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2008年2月 6日

有馬シマノスケの最期 (10)

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僕は昨年12月のはじめくらいから右目の内側になにか腫瘍でもできたのか、右目が
見えなくなりました。そのうち年末には左目の視力もかなり衰えてきました。佐藤先生
から消炎剤、抗生剤などをもらい、シュークリームやプリンに混ぜて飲みました。
8年近く生きていると、爪がかなり伸びるとともに、歯も犬歯?が伸びてかみ合わせが
悪くなりました。このためスプーンでシュークリームやプリンを食べるのが難しくなりました。
ババは左手の手のひらに僕を乗せ、右手の指で薬を混ぜたシュークリームを僕の口まで
持ってきてくれました。僕は亡くなる1~2ヶ月は食欲旺盛で食べまくりました。
冬という季節のせいだったのでしょうか?
1月25日(金)にはママが看病に来てくれました。
1月26日(土)朝、僕の右の目のあたりがかゆいので、爪でかいていたら、血が出てきて
ママがガーゼでふいてくれたのですが、血が止まりません。ママが佐藤先生に電話して、
ジジが車で朝10時に薬をもらってきてくれました。消炎剤、抗生剤、すこし眠くなる薬
などです。
1月27日(日)もママが看病してくれ、ママがアパートへ帰る寸前に僕の呼吸が最初
しばらくゆっくりになり、その後早い呼吸になり、5~6回呼吸すると僕の心臓は鼓動が
止まりました。ママが「シマノスケが動かなくなった」と言ったので、ババとママのお姉ちゃん
が見ましたが2度と動きませんでした。家族みんなショックで、ママとババは目を泣き腫ら
していました。ババがジジを2階へ呼びに行き、ジジが2階から下りてきてお経をあげて
くれました。ママは予定を変更して27日も泊ってゆくことにしました。
1月28日(月)10時過ぎにババとジジが相模川の高田橋の河原で石を3個拾ってきてくれ
ました。その後ジジがシマコが眠る庭のお墓の隣にかなり深い穴を掘って、ママの手で
埋葬されました。
僕と一緒に僕が好きだったピスタッチオ、胡桃、リンゴのスライスなどをお土産に持たせて
くれました。僕のお墓の上にはシマコと同じように丸い石が3つ置かれています。
もう一度ジジが別れのお経をあげてくれました。
一番悲しみを引きずっていたのはババです。ババは自分の母親が亡くなった時以上に
悲しみを引きずっていました。1週間以上も。
有馬家の家族の皆さんありがとうございました。
僕は今天国で幸せな生活を始めました。
家族の皆さんお元気で。
さようなら。

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2008年2月 5日

有馬シマノスケの最期 (9)

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僕シマノスケとシマコは別々の住まい(ケージ)で暮らしましたので、僕は生涯独身
で過ごしました。そういう点ではさびしい一生でした。
でもこれにはわけがあります。
僕を売っていたペット屋のお姉さんが、2人(2匹)1つ住まいに入れておくと、喧嘩して
血みどろになるので別々の住まい(ケージ)の方が良い、とアドバイスしたためでした。
ペット屋のお姉さんは、こうも言っていました。シマリスは発情期(年に数日しかない)
だけおす、めす一緒でそれ以外は別に暮らすのだと。
それで僕とシマコは別のケージ、ただし隣り合わせで生活しました。
お姉さんのペット屋では小さなケージに10匹も15匹もシマリスを入れていたのに
別々が良いとはちょっとおかしな話だとは思いますが。そういえば売っているシマリス
の中には耳がちぎれた者もいました。おまけに餌は奪い合いで、その勢いはすさまじい。
僕は一軒家に一人で住んでいましたから、誰に食べ物を奪われるわけではなく、平和な
生活をさせてもらいました。そのせいか僕はカミリスにはならないですみました。
僕らの仲間にはカミリスになるものもいて、人間に嫌われることがあるそうです。

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2008年2月 4日

有馬シマノスケの最期 (8)

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僕らの仲間には飼い主のポケットの中で眠ったりする者もいるらしいのですが、僕は
そうはなりませんでした。でもママ、ママの姉ちゃん、ババ、ジジを怖がったり、嫌がったり
はしませんでした。家族の誰がいても平気でした。自分の好きなように飛び回っていました。
ババは僕が有馬家にいた8年足らずの間、旅行にも行かずほとんど毎日家にいてくれました。
ババは毎週1回ババのお父さんの看護のために伊東へ日帰りで行きましたが、朝早くに
出て、夜には帰ってきました。その間はママのお姉ちゃんか、ジジがついていてくれました。
僕はグルメのシマリスになりました。シュークリーム、プリン、モンブラン、イチゴなどご馳走
を僕にすすめてくれたのはジジでした。

