私が鳥をあまり食べない理由

私が小学生のころ家では鶏を飼っていた。
雛を買ってきて、餌をやって大きくして卵をとるためだ。鶏が大きくなるよう育てると
愛着がわいてきて可愛くなってくる。
餌は米屋から買ってきた糠に大根の葉っぱを刻んでいれる。それに時々牡蠣や貝の殻を
金づちでたたいて細かくして混ぜる。カルシュームが不足すると卵の殻が柔らかくなるのを
防ぐためそうしていた。家の裏に鶏小屋を造って鶏を6~7羽飼っていた。
たまにイタチに取られたり猫にもっていかれた。
実は人間にももっていかれた。
当時は戦後で物のない頃、大人たちが集まると酒を飲み、酒には肴が要る。その酒の
肴に私が飼っている鶏が徴用されるのだ。鶏はスキヤキにされる。鶏でも、牛肉でも、魚
でも同じだが、とれたて、屠殺直後は肉が固い、あるいはしわい。うまみも少ない。
子供心に自分が飼っていた鶏を食べる気にはなれない。スキヤキにした鶏肉を口に入れても
固いのと、何かいけないことをしているような気がしてはきだした。
それと、大学生のころ友人と新宿を歩いていたら、鶏の足をもって刺身包丁のようなもので
首をチョンと切って、お湯が入った醤油樽に放り込んでいるのをたまたま見かけた。
また子供のころ近所の肉屋の裏の川に鶏を逆さにつるして首をはねて血が出ているのを
見たこともある。
どうも自分が飼っていた鶏とイメージがダブッテ、なんとなく食べたくないのである。
でも、冷静に考えると、私が食べているものは、いや人間が食べているものは皆生き物で
ある。自分が飼ったことのない豚肉、牛肉、自分が栽培したことのない米、麦、野菜、イモ
・・・は平気で食べている。
命をいただいて生きているのだから、贅沢しないでいただく命はできるだけ少ない方がよい
のではないでしょうか?
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