分かれる。

新市街のタクシム広場はバスやメトロなどのターミナルで交通の要衝。

このタクシム広場はイスタンブールの銀座 ”イスティクラル通り”へ続いている。

なんともあかぬけない、暗い感じの執りだ。

ガイドさんからは横町に入るなといわれていたが入ってみた。

横町は日本の商店街のようにいろんな店が並んでいる。

羊の肉、頭を売っている店、魚屋、八百屋、果物屋、ムール貝にご飯のようような

ものを詰めて蒸したようなものを売っている店・・・と食べ物が豊富にある。

ムール貝の詰め物がおいしそうだったが、昔フィリピンのマニラでムール貝に

あたって激しい下痢をしたことを思い出し止めた。

私は漁師の子孫で子供のころ海辺で育ったせいか魚のことが大好き。

なので魚屋に注目、のぞいてみた。

上の写真はその坂に屋の写真。

タコもあればイカもある、エビ、メバル、マグロ 、いしもちに似た魚、形はグロテスク

だがカレーに似た魚 ・・・ と日本と同じような魚が売り台に並んでいる。

魚屋を4~5軒のぞいたが、ここにはアジやサバ、イワシを並べていないので、

高級品を扱う店ばかりだったのかもしれない。

下の写真は、数軒ある八百屋の中の1軒の風景。

こんなに野菜が豊富なのにツアーの食事にはほとんど野菜は出てこなかった。

イスタンブール 八百屋 1001 .jpg

トルコ 魚屋 1/2

トルコの魚屋1002.jpg

ダーダネルス海峡をカーフェリーに乗って、ヨーロッパ側からアジア側へ渡った。

乗船時間は約30分。

ヨーロッパ側の港がゲリボルで、アジア側の港はラプセキ。

我々のツアーは、ゲリボルのレストランで昼食をとった。

昼食にから揚げにしたサバ(鯖)が出た。

やせたサバで、まずいかと思ったが、食べてみると結構油がのっていてうまかった。

レストランからカーフェリーの乗り場へ歩いて行く途中、港の近くに魚屋が2軒あった。

上の写真は、そのうちの1軒の店の写真。

魚種は日本のサバ、アジ、イワシと同じもので、他にも似たような魚が並んでいた。

魚好きの私はなんだかなつかしくなった。

カーフェリーから海を見渡したが、漁をする漁船は見えなかった。

漁場が違うのか、それとも早朝漁をするのかいずれであろうか?

魚らしいい魚を食べたのはゲリボルのレストランだけだった。

トルコの漁師1001.jpg

トルコ アンカラ・エクスプレスの一等寝台

アンカラ・エクスプレスの一等寝台 .jpg

 2010年4月9日(金) トルコの首都アンカラ発 22:30 イスタンブールはハイダル・

パッシャ駅に向けて列車は出発した。

乗った車両は一等寝台で 6号車17番 のルーム。

この列車、面白い。

ルームの中からは鍵がかかるが、外からは鍵はかからない、というもの。

ルームの中に小さな洗面所と鏡がついている。

コンセントもあるので、お友達になったYさんにデジカメの充電器を借用、充電した。

上の写真が私の乗ったルームで、基本的に2人用だが、当日は私一人が使用。

座る席をたたんで、上からベッドをガタンと下ろすと、できあがり。

何んとも狭い。

ボーイさんが来て、ベッド・メイクしてくれたので、1トルコ・リラ(約70円)を渡した。

約50年前に大阪から東京まで乗った確か特急”つばめ”一等寝台を思い出した。

”つばめ”の一等寝台は、幅も長さもゆったりしていて、ボーイさんが靴を磨いてくれたり、

洋服にブラシをかけてくれた。

ま、安い料金のツアだからしょうがないか。

ハイダル・パシャ駅到着予定は7時15分だが、8時に到着した。

遅れて着くのはいつものことという。 郷に入っては郷に従え、というではないか。

列車には食堂車は1両で、日本人や韓国人のツアが多く、各ツアが交代で食事を

とる。

このため我々のツアは午前5時30分~6時までの30分に食事をすることになった。

食事といっても、コンチネンタル・ブレックファーストといって紅茶とパン/ジャム、

ゆで卵、チーズ、トマト、キューリ、オリーブの実、ハムで早朝なのでのどをとおらない。

トルコのパンはお世辞にもうまくない。

下の写真がその朝食。

あまり寝られず、うとうとしているうちに朝食の時間になった。

アンカラ・エクスプレスの朝食.jpg

トルコ カッパドキアの風景

カッパドキアの奇岩 1003 .jpg

中央アナトリア地方・カッパドキアの地形は数億年前の火山噴火と風雨によって生まれた。

何層にも積み重なった溶岩と凝灰岩層を風雨が浸食、奇岩が生まれた。

上の写真は奇岩の一つ。

カッパドキアには7000~8000年以上前から人が住み始めたとされるが、7世紀ころ

イスラム教徒から逃れたキリスト教徒たちが洞窟に穴を掘り、住居、教会、修道院を

作り住んだという。

カッパドキアには地下都市が300以上あるというが、地下8階まであるというカイマクル地下

都市に20メートル位入ったところで私は気分が悪くなり来た道を出させてもらった。

ひょっとしたら閉所恐怖症なのかもしれない。

この地下都市には4000~5000人が住んでいたと推定されており、食料庫、台所、

教会などがあると聞いた。

カッパドキアには下の写真のような奇岩もある。

この岩はその形から”ラクダ岩”と呼ばれている。

洞窟レストランで昼食をとったが、そこで飲んだカッパドキア・ワインはなかなか

おいしかった。

カッパドキアの奇岩 ラクダ岩 .jpg

トルコ チューリップの源種はアネモネ

イスタンブール チューリップ 1001 .jpg

トルコ・ツアーの現地ガイドさんによれば、チューリップの源種は中央アジアのアネモネ

だそうです。

そう言えばアネモネの花弁(はなびら)とチューリップの花弁は似ています。

トルコは中央アジアの遊牧民族:突厥(とっけつ、チュルクとも呼ぶ)が西へ牧草を求めて

移動して作った国家。

トルコという名称はチュルクから来ているそうです。

オスマン・トルコはイスタンブールに壮麗なトプカプ宮殿を建築するとともにその版図

を拡大。

拡大した領土から持ち帰ったチュリップをトプカプ宮殿に植えたのかもしれません。

チューリップはトルコの国花になっています。

イスタンブールのトプカプ宮殿の中にも、町にも、そして訪問した町に、田舎にチュー

リップが植えられていました。

現地ガイドさんによれば、16~17世紀にオランダの外交官がトルコから3個のチュ

ーリップの球根を秘かに持ち帰り、オランダにおける1637年の世界最初のバブル

経済事件につながった、と聞きました。

チューリップの”バブル”(球根)で経済事件の”バブル”が起きました。

上の写真はトプカプ宮殿の中庭に植えられたチューリップで、下の写真は

確かパムッカレというところの道端に咲いていたアネモネの花です。

なんとなく花びらが似ているように思います。

パムッカレ アネモネ .jpg

ブログのカテゴリ

2011年12月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のブログ記事

月別 アーカイブ

最近追加したコンテンツ