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2010年4月アーカイブ

トルコ イスタンブール アヤソフィアのモザイク画

イスタンブール アヤソフィア 漆喰の下から出てきた顔 .jpg

 アヤソフィアは、ビザンチン時代にはキリスト教の教会として建てられ、オスマン・トルコ

の時代にはイスラム教のモスクとなった有名な大聖堂である。

そもそもアヤソフィアとは「 神の智恵 」を意味するそうだが、イスラム教徒がモザイク画

を漆喰(しっくい)で隠したのは意図しなかっただろうが、神の知恵であった。

パキスタンのように破壊してしまえば、二度と元どおりにはならないが、漆喰を塗ったの

であれば漆喰をはがせば元の画像を見ることができる。

上の絵の中央に人の顔が見えている。

イスラム教徒は偶像崇拝禁止で、人の顔は描かない。

イスラム教の下からキリスト教が顔をだしている。

上の漆喰をはがすとどんな絵が出てくるのだろうか?

楽しみだ。

トルコ 七つの地方 3/3

イスタンブール アヤソフィア マリアとキリスト像 1001 .jpg

 6. 東アナトリア地方

  ・ 東に行くにしたがって山は高くなる。

  ・ アララット山 ( 5160メートル )は、ノアの箱舟が漂着したところという伝説がある。

  ・ チグリス、ユーフラテスの源流はトルコのこの地方。

    チグリスは女の子名前で、イラクに至り、ユーフラテスは男の子の名前でシリアに至る。

  ・ 猫の珍種がいる。 毛は真っ白で、左右の眼の色が異なる。

7. 南東アナトリア地方

  ・ シリア、イラク、イランなどと国境を接する。

  ・ クルド人が多い。

    湾岸戦争でクルド人250万人がトルコへ逃げてきて、イラクに帰らずそのまま

    住んでいる。

  ・ 畑の土は良いが、水がない。

   このためユーフラテス川上流にダムを作った。

* トルコの失業率は約10%。

  人口構成は、日本と逆で、65才以上は全人口の3%。

トルコ 七つの地方 2/3

エフェス 石像 1001.jpg

 4.黒海地方

  ・ 海が濃紺で黒く見えるので、黒海という。

  ・ イワシがたくさん獲れる。

  ・ ヘーゼルナッツを栽培している。

  ・ 空がいつも暗い。

5. 中央アナトリア地方

  ・ トルコの首都アンカラ(人口約400万人)がある。

  ・ アンカラという名称は、アンゴラ(アンゴラヤギ、ウサギ)に由来する。

  ・ コンヤは大穀倉地帯で、麦やピートがとれる。

  ・ テゥズ湖という塩湖があり、塩分濃度が35%、大量の塩を生産している。

  ・ 紀元前1800年頃アナトリアを支配したヒッタイト帝国の首都がハットゥシャシュ。

    ヒッタイトは鉄を初めて生産したことで有名。

  ・ コンヤは11~12世紀に栄えたセルジュク・トルコの首都。

  ・ コンヤ、アンカラ、カッパドキアは冬季は-15℃になることもある。

  ・ カッパドキアは、奇岩で有名であるが、7世紀キリスト教徒がアラブ人から逃れて

    岩山に住居や教会を作り、住んだという。

    洞窟の教会には、キリストやマリアなどのフレスコ画がたくさん残っている。

トルコ 七つの地方 1/3

エフェス 古代遺跡 図書館の彫像 1004 .jpg

ツアーの現地ガイド・メフメットさんによれば次のとおり。

1. エーゲ海地方

   エーゲ海に面した比較的暖かい地方。

   ・ いちじく、いちご等がとれる

   ・ 見渡す限りオリーブの木が続く。

   ・ 綿もとれる ( 10月収穫 )

