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2007年5月31日

会社生活(64). 漢字とコンピューター

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建設機械で世界的に有名なK社をチームセールスで担当したことがある。
当時支社をつないだ販売オンライン・システムのセリングをしていた。
IBMには3270というすばらしい端末があったが、まだ漢字の機能がなかった。
S/34には漢字があったのにである。
私は端末サイドの営業を担当していたのでお客様の要求にお応えできないで
困りはて、藤沢研究所の所長をしていた先輩のWさんに相談に行った。
Wさんによれば開発中とのことで、部下の部長に有馬に研究室を見せてやれ
と言ってくれた。部長の案内で見せてもらい、状況を説明してもらった。
説明に納得したのは別にして見て驚いた。テスト中の機械が何台も置いてあるのだ。
IBMの懐の深さ、力を見たような気がした。
それから間もなく3270漢字が発表された。

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2007年5月30日

会社生活(63). くじら屋

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SSCへ移ってからは六本木の「くじら屋」へよく行った。
くじらのステーキ、ベーコンを好んで食べた。
マスターにわがままを言って、脂身は要らないので、赤身だけのベーコンを
出してもらった。これは逸品で美味かった。
ステーキは尾の身の上等なやわらかく、脂もほどほどのっている肉だった。
私はいまだに牛肉よりも鯨肉の方がうまいと思っている。
酒は焼酎で、紅乙女か白波、一升瓶で置いていた。
紅乙女をお湯割り、中に梅干しを入れた。どちらかというと薄めの方が好みだ。
このくじら屋、鯨が禁漁になってからもしばらく在庫品で店をやっていたが、
在庫がなくなり店を閉めざるを得なくなった。
そんなわけで鯨を食べられなくなった。残念至極だ。

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2007年5月29日

会社生活(62). 四季里というスナック

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全U協の事務局を担当している時代は、中国大使館の隣のマンションの1階にある
小枝(さえ)へよく行った。
営業の時代には会社に近い六本木の四季里が多かった。
この店はこじんまりしていて、魚のおいしいのを出すので行くようになった。
この店のマスターの妹が柳橋の芸者をしていて、9持か10時になると友達の芸者を
3~4人連れて帰りがけに寄る。
ある時四季里へ寄るとジーンズをはいた女性が1人で飲んでいる、見るとなく見ると
なんとマスターの妹の友達芸者で顔を知っている人だった。
話していると、赤坂で芸者数人でクラブをやっているので行きませんか、ご馳走します、
とのこと。そんなで一度だけついて行ったことがある。
また、この四季里はお花で有名な勅使河原霞さんが若いボーイフレンドと逢引きする
場所だった。何度も霞さんと出くわしご馳走になったこともある。

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2007年5月28日

会社生活(61). 雷とコンピューター

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ちょうど1年間だけ、1月から12月まで軽井沢のミニチュア・ベアリングで有名な
N社を担当したことがある。
この会社の会長は東京と軽井沢をヘリコプターで行き来するのをよく新聞、雑誌
で報道されていた。
ところで長野県というところは雷で有名なところだ。
落雷するとコンピューターは記憶はなくなり、CPUも使い物にならなくなる。
これは今のパソコンでも昔の汎用コンピューターでも同じだ。
N社の事務管理課長もそれを心得ていた。
客先では勿論避雷針を設置していた。
雷は、伊奈谷から軽井沢へやって来ることが一般的なので、伊奈谷で雷が鳴り
始めると連絡がくるように手配していた。
連絡が来ると速やかにコンピューターの電源をオフにし、回線を切り離して、
コンピューターそのものに落雷しない限り安全な状態にした。
お陰さまで私が担当している間は無事でした。

夏の軽井沢は新宿か銀座のようにごった返しているが、12月~2月になると
人っ子一人見かけない、犬も猫もみかけないゴーストタウンになる。
それでも駅前に数軒鯉料理を出す店がある。
出張のたびに鯉コクを楽しんだ。

