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2006年12月29日

(有)ケー・アンド・ケーの2006年

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主な出来事。

1.1月22日(日)~2月1日(水) 代表取締役・有馬幸三 がインド視察旅行実施。

2.~5月 インドのソフトウェア会社のコンサルティング実施。

3.6月17日(土) 群馬県で保険業の営業職を対象にソリューション営業研修実施。

4.6月~11月 「ビジネスマナー研修」コース開発。

5.「ビジネスマナー研修」コースのために、独自ドメインをとり、Movable Type の
  ブログ開始。

6.今年も引き続き1年間某トラック運送会社のコンサルティングを実施。

7.その他講演、コンサルティングを多数実施。

2006年12月28日

2006年年末の心配事

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1.わが国の周辺

 ①.北朝鮮は日本から金と技術を得て、ついに核兵器とミサイルを手に入れ、わが国の
   大きな脅威になっている。また、日本を無視している。
 ②.韓国は、米国離れ、北朝鮮を支援、中国に対して朝貢しはじめた。
   竹島を占領自国領土にしてしまった。
 ③.中国は、軍備拡張、日本領海を侵犯しても日本は手出しできない。
   今に尖閣列島を、竹島と同じように、自国領土にしようと虎視眈々。
 ④.ロシアは、サハリン沖資源を、第二次大戦の時と同じように突如トンビにアブラゲで
   半分以上持って行ってしまった。人に資本を出させておいて、日本が引き返せない
   時点で強制収用した。まるでだまし討ちだ。
 ⑤.アメリカはベトナム戦争と同じようにイラクで失敗して青息吐息だ。
   日本が侵略されてもアメリカが助けてくれるとは限らない。日本が自分で犠牲を払わ
   ず血を流さないのに、アメリカが自国の青年が血を流してまで日本を助けるわけが
   ない。

 → こんな状態でも、国内では核の論議は封殺される。
   平和ボケもいいところだ。私は、そんな人と一緒に北朝鮮の核に当たって死にたくない。
   自分は自分で守らねば、人が助けてくれるわけがない。逆の立場に立って考えれば
   すぐわかる。何でも金で買えると考えるのは大間違いだ。
   日本はこれからどうなるのだろうか?

2.国内

 ①.郵政法案、参議院で否決されて、衆議院を解散した。これは憲法違反だ。
   党議拘束に反したとして自民党を首にしといて、今になって復帰を認めた。
   やっていることが、筋も、一貫性もない。ただ、参議院選対策のためか。
 ②.民主党もダラシない。政権政党は口ばかりで実行されない。
   左に制約されるくらいなら党を割っても筋を通して欲しい。
   数に恋々とするな、と言いたい。
 ③.金儲けばかり考えないで、自分の国をどのようにして防衛するか考え、議論すべきだと
   考えます。
 ④.政治家は、消費税の増税を考えないで、無駄をなくすることを実行して欲しい。
   地方では、談合、裏金、国会議員は立派な宿舎(マンション)を立てて、安い費用で入る。
   どこかの県では新しく観覧車を10億円でつくり、国に7億円金を出させるという。
   高級官僚は、退官後会社・団体を替わるたびに、何千万円も退職金をせしめる。
   地方公務員は民間よりも2~3割り給与が高いという。
   格差と、寄生虫を駆除しなけrばならない。我々国民は何のために税金をはらっているの
   かわからない。
 ⑤.いじめ、自殺、飲酒運転・・・、親として子供の育て方を間違えていないか自分のことも
   含めて皆で反省する必要があるのではないでしょうか?
   
⇒ 2007年は何か一つでもよいから他人の役に立つことをしたい。

2006年12月26日

子供時代(5).共産党員の先生

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小学O年生の時の担任のM先生は、代用教員でしたが、すごく一生懸命教えて
くれるので、小学生の私は信頼、尊敬していた。
私はこの先生のお陰で、4年生までの平凡な生徒から成績小学校1番の生徒になった。
しかし、この先生日本史の時間になると、原爆被爆者の写真をみせ、天皇陛下の悪口
を言って天皇陛下を非難する。この先生のせいか、小学生の私は、天皇陛下は悪人だ
と思っていた。
その先生の担任は長く続かなかった。原爆や天皇陛下の話がバレて首になったのである。

中学、高校と進み、自分の目でものを見、自分で考えるようになると先生の話は間違っ
ていることがわかるようになった。

大学時代に先輩の共産党員が私を共産党に勧誘にきて、6時間くらい話こんでお断り
したことがあるし、コンピューターの会社に勤務の時代にも共産党への勧誘があったが
丁重にお断りした。

共産党が政権をとった国はどこも独裁者が出て、破綻する傾向にあったり、民主主義
国家の脅威になったり、何より自由がない。どうしても世の中の原理として、共産主義
には賛同できません。
今頃あのM先生は、天国で「親に似ない鬼子ができた」と苦虫をかみつぶしているか
もしれない。

2006年12月25日

子供時代(4).小学校時代の先生

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小学校時代の先生は、次の先生にお世話になりました。
今でもお元気でいらっしゃるのでしょうか?

  1年生 : 三浦先生(女性) → 高安先生(女性) 産休のため途中で交代
  2年生 : 三木先生(男性)
  3年生 : 津国先生(女性)
  4年生 : 銀羽(ギンバ)先生(女性)
  5年生 : 三好先生(男性)
  6年生 : 藤田先生(男性)

私の実家は魚屋で、兄弟は男ばかり5人、私は長男なので、同級生のように、
学校から帰ったらカバンを放り出して遊びには行けない。
配達、掃除、子守、飯炊きなどを手伝った。特に冬の店の掃除は、凍るような
水を使うので、とても嫌だった。いまだに私の左右の人差し指にはあかぎれの
後が残っている。私の勲章だ。

そのころも、いじめはあったが死ぬような生徒はいなかった。
私の家では、ケンカして負けたら家に入れないといわれていたので、負けるわ
けにはいかなかった。もっとも、私の場合は家業の手伝いで、あそぶひまがな
くケンカすることもなかった。
60数年生きて、死ぬほどつらいこともあったが、死ぬつもりになれば何でもで
きると考えると気は楽だ。
いじめられたら、しかえしするくらいの気構えがないと生きてはいけない。
他人に自分の人生を左右されることはない。
自分の人生をきめるのは自分だけだ。

