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2007年6月アーカイブ

会社生活(89). 日本IBMでの経験

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日本IBMではおおよそ次の5つの仕事を経験した。

1.電動タイプライター、会計機の部門の事務職。
  事務の基本は、数字に間違いがないこと、論理的でなければならないこと、後で
  トラッキングできるようにエビデンス(証拠)を残すこと、無駄をしないこと、などを
  学んだ。
  最近の社会保険庁のニュースを見ていると、どんな手順で、どう作業をしている
  のか説明がない。聞いている範囲だけでいうと、事務の基本ができていないの
  ではないだろうか。

2.IBMユーザー研究会の事務局業務。
  日本の大手企業の幹部から物事の筋をとおすこと、気配り、他人との付き合い方、
  などを教わった。大手企業の幹部の方々の考え方も教わりました。

3.汎用機の営業。
  営業の仕事は、お客様の問題を解決し、お客様に価値を提供する、お客様にいかに
  して信頼されるか、であることを実践できたことは大きな収穫になりました。

4.中・小型機の営業。
  金額の小さいコンピューター、サービスをいかに大量に販売するか、を更地で考えだし、
  実践、成果をあげることができたことは、すばらしい経験になった。

5.ソフトウェア会社の窓口。
  アプリケーションは現実にはソフトウェア(プログラム)になる。
  その価値を生み出すソフトの開発を行なうソフトウェア会社の幹部の方々と一緒に仕事
  でき、ソフトウェア会社の経営者が何に悩み、どういうレベルにあるかを知り、幾分かでも
  お手伝いできたのは幸いでした。

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会社生活(88). 早期定年退職

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バブルがハジケテしばらくすると会社の経営状況が良くないとの噂が入ってきた。
入社以来一生働けると聞いてきたので、まさか退職するなど考えてもみなかった。
そうこうするうちにどうやらプレミア付きで早期定年退職を募集するらしい、という
情報が入ってきた。
私自身はやりたいことをやらせてもらったので条件次第ではと考えた。
たしか1993年の2月だったと思うが、早期定年退職の説明があり、募集が始まった。
条件は悪くないので応募した。
応募したものは仕事をしなくてもよい、仕事を探しに行ってよいとの指示があった。
3月から6月に退職するまで毎日仕事探しに出ていた。
ハローワークにも行ったし、人材紹介会社も訪問した。
仕事は容易には見つからなかった。
仕事が見つからないまま1993年6月30日、約30年お世話になった日本アイ・
ビー・エム株式会社を退職した。

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会社生活(87). 杉田哲之さんのこと

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私がソフトウェア会社を担当した時に先輩に杉田哲之さんとい先輩がいた。
性格はスッキリした人なんだが、仕事もしないのに時々仕事に嘴を入れてくる。
それで私はご意見を返上した。それ以来嘴を入れることはなくなった。
この人と仕事をしていると時々予告もなく姿を消す。私は理由を知らないもの
だからクレームをつけると、本人は言い訳もしないで、申し訳ありません、という。
後でわかったことだが、週に何回も姿を消して、人工透析に行っていたそうだ。
ある時宮崎の有名ホテルでソフトウェア会社のシンポジウムを開催した時、
前日になってホテルの会長(宮崎の名士)に特別講演を依頼していることが
発覚して大騒ぎになったことがことがある。
杉田さんが会長に依頼して、どうやら忘れていたらしい、と聞いた。
杉田さんが定年退職する時に当時私の上司橋本公允氏が私に送別会の幹事
をやれという。私はいいかげんな上司の依頼(仕事ではないから)を拒否した。
どういうわけかまた依頼してきたので、面倒臭くなって幹事をやり虎ノ門の
パストラルというところで送別会を開催し、無事終了し、橋本氏からタクシーの
チケットを出させて藤が丘の杉本氏の自宅まで送った。
私がIBMを退職して数年したころ、杉田氏が亡くなったという連絡が入り、葬式
に出かけた。葬儀場でお参りして帰ろうとしていたら、モック・オフィス・コンサル
タント株式会社の金子社長から火葬場まで同行、お骨を拾ってやってほしい、
との要望があって、金子社長と二人で杉田さんのお骨を拾うことになった。
杉田さんとは不思議な縁であった。
杉田さんのご冥福をお祈りいたします。

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会社生活(86). SIに未来はあるのか?

