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幕末外交に大きく影響した「 フェートン号事件 」 No.4

金閣寺1003.jpg

江戸幕府は、武器の改良そのものを禁じていた。

だから銃は火縄銃のままで、大砲は青銅製だった。

 大船は建造することすら禁止していた。

その「 進歩を止めた武器 」で「 二百年以上進歩した武器 」に対抗しようと思っても

無理な話だ。

叱責すべきは佐賀藩ではなく幕府自身の「 平和ボケ 」である。

本来なら、「 ペリー 」ではなく「 ペリュー 」の直後に「 海軍伝習所 」や「 造船所 」

や「 反射炉 」をつくり、西洋列強に対抗できる体制づくりに励むべきだった。

事件当時、佐賀藩の当主は鍋島斉直(なりなお)といったが、その後を継いだ斉正(

のち直正に改名)は怒りに燃えた。

それはそうだろう。

フェートン号事件でイギリスの無法を許してしまった責任は、どちらかといえば佐賀藩

ではなく幕府の政策にある。

ならば、この恥をすすぎ、必ず幕府を見返してやる、とこの「若殿」は考えたのだ。

もちろん、個人的な復讐心だけでな、長崎防御を任された大名として、このままでは

責任が果たせず、ひいては日本国全体の安全が脅かされるという危機感もあった。

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