せっかく神様からいただいた生だ、大切にしよう。
自分で命を終わりにしなくても、役目が終わったら、神様がお迎えにきます。
神様から与えられた役目をまっとうしよう。
若者よ死ぬなよ、死んだら後がない。
チャレンジも、再チャレンジもできない。

2006年12月24日

子供時代(3).海釣り

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今から50数年前私がまだ小学生のころ父に連れられて魚市場の前へ何回も釣りに
連れていってもらった。
そのころは魚市場の前には黒鯛(チヌ)の小さいのが群れをなして泳いでいた。
父は竿を使用しないで、糸の先におもりをつけて10メートルか15メートル投げて釣っ
ていた。
私はというと、釣具屋でゴンボザオ(竹の枝を打ち払っただけの竿)と糸、はりを買っ
て、餌は自分で海岸の石がゴロゴロしているところへゴカイを掘りにいっていた。

ある時海タナゴが釣れて、焼いてたべるのにハラワタを出したら、子供のタナゴが出
てきた。魚の子は、白子かマコで卵だとばかり思っていたが、それをみてはじめて魚
の形をした子を持つものもいるということを知った。

釣り場へ行く途中に家の近所の肉屋の簡易屠殺場があって、一度ブタを屠殺してい
るところを通りかかったことがる。
屠殺場の中は見えないが、しくじったらしくブタがギューギューと断末魔の叫び声を
あげていた。それを聞いてすごいショックだった。
今になって考えると、動物の命をいただいて生きている点では、人間もライオンやトラ
と同じだ。自分で殺すか否かを別にすると。
人間は動物から進化した存在になれるのだろうか、それとも未来永劫動物のままな
のだろうか?

子供時代(2).さんしょ魚

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私が育った家の前の川は幅4~5メートルの小さな川で、岡山県の児島半島にあり山は
深くない。
私が中学生のころ大雨が降って川が氾濫したことがある。
川の氾濫が治まってから同級生が網を持ってドジョウすくいに行ったところ、なんと50セ
ンチメートルくらいのさんしょ魚2匹がつかまり、中学校の理科室の水槽にいれていた。
さんしょ魚は川の上流から流れてきたものと皆んな考えた。
みんな珍しいものだから人だかりしていた。
私も話には聞いていたがさんしょ魚を見るのは生まれて初めてだった。
手にとって匂いを嗅がなかったので、ほんとにさんしょの匂いがするかどうかは確認でき
なかった。
その後川はコンクリートで蓋をし、上流は埋め立てられた。
今でも山奥にさんしょ魚はいるのだろうか?

2006年12月22日

ソフトウェアの怖さ?

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2005年7月1日に○○CSというホームページを作成するソフトを購入、独自
ドメインをとり、ホームページをアップした。それから1月半くらいして OOCS2
というアップグレード・バージョンが送られてきた。
バージョンアップするとトラブルがよくあるので、しばらくほっておいた。
本日もういいかと思ってアップグレードを試みた。

うまくいったかと思って○○CSで作成したファイルを開いてプレビューしてみた。
心配したとおりデザインが壊れてまともに表示されない。メーカーに電話したら
ガイドはしてくれたが、いくらトライしても壊れたままであった。しかたないので、
○○をCSにまたもどした。

昔S/370のお客様がでDOS/VSのリリースアップをなかなかされないのを
思い出した。そのお客様は決してリリースアップの最初から5番目までのユー
ザーにはならなかった。

今何件リリースアップしてどんな問題が出ているか確認してからリリースアップ
した。ソフトウェアのアップグレードって30年前とかわっていない。
進歩してないのかも。

☆ 写真は浅草・浅草寺境内のびんずる様。

ピラミッドとスフィンクスとパピルスとハト

3大ピラミッド
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ピラミッドとスフィンクスを見物した後一旦ホテルへ帰ることになった。
帰途みやげもの屋へ寄った。
パピルスを売っている店に行った。正確に言うとパピルスに古代エジプトの絵柄を描い
たもの。

パピルスとは、英語のペーパーの語源になった言葉で、パピルスという植物(草のよう
なもの)の茎というか繊維をたたいて格子状にしたもの。
これに文字を書くのに使用した。昔はこのパピルスはナイル川の岸辺に沢山あったそう
だが、今はあまりないらしい。お目にかからなかった。

このパピルスにエジプトの古代の絵柄を描いたものを売っており、5枚買った。
町で売りに来るのは安いが、ニセもので、バナナの繊維を使用していて、時間が経つに
つれて変色するが、パピルスは変色しないそうだ。
いろんな絵柄、サイズがあるが、私が買ったのは30センチX40センチで、日本へ持ち
帰って、額に入れたらいい土産になった。

スフィンクス
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夕食はエジプトのご馳走を出すというレストランへ案内された。店の前でバスを下りたら、
店から異様なクサイ臭いがしてきた。
ハトはエジプトではご馳走だそうだ。待っていたらハト様が頭、嘴、足も付いてサラに乗
ってお出ましになった。
勿論生ではなく、焼いてあったが、ナイーブな私は、口にすることが出来ずビールだけ
で夕食にした。

夕食後再度ピラミッドを見に行った。今度は音と光のショーで、ライトアップされたミラミッ
ドを音楽つきで見た。昼間とは違って、夜のピラミッドにも感激した。

ピラミッドの数と規模は?


1.ピラミッドの所在地:
  ほとんどがナイル川の西岸の砂漠地帯。東岸には1~2基しかないとのこと。
  エジプトでも浄土は西にあるのか?

2.ピラミッドの数:
  一般には60基あると聞いているが、大小入れると78基と書いてある本もある。

ピラミッド
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2.ピラミッドのサイズ:
  最大規模のクフ王の第一ピラミッド(大ピラミッド)の現在のサイズは、基底部分は
  一辺220メートルのほぼ正方形、高さ137メートル、傾斜角約51度。

3.使用石材の個数:
  1個平均2.5トンの石を約230万個使用。

ピラミッドの土台部分
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4.石材の運搬方法:
  ナイル川上流のアスワンあたりから船で搬送したらしい。

5.ピラミッド建造目的:
  古くから王のお墓と言われてきたが、お墓なら1人の王が3基もピラミッドを建造
  したのはおかしい、とか、お墓なら遺体が出てこないのはおかしい、とか諸説ある。

6.なぜ、どのようにピラミッドを建造したのか:
  奴隷を使用した、王が人民を強制徴用した、ナイル川の氾濫時期に農民を失業
  対策のため使用した、などこれまた諸説ある。

階段ピラミッド
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ピラミッドに感動!

