禅 語 : 大道無門 ( だいどう むもん )

人はそれぞれに「 道 」を求めている。
ピアノでも、絵画でも、スポーツでも、自分の好きな道に向かって求めている。
しかし、基本は自分の才能に気付くことである。
まして、迷いや苦しみから解放された「 空 」で「 無心 」な心の世界に気付く
発見は難しい。
その気付きの契機には条件がない。
唐突に気が付くのである。
それは外からの教唆とも言えないし、自分の力だけとも言えない。
「 無門関 」を編集した慧開(えかい)和尚はいう。
「 門より入(い)るは家珍(かちん、家宝)にあらず 」。
外から教えられただけなら内心の宝ではない。
内心の宝に気付く契機に決まった門などない。
道はどこにでもあるとう。
「 無心になる 」ことは求めていないと、気がつかない。
したがって何時でもどこでも求めていたら、発見があるということである。
それはあこがれである。
強い敵を討ち、高い的を撃ちたいというような求めの心を持てと道元さんはいう。
コメントする