ブログトップビジネスマナー > 仏教伝来 3/7

仏教伝来 3/7

紅葉1067.jpg

その時の伝統重視派の意見は

「 我が国家の天下に王とましますは、恒に天地社禝百八十神を、春夏秋冬に祭り

拝むことを、事と為したまふ。 

方今(いま)改めて蕃神(となりつくにのかみ)を拝まば、恐らくは国神(くにつかみ)

の怒りを致しまつらん。 」というのであった。

敬神崇仏ならいざ知らず、天皇が崇仏廃神に走られるなどというのは、とんでもない

選択でございますというのであって、これ以後、敬神崇仏か、敬神廃仏かが争われ、

蘇我氏も含めて崇仏廃神を主張したものは全く存在しなかった。

ここに伝統重視派が、仏教を「 となりつくにの神 」(日本書紀)と称していることが

注目されるのであって、仏教も「 神 」の一種として受け入れる素地があった。

「 日本霊異記 」によると、この当時「 仏像 」のことを「 隣国の客神の像 」と

呼んでいる。

これは仏教に対する当時の人々の理解を示すものとみられる。

これは伝統派だけの考えではなく、日本古来の神の信仰にもとづく思考方法で仏教

を神の一種ととらえて受け入れる余地があったものと思われる。

ただし、この時の討論の結果は、欽明天皇のご期待に反することになってしまって

いて、仏教の公的採用の中止が決定されてしまうが、しかし天皇には仏教に対する

未練がおありであった。

そこで、蘇我氏における個人的崇仏を許可されたのである。

コメントする

2011年10月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31