2004年10月19日(火) ギザのピラミッド、スフィンクス見物に出かける。
カイロのホテル・マリオットからツアーのバスで約1時間。
カイロ市内は制限速度は60Km/時だが、バスはかなりのスピードで飛ばす。
カイロは、昔マニラで見たように信号がほとんどないのに、である。
したがって、道路を横断する人が多い。
バスから見ている外国人である私はヒヤヒヤする。
バスに乗って30分も経っただろうか、あこがれのピラミッドがバスの左手に見えてくる。

ピラミッド
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しばらくするとあの巨大なピラミッドが目の前に現れる。しかも3つもである。
クフ王の第一ピラミッド、カフラー王の第二ピラミッド、メンカウラー王の第三ピラミッド。
壮観である。
今から4,500年も前に、人間がこの巨大な石の建造物を作ったのかと思うと人間の
偉大さに改めて感心する。
ピラミッドの近くには、何を警備しているのかしらないが、ラクダに乗った警備兵が銃を
持って警備している。
そういえば、エジプトではテロから観光客を守るためか、どこへ行っても観光バスには
必ずセキュリティ・ポリスが添乗していた。

ピラミッドの警備兵
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ピラミッドの次にピラミッドを守護するスフィンクスを見た。
顔は人だが、胴体はライオンか何かのようである。

スフィンクス
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KEのスチュワーデスはすばらしい!

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成田を発ったのは2004年10月18日(月)17:00だった。
乗ったのはKE(大韓航空)でカイロ空港に到着するまでに15時間くらいかかった
ように記憶している。13年前にヨーロッパへ行った時と同じくらい時間がかかった。

驚いたことが2つあった。

1つは、KEのスチュワーデスが、一生懸命働くことと、お客と話す時きれいな笑顔
で心を込めて会話しているのを見て感動した。それに美人ぞろいときている。
1940~50年代に度々乗ったJAL,7年前に乗ったアメリカの航空会社、今年乗
ったインド航空のスチュワーデスとは雲泥の差があるように思う。
私も客商売が長いので、見る目が厳しいが◎をつけた。
日本人も見習って欲しいと思ったくらいだ。

もう一つは、インチョン空港の大きさに驚いた。広大さと滑走路の本数が成田の数
等倍あることだ。さすがアジアのハブ空港を目指すだけのことはある。
ハブ空港→人・貨物の往来が多くなる→ビジネス拡大→経済が豊かになる。

7年前にアメリカ・コロラド州デンバーへ行ったが、デンバー空港には確か滑走路が
3本あったが、滑走路のそば、いや空港の近くには家・建物なんかほとんどない。
それに比べ、成田は滑走路のすぐそばに多数の民家がある。
狭い国土の日本はハブ空港など望むべくもないのか?

☆ 写真は朝霧に煙るカイロのナイル河畔。

エジプト旅行からはや2年

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時が過ぎるのは年々速くなる。これは年をとった証拠だそうだ。

エジプトへついこの間行ってきたと思っていたらもう二年経ってしまった。
エジプトという国は、ナイル川のほとりに緑があるだけで、後は砂漠というか石漠
というか砂よりも石がごろごろころがっている国だ。
まさに石の文化だ。ピラミッドをそばで見ると、よくも3000年も前にあんな巨大な
石を200万個もよく積み上げたものだと思う。
工事を行なわせた王様は強大な権力を持っていたらしい。
何を食べて石を積み上げピラミッドを造ったのだろうか? 

☆ 写真はエジプトのピラミッドを守る警備兵。写真を撮ると集金にくる。

2006年12月17日

46.インド (6).IT ⑦

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(8).インドのソフトウェア会社の活用法

   規模の大きなソフトウェア開発で、仕様が決まっていて、持ち出しができるものがイン
   ドのソフトウェア会社活用に向いている。
   インド人SEは、Java、.NETなど新技術に秀でており、大量のコーディングもなんな
   くこなす。
   インドで開発するので、日本への渡航費用、滞在費などがかからないためその分安
   価にできる。
   インド国内にも日本語の出来るSEがかなりいるし、日本語での開発環境も整備され
   ているので心配はいらない。
   インドと日本とのコミュニケーションは、メールもあるし、電話も可能。私の関与した
   インド・プネのM社(社員数70名)には日本語のできるSEが約30名もいた。
   なんでもインド・マハラシュトラ州の言語:マラティー語が日本語と構文が似ていて
   覚えやすいと聞いた。
   ただし、開発プロジェクト管理方法についてはインド側と日本側でよく打ち合わせ、
   頻繁にチェックポイント・レビューを行なうのが安全。
   くれぐれも日本的な発想でなく、アメリカン・スタイルで考え行動することが肝要。

45.インド (6).IT ⑥

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昨年3月から本年5月にかけて、日本のソフトウェア会社約200社を訪問したが、オフショア
のソフトウェア会社を活用して成功した会社はたった1社であった。
その1社も、10年前から中国のソフトウェア会社を活用して失敗、その原因を究明して、
やっと5年前から成功、オフショア活用のメリットを享受できるようになった。
つまりどのソフトウェア会社もオフショア活用に最初は失敗しているということになる。
成功方法をこっそり教えていただきました。
自社の若くて、英語ができるSEをオフショア専任にアサインしてからは失敗はなくなり、
現在は満足している、とのこと。
失敗には色々な原因があり一概には言えないが、一つの成功事例として参考にしては
してはいかがでしょうか?