ついでだが、長野ではあられや雹がふることがあり、屋外に駐車していると
車の屋根に傷がついたりへこみができることがあるので要注意。

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2007年5月27日

会社生活(60). システムの移行でトラブル

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D社は2年くらい間をあけて2度担当した。
2度目は、D社でシステムを移行することになり私は貧乏くじを引かされた。
何故かって、他人の売ったシステムの導入を担当させられたからだ。
営業は売るのが仕事なのに、導入だけを担当させられた。
当時客先では、IBM S/370 Model125 DOS/VS を使用していたが、これを
IBM S/4331 VM and DOS/VS に移行することになっていた。
ハードとソフトを同時に変えるのである。
リスクを考えると、まず第一段階でハードだけ変え、第二段階でソフトを変える、そして
第二段階では、1ヶ月くらい現行システムと新システムを並行稼働させる、というのが
賢明な移行方法だ。
客先のM課長、K係長、SEなどに安全な移行方法をとるように説得した。
M課長曰く「わかるが二段階方式と並行稼働はできない」との回答。
私は「システムの移行にはトラブルがつきもの。トラブルが出ても責任もてません。」と
まで言ったが効き目がない。
移行作業に入ったら案の定トラブルが出て、1週間システムは止まった。
現場からは毎日矢のような催促がくる。M課長は対応に追われた。
しかし、M課長は私には私の提案を受け入れなかったので、文句は言えない。
私は自社のSEやCEには客先には直接説明するな、私に逐次報告してほしい、
私からM課長に報告するといってそのとおり実行した。
約1週間朝から晩までD社駐在した。
小さなトラブルはあったが、SEとCEの尽力で約1週間でシステムは動き始めた。
お客さんの説得というものは難しいものだ。
客先を説得できなかった営業の責任は重い。

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2007年5月26日

会社生活(59). 約束をまもらない客先

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私は釣り具で有名なD社も担当した。
D社にはN次長という大学の先輩がいた。
このNさん人はいいのだが、約束を守らない。D社とI社合同のミーティングを開催して
ミーティングで決めたことも守らない。
仕方がないので、ミーティングが終了したらすぐ議事録を作成し、サインまで求めて
実行を迫ったがそれでも約束を守らない。
こんなお客様も担当していい経験になった。

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2007年5月25日

会社生活(58). 紹 介

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私はK社のN部長には社内の幹部を多数紹介していただいた。
ご紹介いただけると決まったらその場で「申し訳ありませんが、今その方にお電話
していただけませんでしょうか? お差支えなければ、今すぐでもお邪魔させていた
だきたい。」旨お願い、話がまとまればすぐ訪問した。
実は後日になると大体紹介していただいた方の秘書に電話を入れ、アポをとるのに
時間がかかる。下手すると断られることもある、ので考えたやり方だ。
一度会ってもらえば、必ず次のアポをその場でいただいたので、その後は問題ない。
K部長は昔社長候補だったそうで、なかなかのキレ者でご紹介いただいて断られる
ことはほとんどなかった。
紹介者は選ばないとこちらまで評価をさげることがあるので、要注意だ。

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2007年5月24日

会社生活(57). 客先キーマンの交代

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K社のN部長が子会社の社長になって神戸へ転勤になった。
後任はK部長になった。
N部長は理詰めで考える方で大体お考えを予測できたが、K部長は営業出身だと
聞いていたが、何を考えているのかわからない人だった。
後に私に自宅へ遊びに来いと言っておいて、私が担当を外れる時に営業としては
来るべきでなかった、という人だった。私に娘の就職の世話までさせておきながら。
でも私に稟議書を見てもらいたい、とういうくらいの関係になったので、営業としては
まあまあ成功したと思っている。
その稟議書を5分見て私はコメントした。
この稟議書には効果を書いていないので、是非書くべきだと。
私にはKさんには稟議書をレビューする熱意も能力もないのではないかと推測した。
課長に書かせたのを知っていたからだ。

