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幕末外交に大きく影響した「 フェートン号事件 」 No.2

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イギリスはやりたい放題のことをやって悠々と退去した。

江戸から派遣されていた長崎奉行松平康英は国威を傷つけられた責任をとって切腹した。

長崎自体は幕府の直轄地であり、だから中央から旗本出身の長崎奉行が赴任していたの

だが、長崎湾自体の警備は近くの佐賀藩に委託されていた。

今は、佐賀県と長崎県に分かれているが、昔は肥前国であって、一つだった。

佐賀藩は、一番近い大藩として長崎警備を担当させられていたのだ。

しあkし、幕府も、日本全体もそうであったように、この時代の佐賀藩も完全に「 太平の

ねむり 」つまり「 平和ボケ 」にひたりきっていた。

本来なら千名を警備に割かねばならないのを、わずか百名でごまかしていたという。

当然、幕府はその「 怠慢 」を厳しく叱責した。

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