44.インド (6).IT ⑤

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(7).契約 :

  ①.日本では、いまだにソフトウェアを受注する時、仕様が決まっていないのに、価格
    だけ決めて、仕事が始まる場合が多々ある。 
    採算はプロジェクト・マネージに懸かってくることになるが、本来作業量、品質が決
    まっていないのに、価格を決めるという論理矛盾があるという事も言える。
    日本企業では、終わってみると何億円赤が出たと言う話を度々耳にする。
    インド企業はこのような仕様が決まっていないのに価格を決めて仕事を始めるとい
    う受注は決してしない。
    ビジネスの常道に忠実である。日本企業も見習うところもあるのではないか?

  ②.日本のソフトウェア会社からは、インドのソフトウェア会社は契約どおりにしか仕事
    をしない、との批判を時々聞く。
    欧米のビジネス・スタイルからすると、①のような丼勘定的ビジネスは論外なので、
    日本企業の方が改めるべきところではないだろうか?
    むしろ、契約どおり実行するのは当然ではないか?

43.インド (6).IT ④

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(5).食生活 :

  日本人はインドといえばカレーを思い出し、カレーの好きな人も多い。
  最近は日本にインド人のインド料理屋が多くなったが、日本人はベジタリアンか、
  ノンベジタリアン(通称ノンベジ)かは区別しない。
  しかしインド人は区別する。 ソフトウェア開発に従事するインド人のSE、プログラマー
  などの連中は上位カーストの人でノンベジが多い。
  その上毎日カレー屋に通うわけにもゆかないので自炊しなければならない。
  SEの勤務時間は不規則なことも多く、自炊は大変だ。
  インド人は日本へ来ても、日本食で通す人はほとんどいないようだ。
  郷に入っては郷に従えとはなかなかいかないようだ。

(6).ホームシック :

  インド人は、日本へ来ても日本社会にとけこもうとする人は少ない。 
  日本人の偏見と文化、食生活が大きく違う点もその原因。
  日本へ来るインド人SEは20歳代から30歳代前半の若い人がほとんどだが、話し
  相手がいないため、疎外感が強く、ホームシックになるケースもある。

42.インド (6).IT ③

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(3).日本人の偏見
   日本企業のソフトウェア開発では、発注段階でソフトウェアの仕様が決まっていない
   ことが多く、ソフトウェア会社のSEが客先に出向いて客先と相談しながら仕様を決め
   ていくことが多い。
   そうなると日本人社員とインド人SEが向き合って一緒に仕事をすることになるが、
   日本人社員は「ちょっと・・・。」と拒否反応を示すケースが多い。
   日本人が改めなければならないことだが、色の黒い、中近東系の顔に弱いようだ。

(4).面接
   ソフトウェア会社のSEに仕事を発注しようかと検討する場合は、どこでも同じだが、
   スキル・シートをパスしたら面接することになる。 
   インドから面接のために日本へ出張ということだと、もし合格しない場合は人件費、
   渡航費用、滞在費等が、収益がないのに発生することになる。
   中国、韓国だと2~3時間で日本へ来られるが、インドだと10時間はゆうにかかる。 
   時間がかかれば出張費用も増大する。
   インドのソフトウェア会社のSEで日本へ来ている人は、ほとんどお客様で仕事をし
   ている人達で、浮いている人はいない。
   したがって、面接できるのは、近々お客様との契約が切れる見込みのSEに限られる。
   優秀なSEほどお客様は離さないから、面接はそれほどでもないSEになる。
   インドのソフトウェア会社が、中国、韓国のソフトウェア会社に比べて持つ弱点だ。

41.インド (6).IT ②

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私がインドのソフトウェア会社の日本でのビジネスの可能性が低いと判断する理由は次の
諸点だ。

(1).一般的にインド人SEの価格が1人月60~70万円と高い。
  中国人SEの価格は30~40万円で、インド人SE価格の50%~60%。日本人SE
  価格とあまり違わない。これではオフショアを使うメリットがない。

(2).言語の問題
  日本語は、日本人でも正確に話し、書ける人が少ない難しい言語。日本へ来ている
  インド人は日常会話はできるが、文章を書くとなると問題がある。
  ソフトウェア開発ではドキュメンテーションはSEの必須能力だが、彼らは日本人が使
  わないような表現の仕方をする。
  某銀行の面接でこの点で合格しなかったことがある。

40.インド (6).IT ①

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(1).インドでITが発展している理由は次の3つだと思う。
  ①.インド人がゼロを発見した国民で数字に強い。
  ②.子供の頃から英語で教育を受けているので、英語圏で仕事をするのに不自由
     しない。
  ③.インドには産業らしい産業がなく、かつ莫大な設備投資をしなくても参入できる
     ビジネスとしては、ITが最適である。

(2).インドIT産業の今後。
  ①.インドから見たソフトウェア輸出総額に占める日本の比率は、3~4%と聞いて
    いる。 今やインドのIT企業の的はアメリカ、ヨーロッパが中心だ。 日本でイン
    ドのIT企業が大幅に伸びるか否かについてははなはだ疑問だ。
  ②.アメリカ、ヨーロッパの経済が発展するとは考えられない。 インドのIT企業は、
    中国、東南アジアで活躍すると私は見ている。 アフリカ経済もここ数10年は
    発展するとは思えないから。
  ③.インドIT産業の国内需要はインドの経済力にかかっているが、インド経済は恐
    らくここ20~30年はインフラ整備に追われて、大して大きくはならないものと思
    われる。

今後20年経つとインドの人口は中国を追い越すと聞いたが、カーストの最下層のシュ
ードラ、アウトカーストと呼ばれる人達の経済力を引き上げてどこまでマーケットに出来
るかにかかっているのではないだろうか?

