人を救うまことの神:狼

世の中に絶望した男が、狼に食われて死のうと思って山に入る。
横なっていると、狼どもがざわざわ出てくる。 さあ、おれを食ってくれと頼むと、誰もお前の
ような人間を食いやしない、はやく立ち去れ、と帰されてしまった。 という話が柳田國男
『昔話覚書』にある。
このとき狼がマヒゲを一本抜いて呉れた。 そのマヒゲを目の前にかざすと人の心がまざ
まざと透けて見えた。 マヒゲとは睫毛(まつげ)のことらしい。
はて、狼の眼に睫毛があったっけ、と動物図鑑を取り出すのは野暮である。
オオカミは大神、さらに古くは「大口の真神」という。 大口はむろん耳まで裂けている大きな
口。 恐れられているけれど、むしろ鹿や猪など畑を荒らす獣退治してくれるありがたい存在
だった。 時には窮地に陥った者にマヒゲを授けて救ってくれる神の使いなのであった。
「大口の真神」といへる素直を遠き古代の人が言ひつる 斎藤茂吉
大きな口をしたまことの神、この素朴にしてリアルな呼び名にわれわれ近代人が見失った
「素直」の心を追尋する。 狼と人間が隣り合わせに生きて、お互いの心を交わし合っていた
時代。 最晩年の茂吉の新春詠の中に狼が一匹いた。
* うたの動物記 「 狼 人を救うまことの神 」 小池 光 氏
(日本経済新聞 2009年1月18日) ~。
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