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禅 語 : 一日不作一日不食

お地蔵様1004.jpg

一日作(な)さざれば、一日食らわず。

あるとき百丈(ひゃくじょう)は、僧堂の大衆が総出で作務(さむ)(労働)を行なう際に、

高齢の老師様だからというので、お出ましいただかないように配慮された。

鎌を隠されてしまったのである。

そのことを不満に思った百丈は、その日、食事を頑として採らなかったという。

これは、そのときの言葉である。

いかにも「 百丈清規(しんぎ) 」の作者らしい言葉である。

ここには、老師様と大衆の差別、高齢と壮年の差別、知性と身体の差別等への、

問いと批判がこめられていよう。

禅のいのちは、用にある。

はたらいてやまないところに、、禅者の真価がある。

それをかけがえのないご法体(ほったい)、大切にしてくださいと、ただじっとしている

よう言われたら、承服しかねるのも無理はない。

ただし「 作す 」ということ、行為には、仏教の場合、身(しん)・語(ご)・意(い)の

三方面があるのだから、いわゆる肉体労働のみが作務とは限らないであろう。

老師には老師の業務もあったはずである。

大人げない、と斬り捨てるのもまた一見識かとも思う。

ともあれこの句には、懈怠(けたい)と無為に過ごすのみの不心得者への警告を、

すなおに読めばよいであろう。

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2011年10月

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