39.インド (5).宗教、身分制度

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(1).宗教 : 

   ヒンズー教徒は人口の82%。 イスラム教徒11%、 キリスト教徒2.6%、シーク
   教徒2%、仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.5%。

   イスラム教は16世紀にムガール帝国がインドを支配するに従い増大した。

   頭にターバンを巻き、ひげのある人達はシーク教徒で、インド西北部のパンジャブ州
   に多いそうだ。 仏教発祥の地インドでは、今や仏教徒は少数派。

(2).身分制度(カースト制度) : 

   最上位から下へ順に、バラモン(僧侶)、クシャトリア(貴族、豪族など)、バイシャ(商
   人、工業従事者)、シュードラ(農業労働者)の4階級があるが、更にその下にアンタ
   ッチャブル(またはアウトカースト)と呼ばれる階層がある。ヒンズー教とカースト制度
   は密接不可分の関係にある。

1950年のインド憲法の施行にともないカーストによる差別が禁止されたが、カースト制度
そのものは廃止されていない、と聞いた。

38.インド (4).人種、言語

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(1).人種 : 

   北部のインド・アーリア系、南部のドラヴィダ系、東北部のモンゴル系民族と少数民族
   で構成される多民族国家。正確な民族数は不明。

(2).言語 : 

   連邦公用語はヒンディー語(人口の4割が使用)だが、地方公用語としては18の言語
   が認められている。 
   英語は準公用語。 他に私が名前を聞いただけでも、ベンガル語、パンジャブ語、マラ
   ティー語、ラジャスタン語、タミール語などがあり、一説によると言語数は1,000を超
   えると言われる。

プネのM社のG氏によると、なんでもインドでは小学校から授業は英語で行なわれる。 
インド人がアメリカでIT技術を磨いた背景には言語も一つの要因かと思われる。

37.インド (3).道路

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(1).ムンバイ(=ボンベイ)→プネ 200Km,ジャイプール→デリー260Kmはほとんど
   舗装されているが、夜間の照明灯がない。 インド入国初日に真っ暗の高速道路を
   3時間もブッ飛ばす運転手は怖かった。 それも現地時間の午前3時~6時、事故が
   起きたら命はなかったでしょう。

(2).前記以外は大体舗装されていない。 サトナ→カジュラホ 150Kmの舗装されてい
   ない、照明もない夜道、それも時々一車線になったり工事中。 車が走った後は砂煙
   がもうもうで後ろから来る車は前が見えない。 対向車はどの車もライトをアップライト
   にしたままでまぶしい。 しょっちゅう足が突っ張る。 

(3).インドの面積は、328万平方キロメーターで日本の約8倍の面積。 国土が広いの
   で、都市部から順に道路を整備していると思われる。 土木業は有望かもしれない。

(4).道路に夜間照明がないのは、証明設備の金がないのと、もう一つ電力不足のため
   のようだ。 そう言えばプネのホテルでは夜中に何度か電気がきれて暗闇が訪れた。 
   多分ホテルの自家発電切り替えたためか、すぐ回復した。
   ソフトウェア開発業の会社はどうしているのだろうか? ソフトの開発やテスト中に突
   然停電になるとデータが消えたりトラブルが発生するが。 自家発電機の商売がいい
   かもしれない。

36.インド (2).トイレ

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(1).インド入国早々にボンベイのホテルで休息。 
   トイレを利用したが、男子用ロイレの受け口が高いこと。 大和民族の男にはやっと
   届くほど。 そう言えば昔ロンドンで2メートルを超える男を見た。 英国の植民地が
   長いので、イギリス人用にこしらえてあるのかもしれない。これ「ひがみ」かな?

(2).インドで初めて泊まったホテルにはトイレにトイレット・ペーパーがなかった。 
   電話して持ってきてもらったが。 用心のためにティッシュペーパーを多めに持ってい
   たけど。プネのM社のトイレには、何故かバケツが置いてあった。処理した手をその
   バケツの水で洗うためらしい。 トイレットペーパーもあったが。 ホテルにはトイレット
   ペーパーはあったが、それようの洗面器もあった。

(3).インドでは水道の水を飲んではならない、氷も水道の水で作っているかもしれないの
   で、食べてはならないと教えられた。 ミネラルウォーターも水を詰め替えていないか
   否か確かめて買えと言われた。 35年前から浄水器の水を飲んできたありがたさを
   痛感した。 私はインドにいる間中歯磨き、うがいには全てミネラルウォーターを利用
   した。 知らない国で病気になるほど怖いことはないから。

インドでは大便をトイレットペーパーで拭かずに手で処理すると聞いた。 
M社の仕事を始める前にインド情報を調べていたら、日本人の商社マンの奥さんの書いて
いるブログが見つかった。 
その奥さんボンベイに2~3年滞在したが、食事を作るメイドを雇って最初に教えたのは、
料理の前に石鹸で両手をどう洗うかだったそうだ。 
トイレットペーパーを消費せず、我が手で処理するのは省資源ではあるが衛生的には問題
あり。
 
もっとも日本でも昔話では、山では柏の葉っぱで拭いたとか、藁の上でおしりをこすった話
をきいたことがある。 ポットン便所の前の時代の話。

35.インド (1)。食べ物

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(1).私にとってインドのカレーは、油濃くて、香辛料が強すぎる。 
   日本のカレーなら大好きだ。 ナンは日本でも度々食べるがこれはパンより旨い。 

(2).カースト上位の人たちには、菜食主義者(ベジタリアン)が多いそうだが、ノンベジ
   でもせいぜい鳥、羊が多く、魚を食べる人は少ないようだ。 ヒンズー教徒にとって
   牛は神様の使いなので牛肉を食べることはない。

(3).インド国産のビールは、何種類かあると聞いたが、キングフィッシャーで通した。 
   このビールはなかなかいける。 インドへ行ってわざわざ輸入ビールを飲むことはない。 
   聞いたり見たりしたところでは、インド人はあまり酒を飲まないようだ。
 
(4).パパル(豆のせんべい)が度々ビールのつまみにでてきたが、あまりいただけない。 
   なれるといいのかもしれない。 デリーのホテルでビールのつまみにピーナツを出して
   もらったが、貧相なピーナツであまりうまくなかった。 カシューナッツがインド産と聞い
   ていたが、一度もカシューナッツは出てこなかった。

(5).果物。 旅行ガイドに生ものは食べるなと書いてあったので、一度も食べなかった。 
   ただし、インド人に聞くと、インドでは5~6月ころに美味しいマンゴが出回るとのこと。 
   マンゴは10数種類あるという。

(6).アイスクリーム。 プネでご馳走になったアイスクリームは、こってりとしてなかなか
   おいしいアイスクリームだった。

(7).卵焼き。 ホテルのレストランの食事は大体バイキング方式だったが、コックが焼い
   てくれる卵焼きはうまかった。

(8).紅茶。 サルナートへ行く沿道のきたない喫茶店?で飲んだ紅茶(ミルク・ティー)が
   一番おいしかった。

34.インド 第9日 (6)