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2007年5月23日

会社生活(56). CPU水をかぶる

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1973年の正月の仕事始めだったと思う。
K社でコンピューター・ルームの電源をいつもの年と同じようにあげた。
電源をあげると同時にCPUの真上のダクトからバケツ3杯くらいの水が流れ出てきた。
当然コンピューターは使用できない。問題はどうして復旧するかだった。
客先管理者、IBMから技術部長、CE、SE、営業の私がおおよそ1日鳩首協議した。
新しいコンピューターをインストールするのが早いか、それとも乾かした方が早いか、
それらのリスクは?
その間に私は技術担当役員に顔があったので窮状を訴えた。この役員、千鳥町事業所
にほぼ同じコンピューターがあるから持っていってよいと言ってくれたので、運送の手配
をし客先コンピューター・ルームの前に新品のコンピューターを1セット置きながら鳩首
協議した。
結論は、乾かした方が早くて安全ということになった。客先のシステム管理部員は自宅
から物置にしまっていた扇風機やら毛布を持ってきた。一方客先ではCPUに熱い光を
当てるための機会を手配した。それから3日3晩光を当てながら、扇風機で風を送り乾燥
した。コンピューターがやっと復旧したのはほぼ1週間後だった。
コンピューターには銅版を使用しており、銅板が水をかぶると緑青がでてトラブルの原因
になるということで、客先では新しいコンピューターの導入を検討、丁度IBM 3031が
発表されたので発注された。
この復旧にかかった費用は技術所の予算1年分に相当した。IBMのM技術所長はかん
かんになって私に怒りをぶちまけた。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
お世話になりありがとうございました。

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2007年5月22日

会社生活(55). ゴルフ

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ゴルフは確か24歳の年に始めた。
筆おろしは箱根カントリークラブ。チャンピオン・コースだ。
今でも覚えているが、雨が降り、風が強く、しかも霧にもたたられた。
一緒にまわっていたお客様のゼロックスの鈴木課長さん、東亜合成化学の岡本課長さん
に「有馬さんこれよりひどい条件はないから、いい経験だ」といって慰められた。
確かに言われたとおり雨、風、霧の3つに同時にたたられることはその後一度もなかった。
というのはもう20年位ゴルフはやったことはない。
営業になってK社を担当してしばらくすると、N部長さんが東大の時の友人が栃木県の
大平台という新設クラブの支配人をすることになった。自分は月賦で会員になるので、
有馬さんも入れとおっしゃる。当時は高給取りだったので、まあいいか、と月賦払いで
会員権を購入した。
そのころ私は埼玉県の鷲宮団地に住んでいた。家を買う頭金を貯めるため自動車は
買わないでいたので、東北自動車道の久喜インターまでタクシーで行き、N部長にピック・
アップしていただいた。帰りにもたびたびN部長運転で団地まで送っていただきました。
たまには大宮まで帰ってきてマージャンをしたこともあった。
私はこのK社のN部長には仕事でも大変お世話になりました。
Nさんはずいぶん前になくなられました。
こころからお礼申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。

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2007年5月21日

会社生活(54). マージャン

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K社を担当することになって、N部長に挨拶に行った。
趣味の話になって、そのN部長がマージャンが好きだとわかった。
N部長に宣言された。
「営業マージャンをしないでほしい。営業マージャンをしたら二度とあなたを誘わないから。」
私はこの客先を担当している間営業マージャンは一度もしなかった。
と言えば聞こえがいいが、それほどの腕ではなかたからできなかっただけのこと。
でもプラス、マイナスするとすこし勝っているくらいだ。
マージャンで一度怖い思いをしたことがある。
ある夏休みのこと、コンピューターの据え付けの立ち合いにK社へ行っていると、係長の
Yさんが弟の一級建築士の家でマージャンをやることになっているので来いという。
Yさん、キーマンなので断れない。
弟さんの家へ行ったら冷凍機会社の専務、鮨屋のおやじがすでに来ている。
今日はお金を持っていないからNOというと、Yさんが負けたら立て替えとくからやれという。
しかたないから腹をくくった。
鮨屋のおやじなどハンドバッグニに札束を入れてきている。
驚いたことに点棒を使用せず、その度にキャッシュで清算する。
夕方6時くらいから始めて12時間くらいマージャンをした。
終わってみると私が2000円~3000円勝っていた。
それ以来有馬さんは手つきは下手糞だが、ほんとは強いとK社内で評判になった。
こんな怖いマージャンは後にも先にもこれ一度だけだ。
・・・という夢を見た。
20年以上マージャンをしていないので、今では点数も計算できない。