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ソフトは膨張する。
日本のユーザーの場合、システムのスペックが決まっていないのに、先に
金額が決まることが多い。
後から後からこれもあれもと要求が膨張する、あるいは要求がころころ変わる。
ソフトウェア会社のプロジェクト・マネジャーはユーザーの要求を切ることに精を
出すことになる。
こんな状態で、ソフトウェア会社はSIをやると赤字を出すことが多い。
要員を遊ばせておくわけにはゆかないのでつい引き受ける。
でもこんなことを続けていたのでは企業は継続できない。
若人も逃げることになる。
SIに未来はあるのだろうか?
解決策としてスペシャリティとコンサルティングが必要になるのではないだろうか?

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会社生活(85). 原価積み上げ方式のソフト開発価格

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本来ソフトウェアの開発価格は、原価積み上げ方式ではなく、付加価値方式で
なければならない、と私は考えている。
月給いくらの人が何か月かけて作成したソフトだから、これに経費、利益・・・を
加えていくらになります、というのは原価計算をするためには必要だが、営業と
いう観点で考えると、私どもで開発するソフトウェアはこれだけの利益を生むので
いくらです、というのが正しいと思う。
でないと、価値あるソフトウェアを開発する意味がない。どんなに大きな利益を
生むウェアを開発しても原価ベースの価格設定ではビジネスとして意欲がわか
ない。
儲かるのは、ソフトウェア開発を発注した側だけということになるのではないか?

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会社生活(84). 若者がソフトウェア業界を避ける

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ソフトウェアの開発、特にプログラムの作成は若者から3K職場として避けられていた
面があった上に、バブルがはじけてかなりの人員整理が行なわれたため、若者が
ソフトウェア業界は安定性、成長性に欠け、危ないと避けるようになった。
現在インドや中国のソフトウェア会社が繁盛している一因であると思う。
私個人としては、現在の世界はソフトウェア無しでは動かない世界になっており、
非常に残念な気がする。
もっとも、産業は産業革命以来西へ西へと移動しており、ソフトウェア業界における
中国、インドもそうなのかもしれない。

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会社生活(83).バブルとソフトウェア会社担当

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リース会社担当としてはすることもなく遊んでいたら、こんどは再度ソフトウェア会社
を担当しろという。
中小のソフトウェア会社の社長、役員の相談に応じるというのが役目だった。
その頃は、IBMがソフトウェアの子会社を設立したり、最初はソフトウェア会社はエンド・
ユーザーと直のビジネスをしてよいとしていたのを、IBM経由でなければならない、という
やり方に変えたりして、状況は最初の頃とはかなり変わってきていた。
それでも世の中はバブルの最盛期で、SE,プログラマーが厚遇されていた。
新卒を採用するために旅行に連れて行ったり、マンションに住ませたり・・・と他社へ
行かれないよう囲い込みを行なった。
大学出たてのプログラムも書けない人に100万円/月払うというような現象もあった。
ただし、バブルがはじけると、保険会社などでは明日から100人~200人おひきとり
いただきたい、という話も方々にあった。
来る日も来る日も、あのソフトウェア会社が危ないとか、あのソフトウェア会社が倒産
したというような話が入ってきた。

