幕末の日本とアメリカ

1853年(嘉永六年)にペリー艦隊が浦賀沖に現れた。
翌1854年(安政元年)にまたもペリーが来日、日米和親条約を締結します。
1858年に日米修好通商条約を結びます。 その年、「安政の五カ国条約」といって
オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも通商条約を結びます。
その後1868年に明治元年となり、よく1869年に東京遷都があり、戊辰戦争が
終わります。
ペリーが来航した19世紀半ばは、欧米列強がアジアの国々を次々に植民地化
しており、日本も狙われていました。
しかし、ペリー来航の直接の目的は、捕鯨船が、水、食糧、燃料などの補給基地を
必要としていたためです。 そのころアメリカは日本近海で捕鯨を行なっていました。
彼らの捕鯨目的は、鯨の肉を食料にするためではなく、鯨油を取るためでした。
取った鯨油のほとんどは蒸気船を動かすためにモーターの軸受けの潤滑油として
使用しました。
そのころ日本国内では、薩長連合による戊辰戦争がはじまって、各地で戦闘が行な
われ、そのために大量の武器が日本に入ってきました。
丁度1865年にアメリカで南北戦争が終結、北軍が勝利して、南軍の武器を廃棄銃
として没収します。 そういう武器がグラバーなど武器商人に安く買いたたかれ、日本
へ入ってきました。
長崎のオランダ坂を上ったところにあるグラバー邸という瀟洒な洋館がありますが、
これは死の商人であるグラバーが建てたものです。
グラバーは薩長に銃を売り込みましたが、エドガー・スネルという武器商人は
会津や奥羽列藩同盟に武器を売りました。
当時、イギリスは薩長につき、フランスは幕府についていました。
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