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大学時代(20).アルバイト

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選挙の応援演説以外では、家庭教師を何件もやった。
岡山の家の歩いて10分くらいのところに中尾さんの家があった。この家は正和工業
という会社を持っていた。三井造船の下請け会社で、従業員も400人くらいはいたと
思う。最初は、造船所の中の現場で、船の上で機材を運ぶ作業を1週間ほど担当した。
1週間後に事務所に呼ばれて、明日から中尾家へ出勤せよという。行ってみると、中尾
夫人が、「午前中は、息子の家庭教師をして、午後は遊びに付き合って欲しい」とのこと。
勉強も教えたが、午後は渋川の海水浴場の正和工業の海の家へ行って遊んだ。
正和工業で作ったモーターボートで、渋川近辺から宇野あたりまで出かけた。
その後息子の幸一君が慶應高校を受験するので東京まで同行したこともあった。その時
生まれてはじめて(確かつばめだったと記憶しているが)一等寝台に乗せてもらった。
品川のプリンスホテルに泊めてもらい、銀座のフランス料理のプルニエや、日本料理の
辻留め、フタバファーなどに連れて行ってもらった。いずれも生まれて初めてだったが、
田舎っぺの私の大きな自信になった。実は中尾夫人は女子美卒でエリザベステーラーの
ような美人だった。私の母と中尾夫人が昵懇で、中尾夫人が私をかわいがってくれた
という関係だった。美人薄命か、中尾夫人は私が大学2年の冬休みに帰省する時に
亡くなられた。冥福をお祈りします。
プリンスホテルに泊めてもらったとき初めて西洋式のバスを使った。
玉野の社長の中には、洋式バスの使い方がわからなくて、手でバスの穴をふさいで
入ったという豪傑もいたそうだ。私はなんとか大丈夫でした。

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