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会社生活(82). IBM復帰と車の運転免許

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IBMへ復帰して担当したのは、当時協定リース会社14社があってその窓口だった。
体調を崩したので暇なところへ回してくれたのだろう。
暇なので休みを利用して車の運転免許を取りに行くことにした。
実は42歳まで運転免許なし、車なしだった。
埼玉県の鷲宮団地に住んでいる時に、子供が夜中に熱を出して、子供を毛布で
くるみ、家内と二人交替で病院まで歩いて行ったことがあり、車がほしかった。
自動車学校は八王子で3~4ヶ月通って運転免許を取得、ブルーバードを買った。
免許取立てで、中央高速を走って、小淵沢まで「元気甲斐」という弁当を買いに
行き家内をハラハラさせたりした。

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会社生活(番外). JAL御巣鷹山事故

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1985年の夏、家内の伊東の実家で夏休みを過ごしていたらテレビでJALの飛行機が
群馬県の御巣鷹山に墜落したとのニューズがあった。
休みを2日残して相模原の自宅へ帰ると、私とおなじSSCにいた林貞夫さんから電話
があり、IBMの社員が3名乗っていたので、会社から遺品探しに行くことになった。
ついては、有馬さんを指名したので一緒に言ってほしい、とのこと。
3人の内の1名は私と同じ客先を担当した中島 誠さんだと聞き了承した。
林さんの車に乗せてもらって高崎まで行った。
高崎駅前のホテルに泊って前橋の警察学校まで遺品探しに行った。
中島さんのマドラスの靴も何も見つからずだった。
帰りに遺体安置所になっている学校の体育館へお参りに行った。
体育館の中は線香の煙でもうもうとしており、遺体を洗ったホルマリン、遺体、線香など
の異様な匂いで3分も中に居られなかった。
その後体育館は匂いが取れないので、建て替えたとのこと。

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会社生活(81). 急性糖尿病

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出向してから1年あまり経った10月のある日、JR四ツ谷駅の階段を昇っていると
心臓がいやに動悸するので午後半休をとって相模原の更生病院へ行って検査して
もらうと急性の糖尿病だという。
それまでの生活を振り返ると、毎晩11時~12時まで仕事をしてビールを飲みながら
タクシーで帰宅することが週2~3回という生活だった。
翌日向野副社長に報告したら、3~4ヶ月待てるかと聞かれたので、できればすぐ
IBMへ復帰して療養したい、と返事した。
向野さんがすぐIBM栗生取締役に連絡をとってくれ、1週間後に復帰することになった。
会社を定時に退社し酒を控え、体重を落としてランニングを始めたら、3ヶ月くらいで
血糖値は正常値にもどった。

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会社生活(80). 部下も色々、上司も色々

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ゴマすりで仕事のできない人、約束の時間に来ないので電話するとまだ寝ていた人、
出張で一人でホテルで寝られない女性、面と向かっては柔順だが裏では悪口を言う
人、提案書を書くのに任せてくれと言うので任せたら出来上がったら全然提案書の体
をなしていないIBMからの出向者、他人の話を居眠りしながら聞く上司、依頼に行くと
にげる上司・・・などなどいろいろな人に会った。
仕事ができない社員が30万人もいれば、人減らしに子会社を作りたくなるのも無理
はない。労働組合の手前首をきれないから。
公社というのはお役所だから何十万人いても問題ないかもしれないが、民間会社は
仕事のできない社員を抱えていると倒産して給料をもらえなくなる。

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会社生活(79). 出向

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NTTから出向で来ている自分の部下は、NTTへ復帰することしか考えていない。
仕事に対する対する姿勢に積極性が見えない。
IBMとはえらい違いだと思った。
電話局で電話の申し込みに来るお客に応対することが営業だと考えているように
見えた。私に言わせればあれは業務で、営業ではない。ビジネスライクでもない。
私が出向して数か月経ったころ、向野副社長が体調不良ということで、数か月
休まれたことがある。食べた物がそのまま出てしまう、と聞いた。
恐らく笛吹けど踊らず、で指揮官が命令しても兵隊が突撃しない、ので神経を病
まれたのではないだろうか。
私としてはいい経験をさせてもらった、と考えている。

