仏教東漸の理念を貫いた鑑真和上の足跡 3/3

鑑真和上の故郷・揚州は当時、中国最大級の貿易都市で、シルクロードを伝わって
来たありとあらゆる文物や技術が集まっていたと言います。
だから、鑑真和上も非常に知識が豊富だったし、一緒に連れてきた僧や仏師も国際色
が豊だった。
それは唐招提寺が所蔵する仏像にもよく表れている。
例えば新宝蔵(しんほうぞう)に安置されている如来形立像(にょらいぎょうりゅうぞう)
は、腰の曲線のなまめかしさ、波打つような衣のデレープなど、ガンダーラ仏に近い
趣があります。
また「 木彫仏が日本で初めて作られたのも唐招提寺だった 」という石田執事のお話
も興味深くうかがった。
中国では石工が盛んで、木彫に使うのは白檀くらいだったけれど、日本では彫刻
向きの石も白檀も手に入りにくい。
代わりに檜(ひのき)、榧(かや)、桐(きり)といったさまざまな木を試し彫りするなかで、
木彫技術が進歩した。
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