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2007年5月20日

会社生活(53). リアルとバーチュアル・メモリー

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今から34~5年前は、メモリーも磁気ディスク装置も価格が高かった。
当時のシステムは、リアルの主記憶域(リアル)が256KBしかなくても、プログラマーは
たとえば1MBの仮想記憶域(バーチュアル)を想定してプログラムを書くことができた。
この仮想記憶域を4~5の区画に分けてプログラムはそのいずれかの区画で
動くしかけになっていた。人には4~5のプログラムが同時に動いているように見えた。
K社のN部長は東大卒ですばらしく頭のよい人で、「リアルとバーチュアルの比はコンピュ
ーターのパフォーマンスには関係ないと日頃言っておられた。
しかし、販売物流オンライン・システムが動くようになるとシステム・ダウンの回数が激増
した。
よくよく調べてみると、リアルとバーチュアルの比が大きくなると磁気ディスク装置への
アクセスが大きくなる。磁気ディスク装置へのアクセスが大きくなると、それだけエラー
を拾う回数が増える。当時K社ではC社の磁気ディスク装置を使用しており、微妙な
ところでIBMのCPUとのインタフェースが違っているのもシステム・ダウンの原因に
なったようだ。
K社のN部長はシステムはマージャンでいえば国士無双(こくしむそう)が良いといい、
私は清一色(ちんいいそう)がよいといっていた。
私の清一色が勝って、まもなく磁気ディスク装置はC社からIBMに替わった。
そして主記憶域も増設することになった。

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2007年5月19日

会社生活(52). オンラインシステムのコンペティション

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セールスマンになって2年目にK社が高島平の近くに流通センターを新設して、
客先本社、流通センター、特約店3社を結んで販売物流のオンライン・システム
を構築することになった。
自動倉庫業の会社や端末機のメーカーなど5社とコンペになった。
総合力だはIBMが勝っていたが、通常の端末機ではどうしても価格で負けてしまう、
という状況だった。IBM3270端末では勝てない。
そこで銀行用の3600という安い端末があることを知り、これで提案して勝った。
端末機のメーカーS社の社長は、K社のN部長に「御社で値段をつけてください」と
まで言ったそうだ。
この販売物流オンライン・システムは、客先業種、アプリケーション、使用端末、ソフト
の組み合わせで世界で初めてだと言われた。
何分世界ではじめての組み合わせのシステムなので、来る日も来る日もトラブルが
続出したがSEのI君が頑張ってくれて無事本番稼働した。
このシステムが本番稼働した時、私はクリエイティブ・アプリケーション・アワードを
受賞した。
為せば成る、為さねばならぬ何事も。

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2007年5月17日

会社生活(51). コンピューターの性能

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私はIBMで汎用機部門の営業をしていた。
当時は IBM S/370 の時代で、私の担当していたK社では M138 を使用
しており、主記憶装置は256KBだった。主記憶域の最大は1MBだった。 ディスク
の容量は覚えていないが、3330磁気ディスク装置1台の記憶量量は100MBと
当時の SYSTEM/370 REFERENCE CARD に書いてある。
空調設備のある大きな部屋に S/370 は鎮座していた。
今私が使用している デスク・トップのパソコンは、メイン・メモリーが1GBで、ディスク
は260GBでマルチ・ジョブで動く。
しかもお値段はパソコンは25万円で買い取り。汎用機はディスクをふくめるとレンタル
で「毎月」小さくても1000万円~2000万円。
コスト・パフォーマンスはいったい何倍になるのだろうか?