   ・ ドイツ、オランダ、スイス、ベルギーなど北ヨーロッパの人たちの来訪が多い。

   ・ トルコに近い島々でギリシャ領が多い。

2. マルマラ地方

   マルマラ海に面した地方

   ・ トルコ第一の都会:イスタンブールがある 人口1300万人。

   ・ イスタンブールの平均的な収入は地方の約2倍で、地方から人が流入する。

   ・ トルコの北には黒海があり、地中海へ出るには、北から順に、ボスフォラス海峡、

    マルマラ海、ダーダネルス海峡を通らなければならない。

   ・ イスタンブールは海峡を隔てて、ヨーロッパ側(トラキアと呼ぶ)とアジア側に

    分かれている。

   ・ ダーダネルス海峡の一番狭い部分の幅は約1Km。

   ・ ダーダネルス海峡、ボスフォラス海峡を、ヨーロッパ側からは十字軍、

   ・ アレクサンダー大王等が、アジア側からは1453年オスマントルコのメフメット2世

     がコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)を攻略、ビザンチン帝国は滅亡

    するなど、軍隊と文明の十字路になっている。

   ・ アジア側のプルサでは蚕を飼ってシルクを作っている。

   ・ イスタンブール銀座の横町には魚屋が何軒もあり、魚種は豊富。

   ・ 西側のギリシャ、ブルガリアと国境を接している。

3.地中海地方

   ・ オレンジがとれる。

   ・ 魚も豊富。

トルコの食事

ある日の昼食 .jpg

食事(ツアーでの)の全体的な印象は、葉物野菜はほとんど出ず、パンと塩漬け

オリーブの実、ヨーグルトが基本になっているようだった。

トルコは中央アジアの遊牧民が牧草地を求めて西へ移動して出来た国のせいか、

ヨーグルトはうまかった。

ケバブ(焼き肉)も出るには出たがたいしてうまいものはでてこなかった。

パンもうまいものはなかった。

トルコは90数%がイスラム教徒なので、豚は食べない。 

羊の肉が多いそうだ。

トルコ エフェス都市遺跡 灯台

エフェス遺蹟1009.jpg

写真はプリタネイオンの柱。

ギリシャ語とラテン語がかかれているという。

エフェスの象徴である女神ヘスタの聖火が数世紀にわたって灯り続けたところ。

紀元前3世紀に完成し、その後大規模な拡張が行なわれた。

聖火はプリンタと呼ばれ、名家が務める名誉職であった。

往時はエフェスは天然の良港として繁栄、聖火は現在の灯台の役目を果たした

のであろう。

トルコ エフェス都市遺跡

エフェス 古代遺跡 玄関の頭上 .jpg

写真はハドリアヌス神殿の2つのアーチのうち、後ろのアーチ。

この神殿はお金持ちのクインティリウスが皇帝ハドリアヌスに献上、138年に

完成したという。

花やアカンサスの葉につつまれた女性の上半身が彫られている。

やはり2000年も前のものが今に残るのは石の文化だから。

日本のように木と土では2000年後には残らないだろう。

トルコを観光して回ってわかったことだが、トルコの国土は岩山ばかり。

ところどころで大理石を切り出している。

取れる作物は、エーゲ海地方はオリーブ、アナトリア地方は麦でトルコ人は

小麦からできるパンとオリーブの実を常食すると聞いた。

トルコ エフェス都市遺跡 歩道の案内図

エフェス 古代遺跡 路面の道案内 .jpg

エフェスの歩道は大理石で敷き詰められていました。

この国では大理石が沢山とれるらしく、歩道も大劇場の席も、彫刻もあらゆるところに大理石

が使われている。

インドを旅行した時に聞いた話だが、大理石の色は、白、赤、黒、緑があるとのこと。

トルコの大理石は白だけだった。

その大理石の一つには、上の写真のような案内図が刻まれていました。

十字は十字路を、足は方向を、女性は娼婦を、表わしているそうで、娼館への案内図。

この写真ではわかりませんが、値段まで書いてあるとのこと。

図書館のすぐ前に娼館がありました。

昔から港町には、酒と女はつきものと聞いていますが、図書館の前に娼館とは、当時の人が

おおらかだったのか、現在とモラルが異なっていたのか、どちらだったのでしょうか?

トルコ エフェス都市遺跡 大劇場

エフェス遺蹟1003.jpg

ローマ人は領土のいたるところに劇場や風呂を造ったそうですが、エフェスの大劇場は

その中でも最大級。

座席には大理石が敷き詰められ、高さ40メートル弱、直径160メートル弱、25,000名

を収容できたという。

現地のガイドさんによれば、人口10人に1席の割合で、当時のエフェスの推定人口は

約250,000人とのこと。

この大劇場は、娯楽や会議に使用されたそうです。

パンとサーカスの一つです。

舞台(写真左上の斜めの部分)で手をたたくと、反響します。

下の写真は、歩道のモザイクです。

何と2000年以上前に道路にモザイクで模様が描かれていたとは!

 エフェス 路面のモザイク .jpg

トルコ エフェス都市遺跡 水洗トイレ

エフェスのトイレ.jpg

 上のようなトイレが10個くらい並んでいて、仕切りもなく、お互いに会話しながら排泄

したようです。

隣との間には仕切りはありません。

 

