そば : 二八そば、十割そば

そばの麺は大きく「 二八そば 」と「 十割(とわり)そば 」に分かれる。
江戸で最初に食べられていたのはつなぎを用いない「 十割そば 」。
小麦粉がそば粉より高価だったのが理由らしく、当時茹でそばでなく蒸す調理法が流行
したのも麺の切れやすさからと考えられる。
幕末ころ「 俗事百工起源 」 ( 慶応元年、1865年 )、と「 五月雨草子 」 ( 慶応
4年 )に、二八は十六文の意味だと世間では通用しているが、実はソバ粉八割につなぎ
の小麦粉二割で打ったそばを表したものだ、と記してある。
しかし、「 善庵随筆 」 ( 嘉永3年、1850年 )の著者・朝川 鼎は逆二八説を取っている。
混合率説をとる根拠に当時そばが一膳6~8文だったことを挙げている。
二八が一杯十六文を表示した寛延、宝暦頃はまだしも、時代が下がるにつれて品質は低下
し、ついに二八は駄そば(粗雑なソバ)の代名詞となってしまった。
一方高級店は座敷を設け、「 手打ち 」あるいは「 生蕎麦 」を看板にして、二八そばとの
格差を強調した。
しかし、幕末になると二八そば屋までが手打ち、御膳生蕎麦を名乗り、店構えだけでは両者
を区別できなくなった。
* 「 蕎麦入門 」 ( 新島 繁著、 発行所:株式会社保育社 ) その他
コメントする