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2007年5月16日

会社生活(50). セールスの船出

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IBMマーケティング・スクールを卒業、1972年7月1日セールス・リプリゼンタティブ
として船出した。
最初担当した客先は2件。
馬込の事務機メーカーのR社と八王子のカメラ、フィルム、印画紙、複写機メーカーK社。
R社では先任のセールスマンが売ったプリンター:1403-N01の据え付けだった。
このプリンターは、良い鉄で有名なスウェーデン製で頑丈な機械で、私の好きなタイプの
機械だった。
K社に関してはVANDEL-1(バンデル・ワン)というデータベース・ソフトのセリングを
して8月に受注に成功年間目標を達成した。
このソフトはカナダのVANCOUVER(バンクーバー)で開発したのでこの名がある。
セールスマンとしてはじめての仕事で、契約書にハンコを頂いた時は、うれしくて、
お客様の気が変わらないうちにと急いで失礼した。
あまりにもうれしかったもので、興奮して八王子から六本木までタクシーに乗って帰った
ことを昨日のことのように覚えている。
私は初年度の目標を100%以上達成して賞品として生まれてはじめてハワイへ行った。
ハワイからアイスクリーム、パイナップル、愛妻用のムームー、ショートパンツ等等を土産
に買って帰った。JTBの担当者から笑われた。

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2007年5月15日

会社生活(49). IBMのセールスマン教育

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今から36~7年前の汎用機のセールスマン、SEの教育期間は約15ケ月だった。
期間的に半分は会社の中のセールス・スクールで勉強、半分はフィールド(営業所)で
先輩の営業について見習をする。
教育方針は、お客様の役員と対等に話ができる人材を育てることにあった。
セールス・スクールは、厳しく一度でも落第点をとると、セールス・トレイニーを首になる。
毎週1~2回は必ずテストがあるので、居眠りなんぞしていられない。
営業所での見習だが、私は営業所長アシスタントということで、営業課長と机をならべて
いたので、先輩の営業はやりにくかっただろうと思う。
でも、私がついた先輩(年下)は、岡 雅顕さんという早稲田出身の人で人柄のすばらし
い人だった。大変面倒をみていただきました。
15ケ月の教育の総仕上げが2週間のマーケティング・スクール。
私たちの時は、神戸の六甲山ホテルで開催された。
このスクールでは、レクチャーもあるが、最大のヤマは自分が書いたプロポーザルを持参、
ロールプレイでインストラクターふんするお客様に契約印をもらえないと、卒業できない。
つまりセールスマン、SEになれない。
私のケースは岡さんのお陰で、早々と契約印をもらったので楽をさせていただいた。
若いクラスメートの中には、難渋お客役に按摩をしてハンコをもらった人もいた。
岡さん大変お世話になりありがとうございました。お元気でしょうか?

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2007年5月14日

会社生活(48). エノケン

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全U協事務局を担当している時に、名古屋でシンポジウムを開催したことがある。
中心は、中部IBM研究会で、N陶器のK部長、NゴムのS次長など。
これをサポートするIBMは、中島 敏本部長、担当は野田三枝子さんだった。
名古屋では名古屋の威信をかけて企画。特別講演に石田退三トヨタ会長を担ぎ出した。
大成功であった。
シンポジウムが終了して慰労会があり2次会で名古屋の栄のクラブ:たんぽぽへ行った。
たまたまその時にはエノケンが健在で、出演していた。いまだにあの顔を記憶している。
あのサルのお面を被ったような顔の印象は強烈で、一度見たら忘れられない。
エノケンが歌っている時に芸達者なNゴムのS次長が舞台に這い上がろうとして、制止
されるという珍事が起きた。
たいした騒ぎにならず、ほほえましい思い出として残っている。

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2007年5月13日

会社生活(47). お客様を自宅へ送って

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大阪時代にお客様と飲んで送る機会があった。
お客様はN商事会社のS次長だった。ご自宅が箕面で私が住んでいた石橋と
比較的に近いので、S次長を送って帰ることにした。
タクシーに乗ってS次長の自宅に着いた。するとSさん大きな声で奥さんを呼び
有馬君が是非お邪魔したいと言うので連れて来た。
タクシーは待たしておいて「上がれ上がれ!」という。時間は夜中の12時を過
ぎていた。私はそのようなことは一度も言ったことはない。
図られた、と思った。当然奥さんはいやな顔をされた。
これはSさんが自分が奥さんに責められるのを言い訳するのにSさんが考えた
計略だとわかった。
私はそんなこといってませんよ、言ったが取り合ってくれない。
Sさんがあまりひつこくいうので、仕方なしに上がって奥さんに挨拶、言い訳を
して早々に退散した。
Sさん肥後モッコスで日頃は厳しい人だがもう一面を見た気がした。