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会社生活(78). 同床異夢

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ある時日本電信電話株式会社(以下NTTと略称)の真藤 恒 社長 (1985年4月1日 
公社から株式会社へ変更)が半蔵門へやってきて講演するから集合せよとの指示があった。
それで聞きに行った。
真藤氏の話を聞いてNTTが日本情報通信(株)を作った意図が明確に分かった。
当時NTTには約30万人の社員がいて、社員数を減らすために日本情報通信(株)を作った
と真藤氏ははっきり言ったのを今でも覚えている。
片や日本IBMは、NTTあるいはNTTをとおしてコンピューターを売ろうとしていた。
2人で一つベッドに入って、違う夢を見ていたことになる。

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会社生活(77). 日本情報通信(株)への出向


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そうこうしているうちに日本情報通信(株)へ営業部長として出向する話が持ち上がった。
前任者がローテーションでIBMへ復帰することになり、白羽の矢が当たったわけだ。
私は元来じっとしていたり、同じところに長くいるのがいやな方で、かつ話があると何でも
乗ってみる性質なのですぐOKした。
日本情報通信(株)は、日本アイ・ビー・エム(株)と、日本電信電話(株)(NTT)(当時)
の折半出資の会社。
社長はNTT、副社長がIBMと決まっていて、マネジメント層は、NTTとIBMがサンドウィチ
の状態になっていた。当時IBMからは向野圭蔵副社長、畠野欣三常務、青山取締役が
いた。一般社員はほとんどNTTからで、NTT内の専門学校を出た連中ばかりだった。
私のグループには6名の社員がいて、なかには労働組合の委員長をやっているT君が
いたが、特別問題はなかった。
会社は、半蔵門の麹町警察のすぐそばにあった。

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会社生活(76). ソフトウェア会社の成長と分裂

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多くのソフトウェア会社を見ていると、奇妙な現象を発見することがある。
最初5人か10人でソフトウェア会社を始めて社員数が50~60人になると、半々
くらいに分裂する傾向を発見した。
社長になりたい連中が2~3人で会社を始めるが、創業時は会社を大きくすることに
中なので問題はない。
でも、社員数が50~60人になり一段落するとうまくゆかなくなる。
3人とも社長になることができないからだ。
このような現象を沢山見てきました。

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会社生活(75). ソフトウェア会社の悩み

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ソフトウェア会社の経営者に対しては、業種、業務に特化することをお勧めしていた。
技術レベルを上げてより高い価格で仕事ができるようにするためだ。
しかし、小さなソフトウェア会社では仕事があれば要員をアサインして、空きを作ら
ないようにするので、業種、業務はバラバラになり特化するのは容易ではない。
また、社員の教育に関しては、教育に出せばお金がかかって、売上がなくなるので
会社の経営にはダブルで効いてくる。
おまけに社員は条件が良ければ自社を辞めて他社へ移動する。
ソフトウェア会社の経営者にとっては頭の痛いことばかりなのだ。

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会社生活(74). D-PACK研修コース

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流通IM( Industry Marketing )という部門で流通業向けパッケージ・ソフトウェア
「D-PACK]を発表することになり、ソフトウェア会社を担当している私にサポートして
ほしいとの依頼があった。
依頼内容は、DーPACKをインストールしたり、売ったりしてくれるソフトウェア会社を
全国で10社作りたいので、10社のセレクションとその社長の面接を手伝ってほしい。
もう一つは、選択した10社のソフトウェア会社のSEにテクニカル教育を1年間で7日
間実施したいので手伝ってほしい、というものだった。
この仕事で流通IMの松尾俊秀さん、山崎宏明さんと知り合いになり、一緒に仕事を
した。
ある時研修をしていたらI社のSE 3名が昼食に出たまま帰ってこないで、夕方帰っ
てきた。本人達に確認したらさぼっていた、とのこと。
度胸がいいというか、バカというか、こんな連中も中にはいた。
本人達に断ってI社のK社長にその旨報告した。
K社長から預かって研修を受けてもらうことになったので、研修を受けなかったのでは、
約束を履行したことにならないからだ。