これが本当の「 しりあい! 」だと現地のガイドさんがいっていました。

便器の前には手洗いのため溝に水がながれていました。

驚くことに今から2400年も前にすでに水洗トイレを使用していました。

私など今から50~60年前に父の田舎に行くと、ポットン便所だったというのに。

トルコ エフェス都市遺跡 セルスス図書館

エフェス 古代遺跡 図書館 1001.jpg

上の写真がセルスス図書館で、エフェスで一番優美な建物と言われる。

この図書館はティベリウスが父セルススのために立てたもので117年に完成しました。

蔵書は1万冊を誇り、エジプト・アレクサンドリアの図書館と肩をならべるほどの規模でした。

263年ゴート人の攻撃により焼失しました。

図書館に向かって右奥には、アゴラと呼ばれる取引所がありました。

トルコ エフェス都市遺跡

エフェス 町の跡 1001 .jpg

トルコへ1週間あまり行ってきました。

トルコ アナトリア半島 西南部にエフェスという都市遺跡があります。

紀元前11世紀、エフェス近郊にイオニア人による都市国家が成立、当時はエーゲ海沿いの

天然の良港として繁栄しました。

しかし、紀元前3世紀港が土砂で埋まり、かつマラリアが発生したため、リシマコス帝は現在

遺跡のある丘に囲まれた土地に移転しました。

伝説によれば、聖母マリアがキリストの死後聖パウロとともに余生を過ごした地といわれます。

坂を下って正面に見えるのは、図書館。

古代奈良の遷都事情 2/2

コブシの花101.jpg

710年 元明天皇により《 平城京 》に遷都

724年 聖武天皇即位

729年 「 長屋王の変 」起こる。

     藤原氏の政敵・長屋王自殺

     その後、光明子が藤原氏初の皇后に

740年 「 藤原広嗣の乱 」勃発

740年 広嗣の乱をきっかけに聖武天皇により《 恭仁宮 》遷都

     その後《 紫香楽宮 (しがらきのみや) 》、《 難波宮 》と遷都を繰り返す

743年 聖武天皇、盧舎那仏造営を発願

745年 聖武天皇、再び《 平城京 》に遷都

770年 聖武天皇と光明子の娘、称徳(孝謙)天皇崩御

     光仁天皇即位

775年 光仁天皇への呪詛(じゅそ)の疑いで皇后の井上内親王と皇太子の他戸親王

     を幽閉、その後二人は横死

784年 781年に即位した桓武天皇により《 長岡京 》に遷都

785年 「 藤原種継の変 」起こる。

     皇太子早良親王は廃され流罪となるが、淡路島配流の途中で憤死

794年 桓武天皇により《 平安京 》に遷都

古代奈良の遷都事情 1/2

城1001.jpg

飛鳥から藤原京、平城京、平安京と、都が徐々に北へと移動するのは、風水的に都に

より相応しい理想の土地を求めたゆえのこと。

しかし、一方では、さまざまな事件によって混乱した社会を” リセット ”したいという

感覚もあったのではないでしょうか?

下記は7世紀の遷都年表

643年 皇極天皇により《 飛鳥板蓋 ( あすかいたぶきのみや ) 》に遷都

645年 「 乙巳( いっし )の変 ( 大化の改新 ) 」起こる

645年 乙巳の変後、《 難波宮 》 《 飛鳥川原宮 》 ほか遷都を重ねる

667年 天智天皇の即位により 《 近江大津宮 》 (滋賀県大津市)に遷都

672年 「 壬申の乱 」起こる

     大友皇子を滅ぼした天武天皇即位

     《 飛鳥浄御原宮 》 に遷都

686年 天武天皇崩御

     その息子の大津皇子、謀反の疑いにより刑死

694年 持統天皇により 《 藤原京 》 に遷都

出典 : 日経おとなのOFF 2010 April 4

     「 古代奈良の遷都事情 」 大森亮尚 さん執筆

奈良にはなぜ鹿が多いのか?

建物1003.jpg

そもそもなぜ、奈良に鹿があんなにたくさんいるのだろうか。

「 春日大社の神様は、もともと常陸国(茨城)いた神様で、それを藤原氏が春日の地に遷し

たわけですが、鹿島の神様はそのとき、鹿に乗って奈良にやって来たと言われています。

鹿の角はたった1年の間に非常によく伸びますが、春には抜け落ちて新しく生え替わります。

それも豊穣のイメージに重ねられていたんでしょうね。

だから奈良では鹿を神様の遣いとして、今も大切にしています。

奈良の子供は、昔、鹿を殺した人が穴に石を詰められて処刑されたという怖い昔話を学校で

教えられるそうです。 」

出典 : 日経おとなのOFF 2010 April 4 

      「 奈良の都の楽しみ方 」 万城目 学 さん執筆

日本のやきもの 有田磁器 3/3

チューリップ105.jpg

国内および海外を制覇するに当たって有田磁器は微妙に戦略を変えた。

国内に於いては、ただ一つの独占的な磁器窯として伊万里焼や柿右衛門など有田独自の

文様や形をつくり出し、それを他の藩が受け入れていった。

ところが西欧に対してはその生活様式や美意識の違いに着目、現地からの注文を進んで

受け入れ彼らの好む器形や文様さらには注文主の家の家紋なども描き、需要に応じた。

一方、日本風を強調したエキゾチックな元禄美人などの意匠も忘れなかった。

柔軟な適応術といえよう。

有田磁器は現代の電化製品や自動車に先駆けること300年、我が国が世界に放った

大ヒット商品であった。

また、文化的には、浮世絵など日本の美術工芸が印象派の画家たちやアールヌーヴォー

に与えた強い影響の200年も前に、西欧各国にイマリ・シンドロームを起こしていたのである。

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