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2007年5月12日

会社生活(46). 千鳥町の教育センター通い

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向野取締役に相談して2ヶ月待って、2月から千鳥町の教育センターに通うことになった。
インストラクターは自分と同年輩が多く、スクールが始まるまで、私はインストラクターの
部屋の一番前に机を与えられた。
来る日も来る日もPI ( Programmed Instruction = 自習書 )での勉強だった。
その頃私は、結婚したてで、埼玉県の久喜の近くの鷲宮団地に住んでいたので、毎日
片道2時間半以上かけて千鳥町まで通勤した。
身体に相当負担がかかったが、自分で選んだ道、弱音は吐けなかった。

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2007年5月11日

会社生活(45). ローテーション

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私が勤務していた当時日本IBMでは、一つの仕事を担当する期間は大体3年
が目安になっていた。
私は全U協の事務局を担当して既に5年を過ぎていた。
その間上司は飯田課長、渡邉課長、石黒部長と上の人は変わるのに、私は
ローテーションの対象にならず取り残されていた。
一つ仕事を長期に担当すると仕事の勘どころを会得して楽にはなるが、挑戦
する気がだんだんなくなってくる。
直接の上司に言っても埒が明かない。
そこで私のハイヤリング・マネジャー(採用したマネジャー)である取締役営業
本部長の向野圭蔵さんに相談に行った。
朝7時半に六本木の本社へ来い、とのこと。
部屋に入ると向野さんはすでに書類に目をとおしておりポコン、ポコンと承認の
デート印を押している。
用件を話したら、「営業をやるつもりはないか?」とのこと。
そこで「やらしてください」と返事した。
向野さん「すでに来年1月1日の人事は決定しているので、来年の3月まで待て。
4月から所属を変えるから。」とのこと。
私「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
話はわずか5分くらいで終了した。
これがIBMのメインストリームである汎用コンピューター部門の営業になる入り口に
なった。確か28歳の時と記憶している。
この向野さんの配慮がなければ今日の私はない。
向野さん、ありがとうございました。心から感謝しています。
惜しくも昨年向野さんは亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。

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2007年5月10日

会社生活(44). 酒が飯の代わり

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数年前に亡くなられた鈴木正六(しょうろく)さんのことが思い出される。
この方も全U協の委員長をされていた。
私はこの方からサラリーマン道を教わった。
この方は福島県の小名浜ご出身で、身体は骨と皮だけのようにやせておられた。
ご自分で言っておられたが、ご飯はほとんど食べないで、代わりに日本酒を飲ま
れるという方だった。肴は簡素なものが多かったように記憶している。
午前中に鈴木さんのオフィス日本石油へお邪魔すると、昼食を付き合うことにな
って、筋向いの広島の酔心へ行く。
そこではビールになる。こちらが払おうとすると、俺はこれだけ予算を持っていて
使い切れない、とかいって私に払わせない。
IBMでは酒を飲んで社内に入ってはならない、とのルールがあるし、ご馳走に
なるのも困るので、昼過ぎにお邪魔するようにしていた。
ある時どうしても鈴木さんの自宅へお邪魔しなければならない用件ができて、
池袋・要町のご自宅へ(社宅)へ上司の渡邉さんとお邪魔した。
朝10時に来いとのことで、ご指示の時間に伺った。
座敷に通されて待っていると、「おい!」という鈴木さんの声がして、奥さんの
「はい」という声が聞こえて鈴木さんが丹前を着てお出ましになった。
しばらく話をしていると奥さんが小さな四角いお盆にお銚子1本と1つの小皿に
塩ウニそれにお猪口3つをのせて現れた。
まさか朝の10時に酒が出るとは思っていなかった。
お断りしたが、聞くようなかたでないことはよくわかっていたので、渡邉さんも
私もやむを得ず朝から酒を飲むことになった。
私は飲んでも顔に出ないので問題なかったが、渡邉さんは酒に弱く赤くなって
会社へは帰れない。やむを得ずパチンコ屋で酔いをさまそうということになり、
これまた朝からパチンコに付き合わされた。
鈴木さんは酒ばかり飲んでおられたが86歳まで生きられ、数年前鎌倉の自宅
で亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。

