幕末外交に大きく影響した「 フェートン号事件 」 No.4

江戸幕府は、武器の改良そのものを禁じていた。
だから銃は火縄銃のままで、大砲は青銅製だった。
大船は建造することすら禁止していた。
その「 進歩を止めた武器 」で「 二百年以上進歩した武器 」に対抗しようと思っても
無理な話だ。
叱責すべきは佐賀藩ではなく幕府自身の「 平和ボケ 」である。
本来なら、「 ペリー 」ではなく「 ペリュー 」の直後に「 海軍伝習所 」や「 造船所 」
や「 反射炉 」をつくり、西洋列強に対抗できる体制づくりに励むべきだった。
事件当時、佐賀藩の当主は鍋島斉直(なりなお)といったが、その後を継いだ斉正(
のち直正に改名)は怒りに燃えた。
それはそうだろう。
フェートン号事件でイギリスの無法を許してしまった責任は、どちらかといえば佐賀藩
ではなく幕府の政策にある。
ならば、この恥をすすぎ、必ず幕府を見返してやる、とこの「若殿」は考えたのだ。
もちろん、個人的な復讐心だけでな、長崎防御を任された大名として、このままでは
責任が果たせず、ひいては日本国全体の安全が脅かされるという危機感もあった。
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