たとえのことわざ 「 弘法にも筆の誤り 」他

「 船頭多くして船山にのぼる 」ということわざがある。
ことばを知らない若い人が、船頭が大勢いたから、船をかついで山へのぼった、などと
解釈する。 こどもの考えで、それではことわざにならない。
船頭はたとえで、指導者、えらい人、賢人などのことを暗示している。
大将はひとりで充分、何人もいては、ものごと、とんでもないことになる。
それを皮肉ったのである。 それがわかるのがレトリック感覚だ。
かってあるテレビ局の企画スタッフが恥をかいた。 方々、識者に電話をかけたのである。
「 弘法にも筆の誤り 」というのが、いつどこでおこったことか、教えていただきたいという
取材であった。 やはりことわざのレトリックが分かっていない。
これは空海が書き違いをしたことを言ったものではない。 弘法はたとえである。
弘法のようなその道にすぐれている人でも失敗はある、と言ったのだ。
歴史的事実など調べたくても、なんにもならない。
さきのテレビ局はまた「 ” サルも木から落ちる ”瞬間をとらえるためにカメラマンを出す
プランがあります 」とも言ったというから愛嬌である。 ここのサルは弘法と同じ、名人、
達人のことで、どんなにすぐれた人でも失敗はある、というのが真意。
カメラで撮ることはできない。 ” も ”が利いている。
そのサルで男をあげた政治家がいる。 大野伴睦。 1963年10月23日、解散総選挙、
本会議場から控室へ引きあげてきた議員に、自民党副総裁の大野伴睦は挨拶をした。
「 前代議士諸君、サルは木から落ちてもサルだが、代議士は落ちればタダの人。
がんばって再びここで会おう ・・・ 」
さすがに党人政治家、俳句もよくした通人だけのことはある。
出典 : Associe 2009年4月7日号 外山滋比古氏の” ことわざのレトリッック 」から。
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