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2007年5月 9日

会社生活(43). 料亭でマージャン

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全U協の委員長をされていた博報堂・常務取締役の豊田 連(むらじ)さん、前任の
ブリジストン・部長の萱田晴巳さんと時々銀座一丁目や新宿御苑近くの料亭で飲み
ながらマージャンをした。
IBMサイドは渡邉さんと私だった。
豊田さんも、萱田さんも マージャンが弱くて、大体私が勝っていた。
萱田さんからはよく「有馬さんはお小遣いが乏しくなるとマージャンを誘いに来る」
と揶揄された。懐かしい思い出だ。
萱田さんお元気でしょうか?お世話になりました。ありがとうございます。
豊田さんはずいぶん前に亡くなられました。
ご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。

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2007年5月 8日

子供時代(49). マル老衰で死す

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私が高校生の2年生の時マルは老衰になった。
獣医さんに何回か来てもらって、注射をしてもらったが老衰には効かなかった。
「マル」と名前を呼ぶとフラフラしながら歩いて、寄ってくる。
可愛そうでならなかった。
2~3日そんな状態が続いて、マルはムシロの上で動かなくなった。
父と2人でムシロでマルを担いで裏の畑の端に埋めに言った。
涙が流れて止まらなかった。今でも思い出すと涙が出てきそうだ。
老後は犬と暮らそうとずっと思っているのにまだその機会は来ない。

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2007年5月 7日

子供時代(48). マルと名古屋コーチン

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マルがもらわれてきた時には内で名古屋コーチンという鶏を一羽飼っていた。
マルが小さい時は、マルが鶏に寄って行くとよく嘴でつつかれていた。
瞬く間にマルが大きくなると、鶏の方が分が悪くなった。
その内に子犬の時の恨みか?まるが名古屋コーチンを噛み殺してしまった。
名古屋コーチンにはかわいそうなことをした。
でも犬を叱ってもわかるわけがないので、叱らなかった。
ついでの話。名古屋コーチンが玉子を抱いて孵そうとしたことがある。
近くに寄るとものすごく臭かった。
こんな臭いがするものなのでしょうか?

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2007年5月 6日

子供時代(47). 多産系のマル

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犬の成長は早い。1年くらいで瞬く間に成犬になった。
マルも年頃になるといろんなオス犬と恋をした。
犬というのはセックスする時、オスとメスがつながると水をかけようが、スコップで
叩こうが離れない。
セックスをすると子供ができる。
犬はセックスする時は人の前でもするが、子供を生む時は飼い犬でも家族の見え
るところではお産しなかった。
一度など床の間の下の縁の下でお産した。
父が畳と床板をはずして子犬を取り出したら、なんと13匹出てきた。

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2007年5月 5日

子供時代(46). 私の兄弟マルという犬

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私の父が荘内とういうところから鰯トロバコ1杯と交換に子犬をもらってきたのは、
父がジャンバーの内側にその子犬を入れて帰ってきたので、多分冬だったと思う。
子犬に「マル」とういう名前をつけた。マルは女の子だった。
マルはシルバーのシェパードで、何でも犬と狼の混血だといっていた。
高木という肉屋で牛の筋肉を買ってきて煮てやっても一向に食べない。
お腹がすくと私たちが食べているテーブルへやってきて、テーブルに前足を載せて
食べ物をねだる。人間がたべている魚など好んで食べるので、箸で与えていた。
人間の食べ物は犬には塩分が強すぎるのか、よく皮膚病を患った。
食べるのが一緒なら、寝るのも一緒のこともあった。
冬など私が離れで寝ていると、前足でかなり重い戸を開けて、私が寝ている掛け
布団の足元に丸くなって寝ている。
朝起きてみるとマルの足跡がいくつもついている。
マルにはよく遊んでもらった。
そんなわけでマルと私は兄弟だった。