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会社生活(73). 鳥羽のSE管理者研修コース

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IBM大阪の主催で三重県の鳥羽でSE管理者研修コースの手伝いをしたことがある。
鳥羽観光ホテルで開催された。内容は大体営業管理者研修コースと同じだった。
私はコールテイカーを依頼されて、自分の出番が来るまでかなりの時間があいた。
そこでホテルに頼んで船を手配してもらい釣りに出かけた。
狙いはメバルだったが、メバルはほとんど釣れず、連れたのはウマズラハギばかりだった。
そこでホテルに依頼してカワハギの刺身を作ってもらい、私の部屋で飲み会を持った。
キモを醤油にといて食べると美味で結構いけた。評判は上々でまたたくまになくなった。
大好評であった。
勿論研修コースも成功裏におわりました。

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会社生活(72). 営業管理者研修コースの評判

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コースは、
1日目 : レクチャー 夜は懇親会 
2日目 : 午前中 レクチャー 午後 RFPを与える → プロポーザル作成作業 
3日目 : 午前中 ロールプレイ( プロポーザル・プリゼンテーション )
だった。

1日目は懇親会で一杯飲みゆっくり寝られるが、2日目はほとんどの人が徹夜
あるいは徹夜に近い状態で、3日目のロールプレイには朦朧とした状態で臨む
ことになり、有馬さんの研修コースは2泊3日ではなく、1泊3日
という評判だった。

料金が安いので、私のコースは大体熱海の先のシャトーテル赤根崎というホテル
で開催した。私は毎回全力投球なので、なれても3日間15人の人を預かると、
終わればぐっと疲れが出て翌日は1日中寝ていた。
気持のよい疲れだった。

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会社生活(71). 営業管理者研修コースの内容

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営業管理者研修コースは、IBM社内のセールスマン教育をモデルに作った。
内容は、レクチャーとロールプレイに分かれていた。
ロールプレイは、RFP ( Request For Proposal = 提案書提出依頼書 )を
与えて、プロポーザルを作成させ、お客様を訪問、プリゼンテーションを行なわせる
ものだった。
この研修コースの内容は、20数年経った現在でも十分有益な内容と今でも思う。
毎回参加者から実務に役立つと高い評価をいただいた。
レクチャーは私が担当したが、ロールプレイは私一人では人数が足らず、コールテイカー
(ロールプレイのお客様役)としてIBM社内のSE課長やSEを3~4名依頼した。
もちろん私もコールテイカーも担当した。
つまり、私は、クラスマネジャー(研修コースの企画、セットアップ、運営担当)、講師、
コールテイカーと3役を担当した。
仕事内容はきつかったが、人を育成するのに役立つと思うとやりがいがあり楽しかった。
私がソフトウェア会社を担当した2年間で、私が企画、運営した営業管理者研修コースは
10コース、生徒数約150名だった。

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会社生活(70). ソフトウェア会社の育成

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ソフトウェア下位者を募集したらわんさと押し寄せてきた。
2年間で600社くらい増やした。
ところがふたを開けてみると営業力のレベルが低いということで、教育をすることになった。
S/38をサポートするソフトウェア会社は従業員数のすくないところが多く、小さいところ
では10名位の会社もあった。
このため教育対象を役員、部課長から始めた。
営業管理者研修コースは、1回の定員約15名、2泊3日で、参加者1名2万円の参加費
をとったが、毎回IBMは50万円くらいの持ち出しだった。
IBM社員の人件費、出張旅費を入れると150万円くらいはかかったのではないか。