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ガイドのモヒさんに土産物の相談をしたら、やはりインド土産は紅茶という。
14:00~14:30 モヒさんの知り合いがやっている紅茶屋さんへ案内してもらった。 
あまりきれいとはいえない建物が並ぶ一角に小さな紅茶屋さんがあった。 
この店の主人の奥さんはなんでも女優をしていたとかで、店に写真を飾っていたがか
なりの美人であった。 
紅茶だけでなく香料も売っていたが、紅茶だけにした。 
ファースト・フラッシュを2瓶と3種類の紅茶セット5個を買った。
買い物をしている時に、1月28日(土)ジャンシー駅のプラットフォームで会った姫路
から来た日本人夫婦にまた出会った。 
ひょっとするとこの店は日本人がよく連れてこられる店かもしれない。 
15:00 デリー空港着。 1週間付き合ってくれたガイドのモヒさんにお礼として30
USドル差し上げた。 
約30分旅行会社の社員が飛行機の搭乗券を持ってくるのを待って、15:30 チェッ
クインした。
出発時間は18:50なのでかなり時間がある。 
待合室のイスに座っていたら日本人の大学生がとなりに座って話しかけてきた。 
彼はニューヨークに12年住んでいたので、「英語には全然不自由しないが、インド人
の英語は聞いてもわからない。 わかりますか?」と問うてくる。 
私「やはりそうですか! 私も聞き取れません。何を言っているのかわからない。」と
答える。 インド風英語ではなく、英語風インド語だ。 
私の英語力の問題でないとわかって安心した。 
18:50 エアーインディア302便(18H席)がでりー空港を飛び立った。
22:05 バンコック空港着。 人と貨物を積み下ろし 23:30 テイクオフ。
日本時間 2月1日(水) 07:45 成田空港に無事着陸した。 
インドで風邪を引き、下痢も2~3回したので、検疫に行って申告したが、問題ありま
せん、と言って放免された。
09:05 成田空港発のリムジンバスに乗る。 11:15 相模大野立体駐車場に到着。 
タクシーで11:45 帰宅した。
ガイドのモヒさんお世話になりました。 ありがとうございました。

33.インド 第9日 (5)

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12:35~12:50 インド門を見に行った。
第一次世界大戦に出征したインド人兵士9万人の霊を弔うために1929年に建てられた。 
高さ42メートルで、ここから大統領官邸まで片側確か3車線の直線道路が走っている。
終日兵士が警護しているとのこと。
多分どこの国へ行っても国のために命を落とした人の鎮魂の設備があり兵士が警護して
いて国民がお礼とお参りのために訪れる。 
わが国にはまともな軍隊もなければ、国のために命を落とした兵士に感謝する設備もない、
お参りする人もいない。 全て話し合いで物事が解決できると思っている。 
世界の非常識な国、何と情けないことか! 
北方領土はとられ、竹島をとられ、今に尖閣列島、そして日本をとられてからではもう遅い。 
今のうちに何とかしなければならない。
これで観光は全て終了した。
13:00~13:45 Golden Dragon という中華レストランで昼食。 
中華風インド料理といった感じで、日本、香港、台湾などの中華とはかなり違う。 
そば、スープ、チャーハン、マンゴアイスクリームとキングフィッシャー(ビール)でインド最後
の食事を終えた。

32.インド 第9日 (4)

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11:45~12:15 マハトマ・ガンジーのお墓参拝。
インドは1947年8月16日、英国から独立した。 英国が1600年に東インド会社を設立
して以来347年ぶりの独立であった。
インドはイスラムに侵略され、1206年イスラム王朝が誕生、1526年ムガール帝国成立。
1858年ムガール帝国滅亡と同時に英国がインド直接統治を開始した。
マハトマ・ガンジー(1869年~1948年)は、ロンドンで弁護士資格取得後約20年南アフ
リカでインド移民の人種差別反対運動を指導。
1915年インドへ帰国、反英独立運動に参加、非暴力、不服従運動を展開、祖国を独立に
導いた。 
インド国民にはマハトマ(偉大な魂)と呼ばれて親しまれたが、独立実現の翌年1948年
1月30日、狂信的なヒンズー主義者によって暗殺された。
インドは独立以来、長い植民地支配による疲弊なため、社会主義型国家を目指したが、
1991年経済自由化政策を導入、今日に至っている。
7月30日(日)のテレビ:サンデープロジェクトでもインドが取り上げられていたが、労働組
合の強いところなど歴史的経緯をあらわしているのかもしれない。いずれにしても、インド
がIT産業を含めてどのように発展して行くのか見守りたい。

31.インド 第9日 (3)

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11:00 フマユーン廟を訪れる。
この廟は、ムガール朝第2代皇帝フマユーンを葬る。 フマユーンは、アフガン系のシェール
・シャーに追われて一時ペルシャに亡命するが、シェール・シャーの戦没後デリーに戻り、
ムガール朝を再建、北インドに勢力圏を拡大した。
フマユーン廟は、フマユーンのペルシャ出身の妃ハージー・ペーガムが、1565年に着工約
10年の歳月をかけて建設した。
庭園の後ろにドームをいただく左右対称の建物という華麗なムガール建築の嚆矢であり、
その後造営された廟や宮殿の範となった。
この廟は四方どこから見ても同じ形に見えるよう設計されている。
タージ・マハルと同じペルシャ人が設計したと聞いた。
ムガール朝はトルコ系とされるが、ペルシャとも深いつながりがあり、北インドではペルシャ
系の顔に時々お目にかかる。
陸続きの地では、奢れるものも久しからず、支配者はかわる。 この点はインドも中国も同
じようだ。

30.インド 第9日 (2)

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10:15 やっとのことでクトゥブ・ミナール記念塔に到着した。 
クトゥブ・ミナール(ウルドゥ語)というのは、クトゥブの語はデリーを征服したイスラムの
王の名前クトゥブディーン・アイバクを指し、ミナールは塔の意味だそうです。
クトゥブ・ミナールは戦勝記念にクトゥブディーン・アイバクが1119年から建設したもの。 
5層から成り、高さ73メートル。 
クトゥブディーン・アイバクが宮廷奴隷の出身だったので、彼の作った王朝は奴隷王朝
とも呼ばれている。
インドって面白い。 自分たちを征服した記念碑をいつまでも残している。 
私ならとっくの昔に破壊していただろう。
それとも今のインド人は征服者の子孫なのか? 
でも現在ヒンズー教徒はインド人口の役60%で、イスラム教徒は少数派なのに。
はたまた征服されたことを忘れないために残してあるのだろうか?

