禅 語 : 平常心是道 (びょうじょうしん これ みち )

平常心は、一般的に用いる場合には「 へいじょうしん 」と読むが、平常心是道という
禅語としては、「 びょうじょうしん 」と読む。
唐代の禅宗発展の立役者である馬祖道一( ばそどういつ )のことばで、仏を特別な
尊い存在と見るのではなく、行住坐臥( ぎょうじゅうざが )の日常生活を離れたところ
に悟りを求めず、人間存在のありのままこそが仏法の実現であるとするのである。
馬祖の門流によって主張され、即心是仏( そくしんぜぶつ )とともに唐代禅宗の特徴
を示す禅語となった。
禅の悟りが特別なものではないことを、多くの禅僧がさまざまな表現で説いているが、
臨済宗の祖臨済義玄( りんざいぎげん )は
「 屙屎送尿( あしそうにょう )、著衣喫飯( じゃくえ きっぱん )、困(こん)じきたれ
ばすなわち臥(が)す 」 ( 大小便をし、服を着て飯を食い、眠くなれば寝る )と述べた。
つまり朝起きてから夜眠るまで、何の変哲もない日常生活全体が修行ということである。
また永平寺を開いた道元は、修行自体が悟りの現成(げんじょう)であることを
「 修証一等 ( しゅしょう いっとう )という語で示している。
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