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会社生活(69). ソフトウェア会社の募集

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2年くらい営業推進の仕事をしていたら、営業企画へ移ってこんどはソフトウェア会社
を担当しろという。
仕事は、S/38のアプリケーション・ソフトを開発してくれるソフトウェア会社を勧誘、
募集、審査すること、ソフトウェア会社の相談にのること、ソフトウェア会社の人材育成
だった。
それまではIBMは、プログラムは自社で開発すべきだ、要因教育はIBMがお手伝い
しますと、という方針で来た。
それが一転してS/38のお客様のプログラムを開発するソフトウェア会社を募集する
というのだからえらい変身である。
IBMは、お客様のプログラム開発はIBM経由でなくお客様と直の取引をしてよいという
ことだったので、ソフトウェア会社がわんさと押し寄せた。

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会社生活(68). SSCへの異動

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そうこうしているうちにGSに SSC ( System Service Center )が新設される
ことになりそちらへの異動が決まった。
SSCでは、第二SSC(三納担当)で営業支援を担当することになった。
マーケティング・データ・ベースの設計に参加したリ、営業支援活動を行なった。
マーケティング・データ・ベースから、資本金、年商、従業員数、業種、地域などの条件
で該当顧客を抜き出し、デモ/セミナーを企画、案内状を作成、発送、こちらからデモ/
セミナーを電話で案内する、という仕事。7~8名担当者をもらい、私を含めて朝から晩
まで電話し続ける。4~5日。これはきつかったがいい経験になった。
デモ/セミナーに来ていただいたお客様を見ていて、可能性が高いお客様を営業に
渡してクローズするという段取りである。
なにしろ金額が大きい汎用機と比べてS/38などGSのシステムは金額が小さいので
大量販売しなければならず、大量販売のシステムを皆で知恵を絞った。
SSCでの仕事は、新しく始める仕事だったので、非常に楽しく、やりがいがあった。

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会社生活(67). DPとGSの営業方法の違い

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DPの営業は大企業担当なので、アカウント・プランを作り、ストラテジーを考えて、
セリング・プランを立てて営業活動を行なう。大体3年くらいの大まかなプランの中
の1年プランを実行する。
これに対してGS営業は、中堅企業を担当する。汎用機と比べると金額が小さいので
多くの客先を担当し多くの台数を売らなければならない。
したがって、1件のセリングにそうそう時間をかけていられない。
とにかく走ることが中心になる。
私は後にGS部門に異動になったので両方の長所、短所がよくわかる。

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会社生活(66). DPとGSの対立

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私が営業をやっていた時代には、営業部門は汎用機のDPと中小型機のGSの
二つに分かれていた。
DPの営業の中には、富士通に負けてもGSには負けるな、という人もいたくらい
対立した一面もあった。
私は別に部門の対立観は持っていなかった。
しかし、後に営業本部長になってJALの飛行機事故で亡くなったN君と2件客先
を担当したが、私が話を決めて、N君は見積書、契約書を持ってくるくらいで、
ほとんど営業活動をしないのにはまいった。
こんな営業が後に営業本部長になったのだから驚きだ。
私が見たのはN君は一面で、私が知らない他の面が評価されたのかもしれない。
人というのはわからないものだ。

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会社生活(65). 分散システム

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IBMには3790という分散システムの原型があった。
本格的な分散システムとして8100が発表され、私は汎用機の担当を外され
8100のセールスマンになった。
分散システムという名前はカッコいいが、とても複雑なシステムだ。
処理を分散していると、エンド・ユーザーが勝手にプログラムを動かすようになる。
システム部門ではだんだんシステムを把握できなくなる。
データを分散すると、どのようにして同期をとるのかが難しい。
処理を分散してもホスト・コンピューターと分散システムの間には通信回線が存在
して転送速度に制約があるし、トラブルにも対応しなければならない。
処理とデータを分散するとセキュリティも難しくなる。
最近はセキュリティの問題でシン・クライアントにしようとの動きがあるが、システム
的に見ても単純明快な集中処理のシステムをお勧めしたい。

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