仏教東漸の理念を貫いた鑑真和上の足跡 2/3

そこで大師自ら「 法のためである。 なんぞ身命をおしむことがあらんや。 」と
死を覚悟の渡海を決め、その情熱に押されて弟子たちもつき従うこととなった。
1度目の航海は密告により失敗。
2度目は難破。 さらに南方に漂流し賊に襲われたり、失明するほどの難に遭いながらも
「 釈尊の正法を東の日本に伝える 」という信念を曲げず、ついに6度目の渡海で日本の
土を踏む。
そして平城京の東大寺大仏殿前で聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇など多くの人に
授戒をし、国家的事業として大きな役割を果たした。
その後、唐招提寺を開いたのは” 主流派から追いやられたから ”という説もあるが、
今回の修理で金堂が想像されていた以上に高い格式で、格別な配慮があったことが
わかっている。
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