子供時代(8).戦争の記憶

私は昭和17年2月生まれなので、戦争末期の昭和20年でも3歳だが、恐怖と
いうのは記憶に残るもののようだ。
1.月明かりの中を、父が布団を背負い、その布団の上に私が乗って、家の前の
山に掘った防空壕へ逃げた。
家の裏庭にに簡易の防空壕を掘ってあり、そこへ避難したこともある。
すぐ近くに三井造船・玉野造船所があったので、よく艦載機がやってきた。
あるときなど工員住宅に爆弾が落とされて人がなくなり、消防車が難題も
家の前を通って行った。
2.近所で遊んでいたら、空襲警報のサイレンが鳴って、隣の家の子と一緒に隣
りの家に飛び込んで、床の間で布団をかぶって震えていた。
後年は母は米軍の艦載機のパイロットの顔が見えたと言っていた。
3.母が自転車で農家へ行き、荷台のバッカン籠(竹で編んだカゴ)にいっぱい
枇杷買ってきた。
その自転車の荷台のバッカン籠から枇杷を取って食べながら、お寺のある
山の向こうの空が真っ赤なのを見ていた。
真っ赤な空は、米軍の空襲で岡山市内が焼けていたためだそうだ。
戦後近所の家を買って今の実家へ移り住んだが、その家の持ち主だった人
が岡山へ引っ越すというので、家財道具をトラックに積んで運んだ。
何故か私は父と一緒にそのトラックに乗って岡山市内へ行ったが、市内は
一面焼け野が原で、黒っぽいこげ茶色に焼けて建物は何もなかった。
戦争を体験した方の話を聞くと、やはり年月が過ぎても忘れてはいけないことなのだなと考えさせられます。子供には同じような経験をさせないよう、大人である私達が平和ということを考えないといけないですね。
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