大阪勤務の時代 : お願いしてないのに・・・

確か昭和42年(1967年)の春ごろのこと。
関西IBM研究会が終わって、日本生命のK部長と一緒の帰り道のことだった。
梅田駅の地下道まで来たとき、K部長が突然「有馬さん東京へ帰りたいんでしょう?
今度東京で委員会がありお宅の竹下本部長と会うから帰れるように言ってきてあげます」
と言いだされた。私は「お気持ちはありがたいのですが、社内の問題なので、どうか
そのような話はなさらないでください。」とお断りした。
にもかかわらずK部長、竹下本部長と話をつけてこられた。K部長、東京から帰って
こられると「話しつけてきたよ。そのうち帰れるから、待っていなさい。」との話。
肥後もっこすの竹下本部長のこと、きっと雷が落ちてくる、と覚悟していたが、雷はなしで
その年の9月1日付で東京転勤になった。
これには訳がある。当時全U協(全国IBMユーザー協議会=IBMユーザー研究会の
全国組織)の事務局を担当していたWさん(日本では高校しか出ていない)が、会社を
休職してアメリカの大学へ私費留学するので後任にどうかと直接私に話がありOKの
返事をしておいた。多分WさんがK部長に打診したのだと思う。
それにしてもWさん、私なんかと比べると大したものだ。お父さんが早くなくなり、母親に
育てられたとのこと。私と同じ貧乏人の息子。どこだったか忘れたがちゃんとアメリカの
大学を卒業して帰国した、IBMに復職した。
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