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2007年5月 4日

会社生活(42). 昇進と昇給

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私は日本アイ・ビー・エム(株)に入社して4年で管理職に昇進した。
当然給料は上がる。
ハードとソフトの価格分離の営業政策実施への貢献が評価されたものと思っている。
その時の上司は渡邉 覓(もとむ)さんである。
渡邉さんは「お前の給料は周りの同期の人と比べて低い」といって2度昇給してくれた。
これで1年間に3度昇給したことになる。
後にも先にもこんなありがたいことはなかった。
聞くところによると、当時は1度昇給して、3ヶ月経つと成績がよければ昇給できた。
多分現在は考えられないことだと思う。
今では一生の良き思いでになっている。渡邉さんありがとうございました。

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2007年5月 3日

会社生活(41). 新聞の取材、編集の手伝い

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全国IBMユーザー協議会(全U協)の機関紙に「 IBM Users ]があった。
当時 IBM Users の発行は元NTT統計局の職員だった宮本さんの
会社に委託していた。
私は事務局担当だったので、カメラを持って取材に出かけたり、編集を手伝っ
たりしていた。
ある時全U協の委員会で宮本さんが儲けすぎているのではないかという意見
が出されてもめたことことがある。
同席していた宮本さんは必死になって防戦したが防戦し切れなかった。
私の上司の渡邉さんは宮本さんと懇意で宮本支持派であったが、私は常々
儲けすぎているようだと思っていた。
その後宮本さんはかなり取り分が減少してこの案件は決着がついた。
自分だけいい目ををしようとするとどこかでストップがかかって、常識的な線に
もどる、という私にとっての教訓になった。

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2007年5月 2日

子供時代(45). ハゲ山

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第二次大戦後私の生家の前の山々はいたるところハゲ山であった。
戦後燃料がなくて山の木を切って燃料にしたとのこと。
私が小学生の頃は山の砂防工事がおじさんやおばさんの失業対策事業になり、
彼らの収入源になっていた。
山に木を植えないと山は崩れてくるので、その後植林事業が続いた。
私の生家の前の山の天辺に大きな岩があるので、山が崩れて落ちてこない
かとヒヤヒヤしたものだ。
最近帰省すると山にはハゲたところは全く見えない。
前の山の天辺の岩も見えなくなった。
しかし、生家の近くでは山を崩して埋め立て住宅地を作ったり、工場団地を
作った。
失われた自然は2度と帰ってこない。
人間の勝手さに自然のお返しがないことを祈りたい。

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2007年5月 1日

子供時代(44). 「しゃこ」の獲り方

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岡山県玉野市の宇野の近くに喜兵衛島という島がある。
ここには母方の親戚の漁師の家が4~5軒あり、母方の尾崎家のお墓があった。
過去形であるのは、後に玉野に深山公園という公園墓地ができて、そこへお墓を
移したからである。
この島へお墓参りに行くと、親戚の山本 明という年上の兄貴が遊びに連れて行っ
てくれる。
ある時「しゃこ」(あの寿司のネタになる)獲りに行った。
しゃこは砂浜に一匹が1本の穴を掘って住み家にしている。
穴の両端に出口がある。つまり砂浜に2つの穴がある。立派なしゃこ様の家である。
どうやって獲るか?
穴を掘って獲るのではない。
棒で穴をつついて獲るのでもない。
穴の一方からしゃこを1匹入れる。そうすると穴の中間で2匹のしゃこがかちあわせ
して両端の穴から1匹づつ飛び出してくる。
卵(こ)持ちのしゃこを塩茹(しおゆで)すると大変美味である。
大人がそうしてしゃこを獲っているのを見て覚えたものだか、あそびで考え出した
ものだか知らないが、習性を利用した知恵がすばらしい。
今でも島の子供はしゃこ獲りをして遊んでいるのだろうか?

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