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2008年2月 3日

有馬シマノスケの最期 (7)

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僕は住まい(ケージ)から出してもらうと、はじめテリトリーを見て回ります。
巡回が終わるとこたつの中で遊んだり昼寝したりします。
それに飽きるとババのところへ行きます。ババが腕を差し出してくれるので、腕を
登り、ババの肩でしばらく休憩していました。ここは僕が安心していられるところでした。
時々ババの肩で居眠りしたりしました。
でも居間にいても恐怖がよぎることもありました。テレビの音にはなれていましたが、
窓際にいる時カラスが飛んでゆく影が見えたりすると、僕はフリーズしました。
それは誰からも教わったわけではありませんが、僕たちは野生の世界では大きな鳥
にねらわれる存在だったから、本能的に反応したのだと思います。

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2008年2月 2日

有馬シマノスケの最期 (6)

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僕はどうやら中国の旧満州で生まれ、幼い頃に人間に囚われて、日本へ連れてこられた
ようです。僕たちシマリスは、満州では冬になると冬眠します。
日本でも冬に寒くなると冬眠する仲間もいるようです。
冬眠の前には木の実を採取、隠して他人に取られないよう蓄えます。
また冬眠に備えて脂肪を体につけるためいつもより食べる量が増えます。
有馬家では、ママとババが心配してくれて、冬眠しないように冬になると僕がいる居間に
暖房を切らさないように入れてくれました。夜も室温が下がらないように暖房が入っており、
僕のケージには二重、三重に暖かい毛布をかけてくれました。お陰で冬でも快適で、
僕は一生冬眠しないですみました。
でも生来体が丈夫でない僕は、初冬や春先に体調を崩して、よくプラスティックの箱に
入れられ車で佐藤先生の動物病院へ連れて行かれました。
動物病院へ行くと、大体僕の嫌いなネットに入れられ、身動きできないようにしてインター
フェロンの注射をうたれるのでした。
でもそのお陰で僕は人並みに生きることができたとママやババに感謝しています。

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2008年2月 1日

有馬シマノスケの最期 (5)

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僕の住まいは有馬家の居間に作ってくれました。
住まいは縦・横・高さとも50センチメーターくらいのケージでした。
ケージは町田の小田急デパートの屋上のペット屋さんから買ってきてくれました。
ケージの下から20センチメーターくらいのところにジジがアクリル板でテラスを作り、
その上にプラスティックの部屋を置いてくれました。僕のベッドは最初木くずを使い
ましたが、佐藤先生のアドバイスで新聞紙を幅1~1.5センチメーター、長さ15~
16センチメーターに切ったものを使用しました。僕は新聞紙を布団にして部屋の中
で丸まって寝ました。新聞紙は毎日ババが新しいものと取り換えてくれました。
とても快適でした。
僕の家の中にはママが床から30センチメーターくらいの所にハンモックを作って
くれました。僕はこのハンモックの中に食べ物を蓄えたり、遊んだり、時にはここで
寝ました。ハンモックは両側は棒で人間が使用するソックスでママが作ってくれました。
僕の家には、床に餌箱、水箱、それにプラスティックのトイレを置いてありました。
ババのお陰で僕の家、部屋はいつも清潔に保たれていました。
ママのお姉ちゃんが休みの土日にはよく遊んでくれました。ケージから出してもらって
1~2時間、ときには3時間余りもお姉ちゃんが付き合ってくれました。

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2008年1月31日

有馬シマノスケの最期 (4)

