ユダヤ教の歴史概略

株式会社晋遊舎 発行 「 日本人が知らない恐るべき真実 」 (安部芳裕氏 著)に
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の歴史概略がわかりやすく書かれていたので、ご
紹介します。
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旧約聖書に出てくる「ノアの方舟」は、知らない人がいないほど有名な話でしょう。
唯一神ヤハウェの啓示に従い方舟に乗って大洪水から助かったノアとその家族は、
その後全ての民族の祖先となったとされています。
紀元前3000年頃、ノアの子孫であるアブラハムは、神によって「カナン(現在のパレス
チナ)の地に行け」と命ぜられ、カルデヤのウル(現在のイラク)からカナンに移住しました。
アブラハムの子孫は、その後エジプトへ移住しますが、エジプト王国の厳しい支配を受け
るようになり、紀元前1280年頃、預言者モーゼが「約束の地カナンへ戻ろう」と、仲間を
引き連れエジプトを脱出します。
このときモーゼがシナイ山で神と結んだ契約を「十戒」と呼び、のちにユダヤ教の教えの
中心となりました。
モーゼ一行(イスラエル人)は神の奇跡に助けられ、約束の地カナンにたどり着きますが、
そこには既に別の民族が住んでいました。
イスラエル人はカナンを奪い返すため戦争を起こし、ヘブライ王国という念願の国家を
建設します。
ヘブライ王国はダビデやソロモン王の時代(紀元前1000年頃)に黄金期を迎えましたが、
ソロモン王の死後、王国は北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂、。
その北イスラエル王国も紀元前721年にアッシリアに滅ぼされ、紀元前586年には
南ユダ王国も新バビロニアによって滅ぼされて、政治、宗教のエリート層全員捕囚として
新バビロニアの首都バビロンへ連行されてしまいます。
紀元前539年、ペルシャ王国(アケメネス朝)がバビロンを滅ぼし、捕らわれの身であった
イスラエル人は帰国を許されました。
カナンに戻ったイスラエル人は、自分たちの神への信仰の正しさを確信し、エルサレム
神殿を再建、ユダヤ教団を形成します。
しかし、イスラエル人は帰国を許されるも、独立国家の建設を認められたわけではあり
ませんでした。
その後もペルシャ王国、アレクサンダー大王、ローマ帝国という大国の支配を何百年も
受け続けることになります。
紀元前1世紀頃、ユダヤ教徒はローマ帝国に対して二度にわたり反乱を起こしますが、
敗北。 神殿も破壊されてしまいます。
その結果、ユダヤ教徒たちはエルサレムに住むことを禁じられ、各地に離散。
20世紀になってイスラエルを建国するまで、国家を持たない「流浪の民」としての生活
を送ることになります。
流浪の民となったユダヤ教徒は、いつ、どこに引っ越さなければならなくなっても
困らないようお金を蓄えておく用になりました。
---- 中略 -----
西ヨーロッパで絶大な力を持ち始めたキリスト教は、聖地エルサレムをイスラムから
奪還するため1096年から約200年間にわたって十字軍を送ります。
十字軍の兵士たちは、次々とユダヤ教徒を襲撃、虐殺し、金品を強奪、異教徒征伐に
かこつけて軍資金の調達を行なった。 時を同じくして、ヨーロッパのキリスト教社会では
ユダヤ教徒に対する迫害が強まっていきました。
ユダヤ教徒に対する迫害はますます強くなり、土地を持つことも制限されたため、農業を
行なうこともできなくなり、ほとんど全ての職業に就くことが禁止されました。
唯一残された職業が、キリスト教徒がやらない利子を取り扱う職業、高利貸(質屋)や
金塊の保管人、両替商(貿易決済業者)等でした。
当時ユダヤ教、キリスト教、イスラム教とも利子の徴収は原則として禁じられていました。
しかし、ユダヤ教は例外として、異教徒(外国人)から利子を取ることは許されていました。
以上がユダヤ教徒が金融業に強くなった理由です。
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