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子供時代(22).ヤミ米とぞうすい

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戦後間もなくは食べるものがなく、カボチャ、サトイモ、ジャガイモ、大根、ほうれん草などを
家の裏の畑や川ふちに畑をつくって栽培して食べた。大体少しの米と野菜を入れた雑炊が
多かった。父が子供用にと裏庭に柿の木やイチジクの木を植えてくれた。
よく風呂の残り火にサツマイモを入れて、焼き芋にして食べた。焼き芋ができるまで待てな
い時はサツマイモを生で食べたこともある。
食料はすべて配給制度で、配給されるが到底足らないので、カボチャなどを畑で栽培する
が、主食の米がない。当時まじめな裁判官がいて、配給のものだけ食べていて栄養失調
で亡くなったという笑うに笑えない話もある。
こういう状況ではヤミが横行する。北朝鮮じゃないがヤミ市ができるし、どの家もヤミ米を買
い出しに農家へ行く。母が帯で弟を背負い、ネンネコをかけて、私の手を引いて汽車に乗っ
て宇野線の茶屋町駅の近くまで買いに行く。円は封鎖されていてお金はないので、母は
自分の着物を持参、それと交換する、つまり物物交換だ。我が家だけでなくどの家でも奥
さんの着物と米を交換した。交換した米は、弟を背負った帯の下に縛りつけネンネコで隠し
て持ち帰る。ヤミ米という意味は、見つかったら警察に没収されるということだ。
幸いにして捕まったことはなかった。

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