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僕は生来体が強くないので時々体調を崩し、町田の動物病院の佐藤先生にお世話になりました。
佐藤先生のところへ行く時は、大きなタッパウェアの箱かプラスチックの箱に入れられて、
ジジが運転する車に乗せられて行きました。僕は狭い所に閉じ込められるとすごくストレスを感じ
ました。そのためタッパウェアの箱に入れられるのが嫌でした。
また、佐藤先生のところではインターフェロンなどの注射を打つためネットに入れられて、身動き
できないように固定されるととても恐怖感を持ちました。
それに注射がうまく行かず2度針を刺されることもあり痛かった。
でも虚弱体質の僕はこのインターフェロンのお陰で人並みに生きることができました。
佐藤先生によれば、僕たちシマリスの寿命は大体7~8年だそうです。
一度動物病院へ行って注射をすると8000円くらいかかります。これはママが負担してくれました。
僕はママとババの愛をいただいて幸せな人生を送ることができました。それにママの姉ちゃん
も僕をとても可愛がってくれました。
僕は家族のみんなに心から感謝しています。
僕が天国へ行った時には、ママも、ババも、ママの姉ちゃんも、ジジも家族みんな泣いていました。
でも僕は天国へ来ましたからみんな泣かないでください。
ババは僕に思いを残さないで天国へ行くようにと言ってくれましたし、ジジがお経を上げてくれた
ので僕はこの世に思いを残していません。
ババはいまだに悲しんでいるようですが、早く立ち直ってください。
そうしないと僕は幸せになれません。
僕は次の世も有馬家の家族に生まれ変わりたいと思っています。

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2008年1月30日

有馬シマノスケの最期 (3)

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僕が有馬家に来てから数年はママは有馬家にいて面倒をみてくれましたが、ママは
仕事のために2004年8月9日(月)に東林間のアパートに移り、その後はママの母
であるババが僕の面倒をみてくれました。
もちろんママも時々僕に会いに来てくれました。
ババは、僕にはとびきりやさしくしてくれました。普通僕らの仲間はヒマワリの種や
コーンと水をもらって生きています。でもババは、ピスタッチオ、クルミ、松の実、ヒマ
ワリの種、コーン、果物はイチゴ、リンゴ、みかん、そしておやつには、シュークリーム、
モンブラン、ヨーグルト、牛乳、などなどを食べさせてくれました。
ミネラルの不足を補うためにはアメリカ製の「スタミノン」が良いということをママがどこ
かから聞いて来て、ジジが渋谷のデパートで買ってきてくれました。
このスタミノンを時々いただきました。
また、1日に少なくても2回はケージから出してくれ、僕は居間を自由に散歩できました。
でも、ピアノの奥に入って寝たりしたので、ピアノの奥や冷蔵庫の下には入れてもらえ
ないようになりました。ピアノの一番上へ登って降りられなくなったときなどババが立って
来てくれ僕はよくババの背中や腕に飛び移ったものです。
散歩中僕は時々ババの肩で休憩させてもらいました。ババはやさしくて、僕が下りるまで
じっと動かないで我慢してくれました。
僕が天国へ行く前2~3週間くらいは、僕はババの手の上で胸にもたれて寝たり、ご飯を
食べさせてもらいました。

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2008年1月29日

有馬シマノスケの最期 (2)

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僕がどこで生まれたかははっきりしませんが、中国の旧満州で捕まえられ、日本へ
連れてこられたという話もあります。
でも有馬家へ来る前は、相模原のディスカウント・ショップのアイワールドの中にある
キーウェストという名のペットショップにいました。
当時は僕らシマリスのブームで、ペットショップにはたくさんのシマリスがいました。
小さなケージに10人も15人ものシマリスが詰め込まれて重なるように暮らしてい
ました。中には耳の一部がない仲間もいました。
人間も同じ生き物なのに、僕らを捕まえて狭い所に押し込めて売るという勝手な生き
物です。僕らは人間語で話ができないので抗議のしようがありません。
本来は満州の原野を自由に駆け巡る自由な存在です。
僕のママの父であるジジによると、ジジがインドのタージマハールへ行った時僕らと
同じ姿、形のリスを見かけた言っていました。

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2008年1月28日

有馬シマノスケの最期 (1)

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僕の名は有馬シマノスケと申します。
僕は人ではありません。シマリスのシマノスケ(男)です。
英語での種類名は、chip-munk と言います。
身長は尻尾までいれてもせいぜい24~5センチメートルくらい、体重は77~8グラムくらい。
僕が有馬家の家族になったのは、2000年5月21日(日)で、シマコ(女)と一緒に家族に
なりました。シマコは24日(水)にとりかえられて2代目のシマコがやってきました。
僕は虚弱体質でシマコよりはやく逝ってしまうと思われていましたが、意外やシマコは約2年で
天国へ行ってしまいました。
僕は予想外に長生きして、昨夜(2008年1月27日(日)21:24)神様に召されて天国へ旅立
ちました。7年8ヶ月の人生を送り、天寿を全うしました。

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