29.インド 第9日 (1)

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1月31日(火) 06:15 ジャイプールのホテル・マンシングを車で出発。 
北東方向約260Kmのデリーへ向かう。 今日も景色がうっすらと霧に霞んで見る。
約1時間で高速道路に入る。 高速は片側2車線ですばらしい道路だ。 
乗っている車は、インドの国産車TATAのINDIGO。 
ドライバーのシンさん飛ばす飛ばす。 
我々の前を走る車の後部に「 BLOW HORN / HORN PLEASE 」と書いて
ある車をよく見かけた。 
未だに日本では、「 警笛を鳴らしてください 」などと書いた車を見かけたことは一度
もない。 
国民性の違いなのか? 日本の常識で判断してはいけない。 
よその国にはその国の文化、歴史、伝統がある。
08:00~08:20 休憩。 
09:25 車の事故で渋滞。 トラックが1台横倒しになっている。 2~3分行ったとこ
ろにもう1台横倒し。 パトカーが来ている風でもない。 高速道路だというのに時々ラ
クダが荷車を牽いてテクテク歩いている。 ビュンビュン走る車とテクテク歩くラクダ。 
これほんとに高速道路? 
09:30 デリー郊外に入る。 市中央部に近づくにしたがいスピードダウン。 
通勤ラッシュに会わないよう早めに出発したが、いたし方なし。

28.インド 第8日 (3)

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11:30~12:00 絨緞工場を見学。 
エジプトでも絨緞工場を見たが、製造しているところは大差ないように思える。 
ただ、出来上がった品物の種類、美しさはエジプトの絨緞の方がインドの何層倍も優れ
ている。 インド人と付き合っても、街を見てもそうだが、あのタージマハルを作った美的
感覚は一体今のインドのどこに残っているのだろうか?
12:00~12:50 ダルバール・レストランで昼食。 
例によりナンとキングフィッシャーで済ます。
13:00 街の薬屋でモヒさんが風邪薬を買ってくれたのでホテルへ帰ってから飲んだ。 
薬屋の近所に飲み物を売ってる店があったので、キングフィッシャー2本とインド・ラム酒
の小瓶1本を買う。
13:30 ホテルへ帰り、休息。
19:00~19:35 ジャイ・マハル・パレスというホテルへ出かけて、インド舞踊なるもの
を見た。 踊り子の女の子が頭の上に壷を何層にも(確か5層はあったように記憶してい
る)乗せて踊る姿はスリルにとんで面白い。 
踊り子に誘われて私も国際親善のために踊った。
ホテルへの帰途、ガイドのモヒさんが知っている貴金属屋へ案内してもらって妻と2人の
娘のために24金のチェーンを3本買った。 
ここはモヒさんの顔で、インド人価格で買えた。 日本円にして確か6万円くらいだったよ
うに記憶している。
ホテルへ帰った時にモヒさんが私にお土産だと言って、盾を2個くれた。 1つはガネイシ
ャ様、ラクシュミ様、サルスワティ様を描いたもの。 
もう一つは、愛の神様とその奥様を描いた盾。 この盾に描かれたお顔を拝見すると、シ
バ神と奥様のような気がする。 いずれにしてもありがたく頂戴した。 
これらの盾は我が事務所に大切にお祭りしてある。

27.インド 第8日 (2)

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08:15~09:30 アンベール城を見学。 
小さな鏡を天井に埋め込んだ幻想的な部屋、象の頭のガネイシャ神を描いた美しい門、
王の寝室などを見たが、アグラ城と比べると、規模は小さいが見るものは多い感じだ。
ジャイプール市内への帰途、水の宮殿を、車から下りて見た。昔若い王子が体を鍛える
ためここまで来て、岸から池の中の宮殿まで泳いだそうだが、今の池は汚くてとうてい
泳げるしろものではない。
10:00~11:30 シティ・パレス、ジャンタル・マンタル(天文台)、ジャイプール中央
博物館を見学した。
シティ・パレスは18世紀に、サワイ・ジャイ・シン2世が建てた宮殿。 
今でもマハラジャの子孫が住んでいる。 代々のマハラジャの肖像画、使用した剣、
アクセサリーなどが印象深い。 持てる権力者と、持たざる庶民の差があまりにも大き
すぎたのではないだろうか?
ジャンタル・マンタル(天文台)は、天文学者でもあったサワイ・ジャイシン2世により建
てられ、1734完成した。 
巨大な日時計、天文観測装置などが大理石や真鍮などでつくられている。 これらの
装置は今なお正確に作動していると言う。
サワイ・ジャイ・シン2世は天文学の才能で、ムガールの帝王に重く用いられた。
天文学の基礎は数学ではないのか? ゼロを発見した数学の国インドは今も健在。

26.インド 第8日 (1)

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1月30日(月) 06:00 起床。
今日はアンベール城を見学するため早起き。 というよりアンベール城で象に乗るため、
早く行かないと乗れないというのでホテルを 07:00 車で出発。
アンベール城の手前で象使いの乗った何頭かの象を目撃。 生まれてこのたか象に乗
ったことはないので、気ははやる。
07:30 にアンベール城に到着したらすでに中国人、日本人など約30人が並んで待っ
ている。 
みんな象に乗るために早起きしてきた様子。 ここまで早起きしてきたからには何とか象
にの乗らねばならない。 人数を勘定したらなんとか乗れそうだ。 一安心。
順番を待つこと約40分、やっと番が回ってきた。 象の背中には板が縛り付けられ、その
板に鉄製の手すりがついているので、板の上に座り、手すりをもって象に乗る。 
エジプトで乗ったラクダより大分高かったように感じた。 
象の背中からの見晴らしは格別。 多少揺れたが、エジプトのラクダに振り落とされそうに
なったのと比べればたいしたことはない。
私とガイドのモヒさん2人が乗った象は、若い像なのか元気がよくて先に出発した象5頭も
追い越した。 下を見るとそこここに象糞が落ちている。 
象は、約10分でアンベール城に着いた。

25.インド 第7日 (4)

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1月29日(日) 18:30 ジャイプールに到着。 ホテル・マンシングにチェックイン。 
417号室に入室した。
夕食は、ホテルのレストラン。 食事の中身は、例によってナンとキングフィッシャー。
この町は、デリーの南西約260Km。 タジャスターン州の州都で、周囲約10Kmを
赤い城壁で囲まれているため、別名ピンク・シティともいう。
ジャイプールは、かなり大きな町で、道路は碁盤の目状に設計されており、中には片
側3車線道路もある。 大きな店が多く、デパートもあった。
ここは大理石と宝石の町とのこと。

   インド語(?)の意味
    ・ バード(ウルドゥ語) = 町
    ・ ジャイプール(ヒンディー語) = 町
    ・ シン(ヒンディー語)= 虎
    ・ パパル(ヒンディー語) = 豆のセンベイ

☆ ナンは日本でも良く知られているが、これは小麦の皮をむいて幾種類かの粉を混
ぜて作り、白い色をしている。 これと似たチャパティは、小麦の皮を剥か ないで作る
ので、色は茶色。 チャパティの値段は、ナンの約四分の一。

24.インド 第7日 (3)

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12:30 ~ 13:00 キーラブリー村のジョシー・リゾートという名のレストランで昼食
をとった。 
更に続いてアグラから西の40Kmのファテプ・シクリへ向かう。
13:10 ~ 14:10 ファテプ・シクリ城を見学。
ファテプ・シクリ城は、ムガール帝国第三代皇帝:アクバルが、戦に勝利したのを記念
して建設、「ファテプ・シクリ」(勝利の都という意味)と名づけたもの。もともとアグラに
あった城を移築したものだという。
「この城は、タージ・マハルとは違い、赤砂岩で作られており、イスラム様式とヒンズー
様式が融合した装飾で有名。」とインド旅行のガイド・ブックに書いてあるが、私にはタ
ージ・マハルの印象が強烈で、さほどでもなく思えた。
15:50 ~ 16:20 カンコル村で休憩。 
車を降りて、キングフィッシャー(インドビール)1本150ルピーで喉を潤す。
休憩後更に車で西へ向かう。 途中、荷車を引いたラクダを20頭くらい見たが、ここで
もまた4~5匹の犬が車に轢かれていた。 
どこを通っても菜の花畑がいっぱいあるが、17:50 頃夕暮れ時の空にゆったりと黒
い煙をたなびかせているレンガ工場の横を通過した。
日没は 18:00 であった。

23.インド 第7日 (2)

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私は日本では赤い大理石など見たことがない。
3代目皇帝シャー・ジャハーンは財政など気にしないで多くの贅沢な建物(その一つが
タージマハル)を建てたので、息子のアウラングゼーブ帝は父のシャー・ジャハーンを
アグラ城の一角に幽閉した。幽閉された場所からは、ヤムナ川を左にして丁度正面に
タージ・マハルが見える。
シャー・ジャハーンは、ここから愛妃ムムターズ・マハルのために建てたタージ・マハル
を眺めながら、74歳でさびしくこの世を去ったという。
余談ながら、ガイドのモヒさんによると、大理石の値段は黄色が一番高く、その次に高
いのは黒大理石とのこと。
現在アグラ城は、面積の80%をインド軍が使用しているそうだ。

22.インド 第7日 (1)

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07:00 起床。 
08:15 ~ 08:30 ホテル・レストランでバイキング・スタイルで朝食。 
09:00 ホテルをチェックアウト。 
今日から3日間のドライバーは、シーク教徒のシンさん。 シンさんは頭にターバンを
まいている。 住まいはデリーで、奥さんと2人の息子がいる。
09:15 ~ 12:00 タージマハル、アグラ城を観光。 
まずタージマハルを見た。 日本でも何度か名前を聞いたり、写真を見たりしたが、
今回インド旅行をして一番美しいと思ったのはこのタージマハルだ。 
白い大理石でできた高さ70mの霊廟だ。 
シンメトリック(左右対称)に構築されており、美しい前庭と高さ42mの4本のミナレッ
ト(尖塔)に囲まれている。 
昼間見ても美しいが、月光に照らされたタージマハルはこの世のものとも思えないも
のだそうだ。 月夜のタージマハルは、入場者数限定500人とのこと。
この霊廟(お墓)は、ムガール帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンが、妻のムムター
ズ・マハルの死を悼み、2万人を投入、世界中から資材を集め、莫大な費用をかけて
1631年から1633年まで(日本では江戸時代・寛永のころ)22年かけて建設したと
いう。 この王妃よほどいい女だったとみえる。 
工事が終了した時、同じものを作らせないよう、工事に携わった人々の手を切り落とし
たそうだ。 
タージマハルの見学料は、我々外国人は1人750ルピーであるのに、インド人は確か
100ルピーくらいだったように記憶している。 変な国!

21.インド 第6日 (5)

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列車はアグラの駅に 20:55 到着。 21:15 ホテル・ホリデーインにチェックイン。 
416号室に入室した。 
おなかがすいてきたが、カレーは避けてドミノ・ピザへガイドのモヒさんと車で出かけた。 
ここでもビールがない。 仕方がないから飲み物はコーラにした。 
味は日本で食べるピザとあまり違わない。 アップルパイがを食べたかったがない。
ふと周りを見ると年配者はいない。 皆若者ばかりだ。 
場違いの感じがしたが、気にしないことにした。 
22:10 ホテルに帰着。 カジュラホで引いた風邪がまだ治らない。 
モヒさんに薬屋はないかと尋ねたが、インドの薬は日本の薬より強いから止めたほうが
いい、という。 しょうがないから日本から持参したナポレオンのクールヴァジエの水割り
を睡眠薬にして眠りについた。
話は飛ぶが、私はインドへ来るまでお釈迦様はインドの人と思っていたが、誕生された
のは今のネパールで、インドで仏教を布教されたそうです。